第五話 部屋とアトリエ
握手を交わした後、カミルさんが、扉を大きく開けて、中に通してくれた。
外観からして大きかったけれど、やはりと言うべきか、中もとても広い。
(ちょっとした貴族の屋敷くらいあるんじゃないかな)
入口の所から見える範囲だけでも、つい、そう思ってしまうほどだ。
まあ、本物の貴族の屋敷を見たことはないので、想像でしかないけれども。
「とりあえず、荷物を置くのが先だね。案内するから、ついて来て」
「はい」
そうして、カミルさんの案内のもと、二階に上がる。
この家の二階は、階段を上がるとすぐに大きな廊下に繋がっていて、その両脇に部屋がいくつも並んでいる、という構造だった。
その部屋の一つに、『フィーリア』と記された、可愛らしいネームプレートがかかっていた。
その扉の前で、カミルさんが立ち止まる。
「ここが、フィーリアさんの部屋。生活するのに必要な物はひとまず揃えておいたけど、何か足りなかったら言ってね。自分好みに改造してくれてもいいよ」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、カミルさんは微笑んで、そしてポケットから何かを取り出した。
「どういたしまして。で、これが、君の部屋の鍵。合鍵は作ってないから、失くさないように気をつけてね。さすがに、失くしてしまった鍵までは、僕も作れないから」
そうして鍵を渡された私は、カミルさんの言葉に込められたもう一つの意味に、その気遣いに、嬉しくなった。
合鍵は作っていないし、作れない──つまり、家主であるカミルさんもこの部屋には入れない、という意味。
カミルさんは、ちゃんと、あの時の条件通り、私のプライベートを守ってくれているのだ。
もちろん、当然のことではあるけれど、それでもなんだか嬉しくなる。
「分かりました。失くさないように気をつけます」
「うん。じゃあ、荷物を置いたら、一階に来てね。時間はたっぷりあるから、部屋の中を見て回って来てもいいよ」
そうして、ひらひらと手を振りながら、カミルさんは一階に降りていった。
それを見送った私は、早速、部屋の鍵を開け、中に入る。
「うわぁ、広い!」
中に入って、まず驚いたのは、その広さだった。
(ここだけ、横の部屋との間隔が空いてるな、とは思ったけど……。あれは、部屋自体が広いからなのか)
ひとまず、入口の近くに荷物を置き、カミルさんも許可してくれたことだし、と、部屋の中を探索する。
そうして、見て回ると──なんとこの部屋だけで、お風呂などの水回りから、キッチン、ベッド、大きな机と椅子、クローゼットやドレッサーまで、生活に必要な全て……というか、それ以上の物がきっちり揃っていた。
正確に言えば、扉のある大元の部屋から枝分かれするように、キッチンなどの、用途別に分けた小部屋がいくつもあるのだ。
(……ちょっと、凄すぎない?)
この国は、他国より遥かに輝術が発展しているため、その技術を使った、いつでも綺麗な水が飲める水道や、安定した火力を持続させられるコンロなど、様々な便利な物が、庶民にも広く普及していて、それゆえに、国民の生活水準も高いことで有名だ。
しかし、そうは言っても、お風呂やキッチンなどの大きな物は、一家に一つ、というのが普通である。
つまり、一個人の部屋に全てが揃っているというのは、通常、ありえない。
(まさか、私がああ言ったから──じゃ、ない……よ、ね?)
素晴らしすぎる部屋を前に、とある推測が脳裏に浮かび、たらりと冷や汗が落ちる。
助手になると決めたあの日から、今日までの間におこなった、カミルさんとの話し合い。
私はそこで、とある要望を伝えていたのである。
それは、「食事などの『私的』な部分はできるだけ分けたい」ということだった。
つまり、お互いのプライベートに干渉しないのはもちろんだけど、仕事以外で一緒に過ごす時間をできるだけ少なくしたい、ということである。
だけど、もしかして──
(わ、私が)
そう言ったから、そのためだけに、これらを揃えた、って、ことは……?
(い、いやいやいや! それはさすがに無いでしょう! いくらなんでも、カミルさんが色紡師だからって……。それは無理だろう、うん)
色紡師は、キッチンだってお風呂だって作れる。
失くした鍵はともかく、作るものの「形」が明確に決まってさえいれば、色紡師に作れないものは、ほとんど無いという。
だけど……さすがに、こんな設備を、この半月足らずの間に揃えるのは、無理でしょう。
いや、『でしょう』じゃなくて、『無理だ』。
うん、無理無理。無理無理無理。
(よし、そういうことにしておこう)
そうして、ちょっぴり現実逃避気味の思考に切り替えた私は、改めて、部屋を見渡して──そして、ふと、考え出してしまった。
(……立派な、部屋だなぁ)
ぐるりと辺りを見回せば、ふかふかのソファに、彫り細工で花の模様が施された上品な雰囲気のテーブル、白木の木目が美しいチェスト、朝の光に照らされ、きらきらと煌めくガラス細工のランプなど、私が今まで触ったこともないような、豪華で美しい家具が目に飛び込んでくる。
それらが置かれている部屋自体も、間取りは広く、設備も充実しており、まるで申し分が無い。
今まで私が暮らしてきたどこよりも素晴らしい部屋を前に、私の中には、嬉しさと共に、どこか気後れするような感情が浮かんでいた。
はたして、これらが元々あったものにしても、こんなにしてもらって本当に良いのだろうか──と。
事前に、住み込みとは決まっていたけれど、私は、まだ何もしていないのに。
ぼうっと部屋を眺めていると、やはりその豪華さが、私には不釣り合いのような気がしてならなかった。
(しかも、これで家賃も食費もタダって、好条件すぎるよね)
本当に、ここまでの好条件だったら、私なんかよりももっと良い人を雇えただろうにと、そう思う。
カミルさんは、助手の仕事に専門知識は要らないと言っていたが、それでも、知識が全く無い人より、少しでもある人の方が、業務効率的に良いだろうことは、明らかである。
(そもそもなんで、カミルさんは私を助手にと思ったんだろう)
カミルさんと、話し合いはしていた。
だけど、その時話したことといえば、助手の仕事の詳しい内容だとか、住み込みをする上での決め事だとか、そういった事務的なことだけだったのだ。
つまり、なぜカミルさんが、あの時初対面だった私を雇おうと思ったのか、その真相は未だ聞けていない。
(それに、あの言葉の意味も、まだ分からない)
あの日、カミルさんが言っていた、「綺麗な色」という言葉。
彼は、私の「色」がとても綺麗だと、そう繰り返し言っていたけれど、それが一体どういう意味なのかも、私は聞けていなかった。
その理由としては、単に聞く時間が無かったから、というのもあるが──実を言うと、本当のことを聞くのが怖いから、というのが、一番大きい。
あの言葉の、字面だけを見ると、髪や瞳などの「色」が綺麗だという意味になるだろう。
だけど、私には──カミルさんが、そうではない何かを見て、あの言葉を使ったような気がしてならなかった。
だから、もしかして、カミルさんは、私の異質さまでも見抜いているんじゃないかと、そう思えてしまって。
(そんなはずは無い、とは、思うんだけど)
でも──もし、本当にそうだったら?
そう考え出すと、聞くにも聞けなくなってしまったのだ。
「──っ!」
そんな物思いにふけっていた私の側で、ポーンポーンと、時計の音が鳴り響いた。
その音に、はっと我に返る。
「こんなこと考えてないで、そろそろ行かないと!」
いけない、いけない。
こんな所でのんびりしている場合ではないのだ。
「考えるのは、あとで!」
両手でぱちんと頬を叩き、気合いを入れ直す。
そうして、気持ちを切り替えた私は、急ぎ足で部屋を出た。
それほど時間は経っていなかったけれど、早く仕事を覚えなくてはならないのだ。
それに、許可を得ているとはいえ、カミルさんを待たせたままは、申し訳ない。
一階に降りてみると、カミルさんが階段の近くにいたので、慌てて声をかける。
やっぱり、待っていたのかもしれない。
「すみません、お待たせしました」
「ううん、僕は大丈夫だよ。部屋、どうだった?」
だけど、カミルさんは怒りもせずに、そう尋ねてくれた。
優しいなぁ、カミルさん。
「とっても素敵です。色々揃えていただいて、ありがとうございます」
例え、あれらが元々あった物にしても、私が気後れしていようと、あの部屋をあてがってくれたのは、カミルさんの厚意であることには変わりない。
そして、私も、それに嬉しさを感じていない訳ではない。
だから、素直にお礼を言う。
「いいえ。ちょっとしか出来なかったけど、喜んで貰えたなら良かった」
すると、カミルさんは目を細め、柔らかく微笑んだ。
ふわりと笑んだ、その嬉しそうな表情に、少しだけどきっとしたものの──私は、すぐさま気を立て直す。
(大丈夫、大丈夫。カミルさんの顔は、話し合いの時にだいぶ慣らしてきたからね……!)
今日から、毎日顔を合わせるのだ。
こんなところでいちいち反応していては、とても身が持たない。
「じゃあ、アトリエに行こう。こっちだよ」
カミルさんの言葉に、私は頷いて、後ろをついて行った。
そうして来たのは、この家の一階の角にある、大きな部屋。
ここだけ、他の部屋とは違い、重厚感のある扉が備え付けられている。
「ここが、僕のアトリエ。僕たちは歌うのが仕事だからね、基本的に、音が漏れないような部屋にするんだ。あとは、薬草とか、色々な素材も保管してあるから、危険が無いように、っていう意味でも、厳重にしてある」
「そうなんですね」
確かに、色紡師は基本的に歌わないと仕事にならない。
ここは周りが森だから、気にする人はあまりいないだろうけど、街中だと、騒音問題になることがあるのかもしれない。
あんなに綺麗な歌声、私だったら、いつまででも聞いていたいと思ってしまうけれど。
あと、素材に関しては事前に聞いていたことなので、すんなり納得出来た。
「じゃあ、フィーリアさん。ようこそ、僕のアトリエへ」
カミルさんが、扉に手をかける。
(いよいよ、始まるんだ)
扉が開いていくと同時に、アトリエの中に差し込み、満ちていた光が、さあっと、私たちを覆うように広がっていく。
きらきらと輝く、その澄んだ朝の光は──私の中の不安をも、払ってくれているようだった。
そうして、私の目に飛び込んできたのは、アトリエ、というよりも──どこか研究室のような、そんな独特の雰囲気を持つ部屋だった。
まず正面に見えたのは、等間隔に並ぶ、格子の入った大きなガラス窓。
そこから入り込む陽光が、部屋全体を、明るく、そして優しく照らしている。
そこから少し視線を下げた窓際には、どっしりとした質感の、大きな机が一つ置かれていて、使い込まれた木材の、深みのある赤褐色の色合いが、光に照らされ、さらに艶めいていた。
その前に置かれている椅子も、机と同じように、しっとりとした艶めきがあって、とても雰囲気がある。
そして、次に、部屋の両脇に目を向けると、そこには、それぞれ違う用途を持った棚が、ずらりと並んでいた。
左側にあるのは、瓶に詰められた薬草やキノコ、はたまたモンスターの素材などが、所狭しと入れられた、大小様々な棚たち。
その中には、私が見たことも聞いたことも無いような、摩訶不思議な色合いや形状の物も、たくさん保管されている。
そして、今度はその反対、部屋の右側に目を向けると、私の背をゆうに越す高さの本棚が、見る者を圧倒するような、そんな存在感を放ちながら、いくつも並べられていた。
どの棚も、少しの隙間も許さないと言わんばかりに、きっちりと本が収められていて、その蔵書数は、ちょっとした図書館ぐらいあるのではないかと、そう思えてしまうほどだ。
その本棚の近くには、とっても座り心地の良さそうな、大きめのソファが置いてあり、そこから少し離れた所には、多分、助手が使うのだろう、中くらいの机と、椅子がある。
(凄い。素敵なアトリエ……)
部屋の中に満ちているのは、ここだけ別の世界なんじゃないかと思ってしまうような、そんな、不思議な雰囲気。
まるで秘密基地を見つけた時のような高揚感が、私を包んでいる。
「ふふ、想像していたのと、違ったかな?」
アトリエに見入ってしまっていた私に、横から声がかかる。
カミルさんがいることすら忘れて、見とれてしまっていた。
「あ、いえ……。いや、私が想像していたのとは違ったんですけど、でも、それ以上に素敵で。つい、言葉を失ってしまいました」
「そう? でも、それなら良かった。アトリエは、色紡師にとっての『城』だからね。それを褒められて嬉しくない色紡師は、いない」
そこで言葉を区切ったカミルさんは、私を真っ直ぐに見て、微笑んだ。
「もちろん、僕も。だから、そう言ってくれてありがとう、フィーリアさん」
心の底から嬉しそうなその笑みに、どきりと大きく心臓が跳ねる。
(不意打ちは、ずるい……!)
カミルさんの顔耐性はついてきていたはずなのに、それを上回る破壊力。
「い、いいえ……」
「ふふ、じゃあ、仕事の説明を始めようか」
私が絞り出すように答えると、カミルさんの笑みが、少し悪戯っぽいものに変わる。
(もしかして、からかわれてる?)
しかし、私がそれについて深く考え出す前に、カミルさんが歩き出した。
「じゃあ、改めて、仕事の説明をするね。まずは、素材のことからかな」
その言葉に、慌ててメモを取り出す。
とりあえず、色々考えるのは、仕事が終わってからにしよう。
「この棚には、主に薬草が入っていて──」
そうして始まった説明を、私は、必死に頭に叩き込んでいった。
素材が入れられている瓶や箱には、それぞれ、その名前が記されたプレートが掛けられていて、中に何が入っているのか、ひと目で分かるようになっている。
ただ、名前こそ書いてあるものの、さすがに、使用用途までは書かれていない。
でも、色紡師が使う素材の中には、取り扱いに気をつけなければならない物──例えば、毒にもなる薬草など──もあるのだ。
私が実際にそれらを使って何か作るということは無いため、詳しい用途を知っておく必要は無いのだが、それでも、助手として素材の管理を任された以上、大まかなことは知っておく必要があるだろう。
ということで、こうして説明してもらっているのだ。
……そう考えると、カミルさんが最初に言っていた、『専門的な知識はほとんど要らない』って、嘘だったんじゃないかと思えてくるけれど……。
まあ、それもひとまず、置いておこう。
正直今は、仕事を覚える以外のことに、頭を使いたくない。
(ふむふむ、この葉っぱは薬になるけど、素手で触るのは危険……と)
そうして、必死にメモを綴って、私が書く書類の内容やら、素材の管理方法やらを覚えている間に、あっという間に時間は過ぎ去っていき──なんと、私が気づいた時には、もう日が暮れかけていたのである。




