第二十一話 幸せ
「カミルさん、ご飯出来ましたよー」
昼食の支度を終えた私は、ソファで本を読んでいたカミルさんを呼んだ。
しかし、いつものことながら、返事がない。
(まったく、もう。静養中だっていうのに)
ずっと本を読んでいたら、身体が休まらないじゃないか。
と、内心不満を言いつつ、ソファへ近寄る。
あの日、大怪我をして帰ってきたカミルさん。
その後、お医者様にも診てもらい──ちなみに、輝術ではなく紡歌の力で治したことにした──結果、怪我は完治しているし後遺症の心配もないが、やはり静養は必要だということで、しばらくアトリエを休業することになったのだ。
(その辺りの調整は、ヨハンさんが上手くやってくれて、本当に助かった……)
事前に口裏合わせしていた通り、「急病」ということで休業延長してくれていた彼は、それをそのまま続けるというかたちにしてくれたのだ。
そして、診てもらったその日のうちには、カミルさんがヨハンさんをアトリエに呼んでいて、実際に二人で話し合って、色々と策を講じたらしい。
私はその場にいなかったから、詳しい内容はあまり知らないけれど……とりあえず、カミルさんが大怪我をしたことなどは伏せ、別件というかたちで、アルダ方面のモンスター生息調査などをすることになったそうだ。
(ヨハンさんにも心配かけたから、改めてお礼に行かなくちゃ)
そんなことを考えつつ、カミルさんのすぐ近くまで来た私は、先程より大きな声で呼びかける。
「カーミールーさーん。ご飯ですよー」
呼びかけながら、ポンポンと肩を叩くが、しかし、カミルさんは本から目を離さない。
そんな彼にふうと息を吐いた私は──ついに、最終手段に出ることにした。腕組みをして、考える。
(さて、何にしようか)
とはいっても、こんな部屋の中で出来ることは限られているので。
こっそり準備して……はい、もう完成!
その瞬間、小さな光球がカミルさんの目の前に出現した。
「!? 眩しっ……!」
いきなりのことに、驚いて顔を背けるカミルさん。その隙に、彼の肩を叩いて意識を向けさせる。
「フィーリアさん」
ようやくこちらを見た彼に、指を鳴らして光球を消した。
ぱちぱちと目を瞬かせている彼に、また腕組みをする。
「カミルさんが、いつまで経っても気づかないからです。はい、本置いて。ご飯ですよ」
「ごめん、また集中しちゃって」
「勉強家なのはいいですけど、ちゃんと休まないと意味無いじゃないですか」
「あはは……そうだよね」
とはいっても、結局やめないのだ。
苦笑を浮かべる彼に、もう、と思いながらも手を引く。
「……まあいいです。またやり過ぎてたら、私が止めますから」
「うん。ありがとう、フィーリアさん」
そう言ってにこにこ嬉しそうに笑う彼に、不覚にもときめいてしまって。
(またどうしてそんな顔を……!)
こっちは大変だっていうのに、そういう風にされたら、怒るにも怒れなくなるじゃないか。
そんなことを思いつつ、二人向かい合わせにテーブルについた。
席についてからも、カミルさんはにこにこしっぱなしだ。
「今日も美味しい。優しい味がする」
「お好みに合ったなら良かったです」
「うん。フィーリアさんが作るものなら、なんでも好き」
食べる最中に落とされた爆弾に、勢いよくむせ込んだ。
「大丈夫!?」
「だ、だいじょうぶ、です……」
ガタリと立ち上がったカミルさんを、手で制して、水を飲んだ。
冷たい水が喉を通るが、それに反比例するかのように、頬が熱い。
ちらりと見ると、カミルさんは心配そうな顔をしていて……内心、ちょっとため息をつく。
(……分かってやってるのか、無自覚なのか分からないからタチが悪い……)
あの日、想いを告げてから、私たちの関係は変わった。
さっきみたいに、カミルさんの前でだけ私が輝術を使うようになったのもそうだけど……実は、一番変わったのはカミルさんだ。
あの時に想いが通じあってからというもの、カミルさんの雰囲気が──なんだか、いきなり甘くなったのである。
……いや、いきなりというか、なんというか……。
いつもではないんだけど、合間合間に、こう……甘い言葉だったり、軽いスキンシップだったり。そういうものを、挟んでくるようになったのだ。
まあ、手を繋ぐとか、ハグとか、そのぐらいなんだけど。
(私、それですらこの調子だからな……このままで、心臓もつかな……)
不意打ちで来たりするので、本当にもう、色んな意味でどきどきしっぱなしなのである。
そうしてご飯を食べた後は、いつものようにカミルさんがお茶をいれ始め、ティータイムとなった。
鼻歌交じりに茶葉を選んでいるカミルさんは、楽しそうだし、元気そうだ。
それでも、彼が大怪我をしたばかりであることには変わりなく。
(本当は、ちゃんと寝てて欲しいんだけど……)
しかし、身体に異常はない上、本人が寝ているのは暇だというので、私の目の届く範囲で活動してもらうことで折り合いをつけたのだ。
だからさっきも、アトリエではなくここのソファで本を読んでいたのである。
(アトリエに行かせると、本格的に仕事し始めちゃうからなぁ)
お菓子などを用意しつつ、内心嘆息する。
依頼は今受け付けていないため、仕事というよりも研究になるのだが……それも始め出すと止まらないのは、今までの経験上よく分かっている。
なので今の私は、カミルさんを極力アトリエに行かせないように、密かに尽力しているのだった。
……と、考えているうちに、お茶をいれ終わったらしく、カミルさんがポットとカップ二つをトレイに乗せて持ってきた。
受け取ろうとすると、ひょいとかわされ、違う方向を指し示される。
「あっち行こう?」
そう笑ったカミルさんは、お菓子のお皿も持ち上げ、ソファの方へ向かった。
そして、横並びにカップを並べて、にっこり。
「ほら、フィーリアさん」
ポンポンと手で叩いて指定されるのは──カミルさんの、真横で。
(くっ……そうかな、とは、ちょっと思ったけど……!)
そのことに、既に顔が赤くなるのを感じつつも、嫌だとは言えない私は黙って隣に座った。
しかし、やはり恥ずかしくて、少し隙間を空けて座ったのだが──
「っ!?」
すかさず、カミルさんがぐいっと私を抱き寄せた。
びっくりして顔を上げると、目と鼻の先に、彼の顔があって。
その近さにぴたりと止まってしまった私に、彼はいたずらっぽく微笑みかける。
「ダメだよ、離れちゃ。……そもそも、近くにいろって言ったの、フィーリアさんだからね?」
「そ、それは……!」
それはただ、カミルさんを休ませるための口実であって。
(こういう意味じゃないんだけど!)
もう心臓がバクバク言っている。すると、そんな私をじっと見ていたカミルさんが、いきなり、ぎゅうと抱きしめてきた。
(ひえっ!?)
いつかより近い距離、カミルさんの匂い、伝わってくる温もり──
驚いて恥ずかしくて、何も言えずに固まっていると、少しして、満足げな笑みでカミルさんが身体を離した。
「ん、フィーリアさん補充出来た」
とろけるような笑みを浮かべる彼に、どんどん顔が熱くなって止まらない。
(〜〜っ)
このままではどうにかなってしまうと思った私は、何を思ったか、お皿からサッとクッキーを手に取り。
「──はいこれどうぞ!」
勢いよく、カミルさんの口に突っ込んだ。
「美味しいでしょう!? お茶冷めますから早くいただきましょう!」
早口で言い切り、そこではたと気づく。
(はっ、私、何やって……!?)
見ると、カミルさんは目をまん丸にしていて。
やってしまった、とあたふたしていると、カミルさんがふっと笑い、私の手からクッキーを取って飲み込んだ。
「うん、フィーリアさんの言う通り美味しい。お茶、冷める前にいただこう」
「あ……はい」
にこやかに言うカミルさんに、恥ずかしさを隠しながら小さく頷いて。
そうしてようやく、普段通りのティータイムになり、内心ホッとひと息したのだった。
(はあ、びっくりした……)
しかし、普通の会話になっても、やはり前より距離は近いので、相変わらず心臓はどきどきしているけれど……まあそれでも、さっきよりはだいぶ平常心に戻ってきたな、うん。
(……いつか、慣れる日が来るんだろうか)
……そんな日、一生来ない気がする。
そうして遠い目になりかけつつも、平静を装いお茶を飲む。
すると、会話が途切れたところで、くるくるとカップを揺らしていたカミルさんが、ぼそりと呟いた。
「…………ブラックワイバーン……素材、持って帰りたかったなぁ……」
「あ……! もう、またそんなこと言って!」
一言一句聞き漏らさなかった私は、キッとカミルさんを睨みつけた。
怒る私に、ハッと我に返ったカミルさんが、サッと顔の前に両手を上げる。
「ごめん! ……そんなに怒らないで」
「怒ります! いくら貴重な物とはいえ、命の方が大事ですっ!」
ぷりぷり怒る私に、カミルさんが申し訳なさそうに眉を下げた。
現れた二頭共に倒してしまったカミルさんだが、素材をとれなかったことを、数日経った今でも悔やんでいるようで。
(どれだけ、人が心配したと……!)
けれど、それは彼も十分に分かっているのだ。研究者としての性か、ついそういう風に思ってしまうだけで。
まあ、カミルさんらしいなとは思うけど……しかしこればかりは譲れない。
「本当に、ごめん。もう言わないから、許して」
「絶対ですよ?」
「約束する」
断言したカミルさんに、それなら許そう、と怒りを解いた。
ふう、と息をついていると、カミルさんが呟きを落とす。
「……。それに……ブラックワイバーンがそのまま倒れていた方が、他のモンスターへの牽制になっていいだろうしね」
少し目を伏せた彼は、遠い町を憂いているようだった。
「……あの後、情報は何も来ないんですか?」
「うん。フィーリアさんが聞いた話も含め、伝手を使って色々と調べているけど、これといった進捗はまだ無い。本来あそこは、あれほどのモンスターが来る場所ではないんだけどね……」
さらに声を落とすカミルさん。
聞いた話によると、アルダの樹海は環境こそ複雑だが、高ランクのモンスターが住むような場所ではないらしい。
だからこそ、カミルさんも普段通りの準備しかしておらず、緊急連絡用のアイテムなども持って行っていなかったそうだ。
どうして、そんな所にブラックワイバーンが現れてしまったのだろうか。
考える私の横で、カミルさんが、ふ、と微苦笑する。
「本当に、この能力にあれほど感謝する日が来ようとは、思ってもみなかったよ」
トン、と目元に触れたカミルさん。
そんな彼に、控えめに尋ねかける。
「その目で、弱点を見たんでしたっけ」
「そう。あとは、どういう風に攻撃してくるか、おおまかな予測も出来るからね。頭を使いながらの戦いは苦労したけど……倒せて良かった」
苦笑を深めたカミルさんに、きゅうと胸が痛む。
脳裏に、あの日血だらけで倒れていた彼の姿が浮かんだ。
けれど、そのことについてあえて触れることはせず──
(……今なら、聞けるかな)
思い切って、もう一つ聞きたかったことを、尋ねてみることにした。
「あの、カミルさん。もし良かったら……その力について、教えてくれませんか?」
おそるおそる尋ねた私に、カミルさんはふっと笑った。
「いいよ。何が知りたい?」
優しく促すような視線に、ホッとしつつ、少し考えて口を開く。
「えっと……普段は“視ないように”、って言っていましたけど、あれは、具体的にどうやっているんですか?」
“視ないように”という言葉だけ聞けば、目をつむるくらいしか思いつかないけれど……そうではないらしいので、ずっと気になっていたのだ。
「ああ、それは……なんて言えばいいかな。こう、自分なりに訓練した結果、スイッチを切ったり入れたりするみたいに、意図的にそこの感覚を閉じたり開いたり出来るようになったんだ」
「訓練……ということは、最初はいつも視えてたんですか?」
その問いに、彼はこくりと頷く。
「でも、そうしていると情報量が多すぎて……それに、視たくないものまで視えるから、ちょっと辛くてね。……人は、集中しないと全部は視えないけれど、それでも全く視えない訳じゃないから」
「…………」
そう話すカミルさんは、笑っているのに、どこか寂しげで。
黙り込んでしまった私に、カミルさんが明るく笑いかける。
「だけど本当に、今は感謝しているよ。一番は──こうやって、君に会えたから」
優しい笑みを浮かべる彼に、私もつられて微笑んだ。
「それは、私もです。あなたのその力のおかげで、私は救われたんですから」
「ふふ、君がそう言ってくれるなら、持っていたかいがあったよ」
そうして二人で笑い合い、そこからまた、穏やかな時間が流れ出した。
一緒にお茶を飲み、たわいないことを話す、なんてことない日常の風景。
でも、私にとっては、この時間が何よりも幸せで──自然と笑みが零れた。
(昔の私には、想像もつかないだろうなぁ)
こんな未来があるだなんて。誰かと、こういう風に笑い合える日が来るだなんて。
これは、昔の私が思ってもみなかったこと。
だから、今のこの幸せを、身に染みて感じる。
“私”という存在をそのまま受け入れてくれる人がいるというのは、なんて幸せなことなんだろうと、心からそう思う。
「ねえ、カミルさん」
隣を見上げ、その名を呼んだ。すると彼は、私を見てふわりと笑う。
「どうしたの?」
柔らかな声音、穏やかな眼差し。彼が私に向ける全てが、暖かくて、優しくて──それら全てが、どうしようもなく嬉しくて、愛おしい。
きゅうっと胸が熱くなるほどに、想いは溢れて。自然とそれは零れ出た。
「カミルさん、大好き」
突然のことに驚いた新緑の瞳が丸くなる。けれど、恥ずかしさよりも、その綺麗な色の中に私が映っている嬉しさの方が勝って、その手を握って笑う。
「あなたのそばにいさせてくれて、ありがとう。ずっとずっと、大好きですよ」
自分でも言っていて恥ずかしくなったけど、それでも、想いは止められなかった。
だけど言い終わったところで、やっぱり恥ずかしい、と顔に熱が集まっていくのを感じながら少し目を逸らす。
すると、驚いて固まっていたカミルさんが、突然もう一方の手で顔を覆い、深く息を吐いた。
その反応に、嫌だったのかと焦って慌てて口を開こうする。けれど、それよりも先に、カミルさんが手の隙間からぽつりと零した。
「……今のは反則でしょ」
「え?」
咄嗟に聞き返した私に、カミルさんは顔から手を離し、私の方を向く。
その顔が赤くなっているのを見て、嫌な訳ではなかったのだと安堵するのと同時──その瞳にいつもはない熱が灯っているのも見えて、ボンッとさらに顔が熱くなった。
「……君が慣れるまでは、と思ってずっと我慢してたんだけど……」
カミルさんの顔がすっと近づいてくる。新緑の瞳が、私の知らない甘さをはらんでいる。
「一応言っとくけど、これはフィーリアさんのせいだからね?」
「え。あ、の?」
もしかして、私は何かやらかしてしまったのだろうか。
慌てて手を離したけれど、それは許さないと言わんばかりに、カミルさんが絡めとるように私の手を握る。
そうしてそのまま、くるりと向きを変えられ、背もたれに押し倒された。
吐息がかかるほどの距離に、カミルさんがいる。そのことに驚いて緊張して、私はただ顔を赤くするだけで動けない。
「フィーリアさん」
そんな私を見つめながら、蜜よりも甘くとろけるような声が私を呼ぶ。熱のこもる瞳に射抜かれて、目を離そうとしても離せない。手から伝わる温もりが、熱くて堪らない。
カミルさんの指が、そっと私の唇に触れる。
「キス……してもいい?」
尋ねかける言葉だったけれど、その瞳は、その声は、もう拒否することが出来ないほど、すぐそこにまで来ている。
どくんどくんと、否応なく高まっていく鼓動と熱に、もう溶けてしまいそうで。
けれど、かかる吐息の、痺れるような甘さに抗えなくて。
きゅっと目をつむって小さく頷くと、ほっとしたように吐かれた息の後──そっと唇が重なって。
初めてのキスは、甘い甘い、幸せの味がした。




