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第四話 初まり

 


 未だ溢れようとする涙を全て飲み込んで、私は前を向く。

 お礼を、言わなくては。


「ありがとうございます。治していただいて」

「いいえ。綺麗な手に傷痕が残ったら、大変だからね」

「…………。そ、そういえば!」


 さらりと言われた褒め言葉に一瞬固まってしまったが、すぐに気を取り直す。


「あの、私に何かご用があるのでは、なかったのでしょうか」


 早く帰りたいから、早く用件を言ってくれ。

 そういう思いで言ったのだが、言い終わって、はたと気づく。


(こ、これ、口説いてくれって言ってるようなものじゃない!?)


 わあぁぁぁぁ!

 やっちゃった! やっちゃったよ、私!


 ダメだ、色々ありすぎて頭が混乱している!

 つまり思考回路が正常じゃなくなっている!

 

 くっ、せっかくカミルさんの顔には慣れてきていたのに、こんなところで……!



 だらだらと内心汗だくの私に、カミルさんはきょとんとした顔になって、そして、堪らずといった様子で吹き出した。


「はははっ。やっぱり君って面白い。ますます気に入っちゃったよ。あぁ、誤解はしてないから、大丈夫。……さて、君の言う通り、僕は君に用がある。聞いてくれる?」


 最後のその言葉に、真剣なその表情に、私はごくりと唾を飲み、頷いて答える。


 誤解していないということは、先程の私の失言を真に受けた訳ではないということだ。


(それに、この表情……)


 多分、これは、口説くとかそういう時の顔ではない。

 例えるならば、そう──何か、とても大事なことを言う時の、顔。



 そうしてカミルさんの言葉を待っていると──彼は、予想外の言葉を放った。


「フィーリアさん、僕の助手にならない?」

「…………じょしゅ?」

「うん。助手」


 その単語の意味が一瞬理解出来なくて、尋ね返してしまった。


 ……助手。助手って、あれだよね。

 何か、「先生」とか呼ばれてる人を、サポートする人だよね。


 話の流れからして、私が、助手。

 という事は、その「先生」は、カミルさん……


(え、えぇえぇぇ!? 無理だよ、無理だよそんなの! だってあれ、すごく頭良くないと出来ないって言うし!)


 と、いうことで。

 私の答えは、すぐに決まった。


「ごめんなさい、無理です」


 がばっと頭を下げ、そう口にする。


「理由を聞いてもいい?」


 残念がるどころか、相変わらずにこにこしているカミルさん。

 それが一体どういう意味かは分からないけれど、理由を述べろと言われたのなら、述べるしかないだろう。


「まず一つ目に、私には学がありません。一般的にいわれる学校というものは卒業致しましたが、その程度の知識で色紡師の方の助手が出来るとはとても思えません。二つ目に、私はこの通り白髪でございます。私を助手とすることで、もしかすると、あなたの評判に傷がついてしまうかもしれません。三つ目に、私はこの街が気に入っておりますので、ここから出るつもりは砂粒ほどもありません。以上がご提案を受けかねると思った理由にございます」


 あえて事務的に言ったのは、私の思いは固まっているのだと、そう示すため。


 しかし、それでもなお、カミルさんの余裕そうな笑みは崩れなかった。


「そう。でも、僕が言ってる『助手の仕事』って、専門的な知識はほとんど要らないよ。仕事に使う素材の管理とか、書類の作成とか、そのくらいだし。書類も別に特殊な物ではないから、『一般的な学校』を卒業してるなら、普通に作れるでしょ?」

「…………まあ、普通の、なら」


 この国は、他国に比べ、教育水準が高いことでも知られている。

 だから、普通の庶民でも、初等学校までなら、誰でも無料で通える。


 というか、本人が希望して、そして、その能力が認められれば、その上の高等学校まで無料で行ける。

 しかも、この能力を測る試験というのも、きちんと勉強していれば、決して解けないものではない。


 つまり、割と誰でも高等学校に行ける。


 さすがに、さらにその上にある、薬学なんかの専門的な知識を学ぶ大学校まで行くには、お金がいる。

 だけど、大体、初等学校四年と高等学校四年の計八年間は勉学に励み、そして卒業しているのが、この国の普通だ。


 かくいう私も、そう。


 そして、大抵の高等学校の普通科──つまり、貴族ではない人たちのクラス──では、基本的な書類の書き方は一通り習う。

 これは、どこに行っても、職に困ることの無いように、との理由から始まったことらしい。


「それに、白髪の君を雇ったから依頼を取り消すなんて奴は、こっちから願い下げだよ。そんな奴に媚びる必要性は、全く無い。むしろ、僕がそんな奴と関わりたくない」


 吐き捨てるように言ったカミルさんは、本当に、心の底からそう思っているらしかった。

 また、目が笑っていないあの怖い笑顔になっているし、何よりその瞳に宿る光が、なんだか先程よりさらに末恐ろしいものになっている。


 私に向けられたものではないけれど、怖い。怖すぎる。

 そう思っていると、カミルさんはすぐに元の表情に戻ってくれて、「それにね」と、明るく笑った。


「君の言った三つ目も、大丈夫。僕、この街の郊外にアトリエを作ったばかりなんだ。まだ仕事は始めてなかったから、公表してなかったんだけど」

「えっ」


 え、マジで?

 まさかの、引っ越してきたばっかり?


(で、でも、カミルさん本人が公表していなかったのなら、そういう噂を聞かなかったのにも、納得出来る……)


 色紡師というのは、どこに行っても必ずひっぱりだこになるような、そんな職業だ。

 彼らは、便利な道具を次々に生み出してくれるし、やろうと思えば薬でも剣でも、もっと言えば家などの巨大なものでさえも、何だって作れる。


 それも、少しの「素材」と「歌」だけで。


 カミルさんは、だからこそ、仕事の準備が整う前から依頼が殺到しないように、関係者に口止めをしていたのだろう。


 ちなみに、今気がついた事なのだが、カミルさんは、こっそりと、だけどしっかりと、この場に防音の輝術を張り巡らせていた。

 ということは、まだアトリエのことを公表するつもりは無いということだ。

 もしかすると、助手がまだ見つかっていないから、仕事を始められないのかもしれない。


(それで、私を助手に……?)


 ……い、いや、しかし、しかしだな!

 そうはいっても、私だってここでひく訳にはいかないのである。

 なぜなら、まだ言っていないもう一つの理由があるから!


「いえ、でも、私、今住み込みの仕事をしているので……いきなり住まいを失ったら困るというか……」


 住み込みの仕事、つまり家賃が要らないというのは、とても魅力がある。

 その分、違うことにお金を使えるからだ。


 だけど、それでもなお、カミルさんの笑みは崩れず──むしろ、笑みを深めて、こう言った。


「じゃあ、僕のアトリエに住めばいいよ。広めに作ったから、部屋余ってるし」

「へっ」


 えええ!?

 まさかのそれもクリアですか!


 え? でも、そうなると、カミルさんと一緒に暮らすってこと?


(いやいやそれはハードルが高すぎる!)


 と思った私が、断りの言葉を口にする前に、カミルさんが、ぴっと人差し指を立てて、話し出した。


「改めて整理するけど、まず一つ目に、助手の仕事は、ほとんど専門知識も要らないから、君なら絶対に出来る。二つ目に、君が白髪であることも、僕は全く気にしない。三つ目に、もし助手になってくれたら、僕は君に、『食』と『住』を無償で提供することを約束する。さすがに『衣』までは関与出来ないからね。あと、君が望むなら居住スペースを完全に分けてもいい。そうでなくても、プライベートには干渉しない。最後に、基本的な労働条件は、平日五日間の八時間労働で、週末二日は完全に休み。月給は……そうだね、大体このくらいでどう?」


 そうして提示された金額は、今の仕事よりはるかに高くて。

 それを聞いた途端、言おうとしていた言葉は、完全に引っ込んでしまった。


(……もし、これを受けたら)


 一番大きなメリットとしては、収入が増える。確実に跳ね上がる。


 しかも、家賃・食費込みで、だ。

 つまり、収入が増えるだけではなく、自由に使えるお金の割合も、今より増える。


 そして、労働条件も悪くない。

 というか、非常に良心的だ。


 今の仕事は、休みの日がきちんと決まっていないため、いつ休めるかは、結構ぎりぎり──言ってしまうとほぼ直前に決まる。

 それに比べれば、とても働きやすい環境なのは確かだろう。



 つまり──私はこれを受けることに関して、メリットしかない。



 そう思った途端、反射的に頭を下げていた。


「前言撤回します。そのお話、お受け致します」

「ありがとう。じゃあ、決まりだね」


 にこにこ、にこにこ。

 何だか勝ち誇ったようなカミルさんの顔に、してやられた──と、ちょっとだけ思ったものの。


 まあ、こちらとしてもメリットしかないのでいいや、と結論付けた。


 もちろん、ほぼ初対面の男性と、住み込みの仕事という形ではあれ、同居するということになったのには、少なからず抵抗はあった。

 だけど──彼の紡ぐ、あの優しい世界を見た私には、彼が悪人だとは、思えなくて。


(だから、多分大丈夫)


 根拠は無いけれど、きっと大丈夫だろう、と、私はそう感じていた。



 だから、これは、決して、けっっして、超好条件の仕事とその報酬の高さに目が眩んだ訳ではないのである。


 そう。そんなことはない。

 断じて、そんなことはない。

 …………そんなことはない、と……思う。……多分。


(ま、まあ、それはそれで置いておいて!)


 それはあとで考えよう、うん。

 今はまだ、口頭の約束だけで、正式に決まった訳じゃないしね!

 これはダメだと思ったら、断ればいいしね!



 そんなことを考えつつ、私は改めて、カミルさんに頭を下げた。


「どうぞよろしくお願い致します」

「うん、よろしく。じゃあ、詳細は後日、また話そう」

「はい」


 そして、ひとまず、その日は家に帰り──なんと、カミルさんが通り馬車代を払ってくれたので、日が落ちる前に、家に帰ることが出来た──、その後、数回の話し合いを経て、私は正式に、カミルさんの助手になることに決まった。


 ……ちなみに、その話し合いの間に、カミルさんがとても優しい良い人だということがよく分かって、やっぱり私の勘は当たっていたのだと、ちょっとほっとしたのは内緒である。




 ***




 そんなこんなで、あっという間に時間は過ぎていき、今日は、助手として働き始める、初日。


 朝早くに起きた私は、大きな旅行鞄──私の所有物全てが入っている──を持ち、街の郊外にある、カミルさんの自宅兼アトリエに来ていた。


 家の周りは、森に囲まれていて、自然豊かな良い場所だ。

 カミルさん曰く、この森には、薬草などの、仕事に使える植物が多く生息しているらしく、色紡師という職業的にも良い場所らしい。


(なんだか、怒涛の日々だったなぁ)


 目の前にそびえ立つ大きな一軒家を見上げながら、そう考える。


 初めて露店街に行ったら、カミルさんと出会って、その日のうちには助手になることに決めて。


 その後は、話し合いと、今までの仕事を辞める手続きだの、引っ越しのための部屋の片付けだのに時間を費やし。


 やっとそれらが終わったと思ったら、もう今日から、新しい生活が始まる。


(そう考えると、頑張ったよね、私……)


 ちなみに、ティナたち友人には、カミルさんのアトリエが本格始動してから、私が助手になったということを伝える手筈になっている。


 そのため、私は、友人たちに理由も話せずに、引っ越しすることになってしまった。

 まあ、それがなぜなのかを誤魔化すのに結構骨が折れたが、どんな仕事でも、働く上で守秘義務というのは、どうしたって発生してくる。


 そして、私はこれまでの経験から、そういう時の対処方法をしっかり学んでいた。

 なので、まあとりあえず、なんとかした。


 それでも、郵便配達の仕事についているだけあって、情報通であるティナの目を誤魔化すのには、相当苦労したけれど。


(まあ、これからのことに不安が全く無い訳ではないけど……。きっと、なんとかなるよね!)


 大きく息を吸い込み、深呼吸をする。

 そうして、気持ちを整えた私は、コンコンコン、と扉をノックした。


(今日は、記念すべき新生活一日目。気を引き締めて頑張ろう!)


 気合いを入れていると、カチャリと鍵が開く音がして、カミルさんが顔を出す。


「カミルさん、おはようございます」

「フィーリアさん、おはよう。改めて、これからよろしくね」

「はい!」


 そうして、差し出された手を握り、カミルさんと握手を交わす。


(よし、頑張るぞ! ひとまずお給料分くらいは役に立てるように……!)
















 そう意気込むこの時の私は──この決断がもたらす本当の意味を、まだ、分かっていなかった。



 だから、この時から、知らぬ間に私の運命が変わっていくということも──


 ──私は、まだ知らない。



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