第十九話 涙が溢れて
そうして、しばらくの間、溢れる光は止むことがなかった。
疲労に汗が滲んだけれど、術の保持に必死で、それを拭うことすら出来なかった。
どれくらいそうしていたかは分からない。
けれど、それでもだんだんと、消費される輝力の量が減っていき、光も淡くなっていって──
ある時、ふっ、と光が消えた。
それと同時に、張り詰めていた力が抜け、ぐらりと身体が傾く。
(……あ)
前のめりに倒れるような姿勢になり、しかしそれを立て直す気力も残っておらず、咄嗟に目をつむった──瞬間のことだった。
「フィーリアさん!」
焦った声音と共に、ふわりと、何かに抱きとめられた。
「カミル、さん……?」
思うように働かない頭で問いかけると、彼はくしゃりと、今にも泣きそうに顔を歪めた。
「ごめん、ごめんね……」
「なんで、カミルさんが謝るんですか……」
何もカミルさんのせいじゃないのに。
これは全部、カミルさんを傷つけたもののせいで──
「──っ、怪我! カミルさん、怪我は!」
そこで一気に思考が回り出した。バッと身体を起こし、目の前の彼を見る。
すると、服はあちこち破れていたが、そこから覗く肌は、どこも綺麗に治っていた。
【清浄】の効果で、血の汚れも全て取れている。
「どこか痛いとか、おかしいとか、ありませんか!?」
それでも安心出来ずに問うと、彼は泣きそうな顔のまま、笑った。
「……大丈夫。フィーリアさんが全部治してくれたから、もうどこも痛くない。ほら」
そう言って、軽く肩を回したり、手を動かしたりしたカミルさん。
その動きにも、何もおかしいところは無く、私はようやく安堵して──先程までとは違う涙が零れた。
「っ……。良かった、本当に良かった……!」
ああ、助けられた。
カミルさんは元気で、そして今、私の目の前にいる。
感情が抑えきれず、顔を覆って泣いた。そんな私を、優しい手が包み込む。
「本当に、ありがとう。そしてごめん……心配をかけて、辛い思いをさせた。全部僕のせいなのに、フィーリアさんに一人背負わせた……」
「だから……っ、なんで、謝るんですかっ……」
しゃくりあげながらも抗議すると、背中に回された手が緩み、カミルさんの顔が見えるようになった。
涙で滲む視界の中、彼はどうしてか、困ったような、申し訳なさそうな、自分を責めているような、そんな表情をしていた。
それを不思議に思っていると、カミルさんは何かを覚悟するかのように、顔を下げ──それから、まっすぐに私の目を見て。
「フィーリアさん、僕は……君が何か辛い思いを抱えていて、それを隠していることを知っていたんだ。それなのに……僕は、こんなかたちで無理やり……っ!」
だから、本当にごめん、と。
謝っても謝りきれないと、悔いに顔を歪ませて、カミルさんはそう言った。
その言葉に、ぴたりと動きが止まる。
(……え?)
今、カミルさんはなんと言った?
いや、それよりも──
そこでようやく気がついた私は、驚きと困惑に、目を見開いて固まってしまった。
「……どう、して……」
零れた言葉に、カミルさんが後悔の滲む顔で目を逸らす。
でも、違う。そうじゃない。
「……どうして、私が怖くないの?」
「え……?」
私の問いかけに、カミルさんが目を見開いた。
だけどその瞳の中に、本来あるべき感情は、何一つ見当たらなくて。
そのことに困惑した私は、続けざまに尋ねかける。
「どうして? 私の、あの輝力を見たはずなのに。それなのに、なんで怖がらないの? 私が怖くないの?」
「フィーリア、さん?」
なんで、どうして?
どうしてあなたは、そんな目で私を見るの?
恐怖も、怯えもおののきも、何一つ無い普通の目で。
その上──
(私を、心配するような、目を)
そのことが、信じられなくて。
堰を切ったように、私は叫んでいた。
「私……っ、私は、白髪なのに! 『色無し』で、本当は輝力を持っているはずがないのに! いるはずのないものなのに……!」
視界に映るカミルさんが、驚いた顔をしているのが分かる。けれど一度溢れ出した感情は、止まってはくれなかった。叫んでいる間に、感情と共に涙まで溢れ出す。
「だから皆、私を、“化け物”って……っ」
そう呼んで、逃げたのに。
ボロボロと、涙が零れて止まらない。そうして自分でも訳が分からずに泣いていると、カミルさんが、強く、私を抱きしめた。
大きな手が私を包み──それに驚いていると、優しい声が降ってきた。
「フィーリアさん、落ち着いて。大丈夫。僕は、君を怖がったりしないよ」
優しくも力強いその言葉が嬉しくて、けれど同時に戸惑って。
私はただ涙を流すだけで、何も答えられなかった。
すると、そんな私をあやすように、カミルさんが背中をさする。
「……。フィーリアさんは……ずっとずっと、傷ついてきたんだね……そして、それを思い出させてしまったのは僕だ。本当に、申し訳ないことをしてしまった……。……でもね、フィーリアさん。これだけは、知っておいてほしい」
そこで言葉を区切った彼は、ゆっくりと私に語りかける。
「世界には、そう思っている人しかいない訳じゃない。僕もそうだ。僕は、君が強い輝力を持っていても、なんであろうとも、たったその一面だけで、君を遠ざけたりしない」
「…………ほん、とうに?」
震える声で尋ねると、カミルさんは優しく言葉を続ける。
「本当だよ。僕は、フィーリアさんがとても優しくて、努力家で、まっすぐな人だということをよく知っている。こんなにも辛かったのに、僕を助けてくれた、勇気ある人だと知っている。そんな君を、尊敬こそすれ──どうして怖がったり出来る?」
紡がれる言葉は、全てがどこまでも優しくて、暖かくて。
柔らかく私を包むようなその声に──……私は、込み上げる涙を止められなくなった。
言葉もなく、あやされるままにただ涙を流していると、静かな声で、彼はまた語りかける。
「……ずっと、辛かったね、苦しかったね。でも、もう一人で抱え込まなくていいんだ。今ここには僕しかいないから、全部吐き出していい。苦しかったって、傷ついたって、言っていいんだよ」
背中をさする手を止め、代わりに私を抱きしめた彼は、そっと、言葉の続きを紡ぐ。
「こんな僕では、頼りないかもしれないけれど……。君が抱えきれないものは、僕が一緒に背負うから。だから、どうか──フィーリアさん。君の重荷を、僕に分けて」
──とくん、と心臓が鳴った。
それは、ずっとずっと、私が欲しかった言葉。
すぐには答えられなくて、けれど、彼はそんな私をじっと待っていてくれて。
本当にいいのかと、問うように顔を上げた。
すると、彼は答える代わりに、限りなく優しい笑みを、私に向けて──
(っ……)
その瞬間、私の中に封じ込められていた全てが溢れ出した。
「辛かった……悲しかった……っ! だって、みんなみんな、白髪が輝力を持ってるはずが無いって……!」
それは、この国の常識。
でも……それなら、私はどうなるの?
私は確かにこうして、存在しているのに。
「ねえどうして? どうして、誰も私を認めてくれないの? どうして……っ」
「うん、悲しいね……君はこうしてここにいるのに、どうして認めてくれないんだろう。そんなの、おかしいよね」
「っ、おかしい、よ……!」
そうして思いを吐き出しているうちに、思考がぐちゃぐちゃになって、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
だけどカミルさんは、それを止めることも、否定することも無く──ただひたすらに、私の話を聞いてくれて。受け止めてくれて。
そうして、もう、言葉すらも出てこなくなった私は、カミルさんの胸に縋り付くようにして、泣き続けたのだった。
・・・・・
しばらくして、ようやく涙がおさまった頃、カミルさんが私の顔を覗き込んだ。
「……大丈夫?」
優しい問いかけに、こくりと頷いた私は、そこでやっと、今の状況に気がつくことになる。
それはすなわち──カミルさんに抱きしめられている、ということで。
(あ、わ、私……!)
なんてことを!
というか、それよりも!
「カミルさん、身体は!? 増血剤、まだ飲んでませんよね!?」
全力で術を放ったせいか、床の血溜まりすらも綺麗に消えていて忘れてしまっていたが、彼は大怪我をして帰ってきたところなのだ。
怪我や、生命力──つまり体力は回復させたが、あの術は、失った血までは取り戻せない。
薬を取りに行こうと慌てて立ち上がった私は、けれど、疲労でつまずいてしまって。
「あっ!」
それを止めてくれたのは、さっと立ち上がったカミルさんだった。
またもや抱きとめられるかたちになり、急いで離れようとしたが、上手く力が入らない。
すると、そんな私を見て、カミルさんが困ったように言う。
「……フィーリアさん、ちょっと落ち着こう。君も万全じゃないんだから」
「うぅ……すみません……」
怪我人に諭される私。
いや、本当に何をしているんだろうか。
冷静になった頭に、今までの全てがよみがえる。
(治した後に、いきなり泣きわめくなんて……!)
しかも、完全に私の事情で。
羞恥と後悔と自責の念とで悶々としていると──カミルさんがポン、と肩に手を置いた。
「はい、もう自分を責めない。何もフィーリアさんは悪くないんだから。ね?」
「……。……はい」
優しくも有無を言わせないような笑みに、小さく頷いて答えた。
……なんだろう、これじゃあ、私がお世話されてるみたいだ……。
「よし。じゃあ……ひとまず、場所を移そうか。ちょっと時間が時間だけど……フィーリアさんも、色々僕に聞きたいことがあるだろうし」
その言葉に、思い出した。
そうだ、私はまだ、何も聞いていない。あの言葉の意味も、どうしてあんな大怪我をしていたのかも。
すると、心中を察したのか、カミルさんは私を安心させるように微笑んだ。
「大丈夫、全部ちゃんと話すから。えっと……場所はダイニングでいいかな。フィーリアさん、先に行っててくれる? 僕はちょっと、着替えてくるよ」
苦笑して服をつまむ彼に、ハッと気づく。
血の汚れは綺麗になっているけれど、破れた所はそのままだ。
さらに、私の涙でびっしょり濡れてしまっている。
「ああああ! すみません!」
「ああ、いや、そんなに慌てなくて大丈夫だよ。ついでに増血剤も飲んでくるから、心配しないで」
そう笑って、カミルさんは自室の方へ歩いていった。
カミルさんの部屋はアトリエ部屋と近いから、薬もすぐに飲めるだろう。
そうしてその背を見送った私は、一人になったところで、その場にずるずるとしゃがみ込んだ。
両手で顔を覆い、やらかしてしまったことにため息をつくが、それと同時に、なんとも言えない感情が込み上げてくる。
それは、安堵と喜びと驚きと、まだ少し信じられなくて、それでもやっぱり嬉しくて……それらが全部混ざったような、そんな気持ち。
「本当に……全部、受け止めてくれたんだよね……」
それも、何も聞かずに、全部、全部。
私の抱えていたものを、一緒に背負うとまで言ってくれた。
そのことに、心がふわりと軽くなったような心地がする。
「でも……ちゃんと、聞かないと」
伏せていた顔を上げた。
私は、聞かないといけない。
どうして、そうしてくれたのか。
本当に彼は、私のこの秘密を、知っていたのか。
ちら、と床に目を向ける。
そこには、ポーションの瓶が散らばっていて、カミルさんのウエストポーチもそのままある。
そのポーチにも大きな傷がついているのを見た私は──そのことに胸が痛むと同時に、本当に助けられて良かったと、心からそう思った。
そうして、ひとまず、散らばっている瓶をウエストポーチに入れ、簡単にその場を片付けたところで、私はダイニングへと向かった。




