イントロダクション
今回も星花女子プロジェクトに参加させて頂きました!
残暑がすっかり落ち着いたある日。
目覚まし時計が鳴る前に、スズメの鳴き声が御神本美香を夢の世界から呼び戻した。目をこすりながらゆっくりとベッドから身を起こすと「おはようございます」という声とともに、ペパーミントの涼しげな香りが漂ってきた。
「おはよう沙羅。今日もいい天気になりそうね」
「そうですね。はい、どうぞ」
ルームメイトであり妹でもある、御神本沙羅がカップを差し出す。美香は朝起きると必ず、妹の沙羅が淹れたペパーミントティーを目覚めの一杯として飲む。一口つけると爽快感が脳を突き抜け、脳から体の隅々まで今日一日の活動の始まりを告げる信号を送り出す。入学以来欠かしたことがないルーチンである。
「むふー! ギンギンにみなぎってきたわ。今日を乗り切れば明日は土曜日、やってやりますわよ!」
顔を洗ってササッと身支度を整えた上で食堂に向かう。寮生の中には寝間着姿で食堂に行く者もいるが、美香は必ず制服を着て食事をとっていた。「授業は朝起きたときから始まる」という両親の言いつけに従っているためであり、それは例え授業のない休日であろうと変わらなかった。
御神本姉妹が食堂に入ると、雰囲気がガラッと変わる。二人の制服の着こなしは学園の公式サイトでの制服紹介ページのモデルとして選ばれるほど美しく、異国のお姫様のような雰囲気を漂わせる美香と長身でボーイッシュな沙羅の映える組み合わせは寮生の注目を集める。
品行方正、容姿端麗。誰しもがこれらの四文字熟語を思い浮かべるほど気品が漂っていた。
「おはようございます」
「ごきげんよう」
美香は食堂のおばちゃんに挨拶すると、本日の朝食が乗せられたお盆を受け取った。
「ぬおああっ!?」
美香が奇声を発して、完璧な立ち居振る舞いが崩れた。
「お姉さま、どうされましたか?」
「こ、これは奇っ怪な……なぜ朝食なのにピーマンが……?」
小鉢に入っているのは炒めたウインナーとピーマン。美香は肉類は好物だがピーマンは大の苦手としていた。
「朝からピーマンを出すだなんて、初日から横綱と大関を取り組ませるようなものですわ……」
「何をわけのわからないことを言ってるんですか。さあ、食べましょう」
沙羅に促されて窓側の席に向かうと、北条玲奈と南井里美がいつものテーブルにいた。二人は同部屋であり玲奈は美香のクラスメート、里美は沙羅のクラスメートでかつ合気道部の仲間という関係である。
「ごきげんよう」
「ごきげんようさまです」
玲奈は変な挨拶を返したが、いつものことだから受け流した。
「あら玲奈さん、もう小鉢を平らげてしまわれたの?」
「ええ、ピーマンがすごく美味しくて」
美香はこの上ない笑顔を浮かべた。
「実はわたくし、ダイエットしていますの。よろしければわたくしのピーマンを召し上がって頂けませんこと?」
「お姉さま?」
沙羅もまたこの上ない笑顔を浮かべていた。が、意味合いは全く違う。「私が笑っていられるうちにやめなさい」という無言の圧力である。もし逆らうとどうなるかは、姉がよく知っていた。
「じょ、冗談ですわ……」
美香はゴニョゴニョ言いながら渋々座ったが、玲奈に聞こえなかったのが不幸であった。小鉢の方に箸がニュッと伸びてきて、
「ありがとう。だけどウインナーの方がカロリーが高いからウインナーを頂くわね~」
「あーっ!」
時既に遅し。玲奈はウインナーだけひょいひょいとつまみ上げて自分の小鉢に、ついでに里美の小鉢にも移した。
「里美ちゃんももっと食べて体を作らなきゃね」
「わー、ありがとー!」
「ありがとー、じゃありませんわ! ウインナーを返してあーっ、あーっ……」
美香のウインナーは哀れ、二人の胃袋に収まった。
「沙羅あ~……」
目を潤ませて訴えかける美香。沙羅はため息をついた。
「しょうがないですね」
沙羅は自分の小鉢の中身を美香の小鉢に移し替えた。
「ただし、ピーマンもきちんとお食べください」
「う、善処するわ……」
こうして美香は二人分のピーマンを食べるはめになってしまったのであった。食事が終わると気品溢れるお嬢様の振る舞いを見せつけつつ食堂を後にしたが、心の中ではおいおい泣いていたのを知る者は沙羅以外にいなかった。
*
「えいっ!」
バシィ、という打撃音とともに打球は左中間に飛んでいく。ソフトボール部員ならいざ知らず外野を守っているのは素人だから追いかけるのが精一杯で、地面に落ちたボールは点々と遥か向こうまで転がっていった。
打った美香は全速力でダイヤモンドを駆ける。
「ミカミカー!」
「ホームまで帰ってこれるよー!」
声援を受けた美香は「むふー!」と鼻息を一層荒くした。外野がボールに追いついた頃にはもう三塁を蹴っていて、難なくホームインした。そのまま、出迎えてきたチームメイトたちに次々とハイタッチを交わしていく。
「ミカミカ、ナイスバッティング!」
「さすが四番だね!」
「当然ですわ! これからは下村紀香二世と呼んでも構いませんわよ!」
ほーっほほほ、と美香はお上品に手の甲を頬に当てて笑った。朝食の悲劇も体育の授業の頃にはすっかり忘れて上機嫌になっていた。
「さあ、今度は有原はじめ二世になりますわよ!」
攻守入れ替わって、美香はピッチャーズサークルの中で意気揚々と腕をぐるぐる回した。しかし授業でのソフトボールはスローピッチルールで行われていて、ピッチャーは山なりのボールしか投げることができない。よほどのことが無い限り三振は無いが、それでも美香はバックの働きでよく抑えていた。
特に玲奈の動きが良い。ショートを守っているが動きがよく、彼女の下に打球が行くと確実にアウトになっていた。この回もショートゴロを二つ連続で捌いて歓声を受けていた。ちなみに彼女は茶道部員であり過去に運動部に入った経験もない。
「玲奈さんやるわね。『星花のオジー・スミス』を名乗るべきですわ」
「いやあねえ、いつの時代の選手よ」
と玲奈は呆れつつもグラブタッチを返してくれた。
「次の打者は天宮城さんね」
モノマネが得意の天宮城ちひろは去る八月に行われたりんりん学校の余興で「星花女子ソフトボール部名鑑」なる芸を披露し、全部員の投球・打撃フォームを形態模写して喝采を浴びたことがある。
「ちひろー! 紀香先輩やってー!」
「おう!」
ちひろはもう下村紀香になりきっていた。ふてぶてしい顔つきでぶっきらぼうに返事して左打席に入り、大きく構えた。このときバットをかすかにプルプルと揺らすのがコツというのが本人談だ。
「構えは全くそっくりでも力と技術までは真似できませんわ。それっ」
美香はひょいとボールを放り投げた。ボールは放物線を描いてホームベースに差し掛かったところで、ちひろは「うりゃあ!」と紀香ばりにフルスイングした。
フォロースルーまで完璧だ、と美香が感心すると同時に、額に大きな衝撃が走った。
「あ、あら?」
足がふらつく。
「ぎゃー!!」
「ミカミカー!!」
クラスメートの悲鳴が聞こえたのを最後に、意識はブラックアウトした。
*
「見事なピッチャー返しだったわ……あいたたた」
美香は保健室のベッドの上で氷のうを額にあてがっていた。
「もしも硬球だったら、紀香二世の二つ名どころか戒名を頂いてしまうところだったわね」
付き添いにやってきた玲奈はニコニコとブラックジョークを口にした。
「笑い事じゃないですわ。見なさい、このたんこぶを」
美香は髪型をオールバックにして後ろでまとめているので、額が顕になっている。そこに青くぷっくりと腫れ上がった箇所があり、せっかくの美貌がスポイルされていた。
「あらら、しばらくは髪を下ろして隠さなきゃだめね」
「はあ~、まったく。今日は厄日ですわ……」
痛みとは別の理由で泣きたくなった。
保健室のドアが勢いよく開いた。
「お姉さまっ!!」
「沙羅?」
「ああ、お姉さま……体育の授業で倒れられたと聞いて駆けつけました。ご無事でしたか!?」
「たんこぶができたぐらいで命に別状はないわ」
「ああ、おいたわしい……」
沙羅はこの世の終わりが来たかのような顔つきになっている。
「今日はもう早退されますか?」
「いいえ。このぐらいの怪我でへこたれては御神本の名折れよ」
「でも万が一のことがあれば……」
「大丈夫。もう教室に戻るわ。お前も教室に戻りなさい」
そう言ったものの沙羅の顔つきは元に戻らない。今朝のピーマンの件のように美香が過剰に甘えた態度をとると突き放すのに、いざ身に危険が迫ると過保護になってしまう。どちらも美香を思ってのことだが、今は余計な助けは必要ない。
美香は立ち上がった。髪をまとめていたゴムを外すと、豪奢な亜麻色の髪が滝のように流れ落ちた。一連の所作は美しく、品があった。沙羅も玲奈もつい、感嘆の声を漏らすほどに。
「さ、戻りますわよ」
そのとき、プーンという羽音とともに虫がやってきて美香の頭に止まった。
「あら、蚊が」
玲奈は思い切り美香の額を叩くと、断末魔の叫びが保健室を突き破ってあたり一面に響き渡った。
かくして秋晴れの金曜日は散々な一日で終わったのであった。
・これからご登場頂くメインキャラ
北条玲奈(ここあ様考案)
https://novelup.plus/user/440564604/profile
御神本沙羅(藤田大腸考案)
南井里美(同上)
・今回ご登場頂いたゲストキャラ
天宮城ちひろ(パラダイス農家様考案)
https://kakuyomu.jp/users/paradice_nouka
名前だけ作中に出てきた下村紀香、有原はじめについて知りたい方は拙作『Get One Chance!!』をご覧くださいませ。
https://ncode.syosetu.com/n0774fg/
それでは第九弾もよろしくお願いいたします。