第二話 色紡師との出会い
そうして、お店を出た私は、また街中をぶらぶらと歩いていく。
(せっかく休みだから、露店街に行ってみようかな)
露店街とは、その名の通り、様々な屋台や露店が立ち並ぶ通りである。
私が住んでいる場所からは離れているから、まだ行ったことは無かったけど、今日は休日だ。
足を伸ばしてみるのも、良いかもしれない。
そう思って、私はその露店街へ向かい始めた。
今いる場所から露店街までは、歩いていくには割と時間がかかる。
通り馬車──街中のみを走る辻馬車のこと──を使えば良いのだろうが、余計な出費は出来るだけ控えたい。
(今日はいい天気だし、のんびり歩いて行こう)
幸い、空は快晴で、雨は降りそうに無い。
それに、私は田舎の出身だから、歩くのも別に苦ではない。
すれ違う人々や、活気のある街並みを眺めながら、歩を進めていく。
今、私が住んでいる、このヴェルデの街は、王都からは離れているが、そこそこ栄えていて、大きな街である。
そして、治安も良いので、住みやすい、良い所だ。
(まあ、だからと言って、悪いことが全く無い訳ではないけれど)
行き交う人々の中を進んでいくと、私の髪を二度見して笑ったり、あからさまな侮蔑の目を向けてくる人も、やはりいる。
でも、そんなことは気にしない。
私は、そういう人ばかりでは無いことを、ちゃんと知っているから。
まあ、もちろん、そういう目を向けられて、良い気はしない。
だけど、そもそも、どこの誰とも知らない人に悪口を言われたって、ねぇ?
「一体あなたは私の何を知ってるの?」って感じだよね。
人は見た目じゃないんだよ、と教えてあげたいくらいだ。
それに、他国では輝力が無い人の方が多いらしいから、そもそも持ってない方が普通なんじゃない? とも思う。
そうして、そんなこんなを考えながら歩くことしばし。
私はついに、目的地に辿り着いた。
「わぁ。話には聞いてたけど、本当に凄い」
私の目の前には、気持ちが良いほど真っ直ぐに敷かれた一本の道があって、その両脇には、たくさんの屋台や露店が立ち並んでいた。
飲み物を売っているお店に、串焼きや棒状の揚げ菓子など、片手で食べられるような物を売っているお店、はたまた骨董品らしき何かを売っているお店など、本当に色々なお店がある。
「こんなにあったら、目移りしちゃう」
私がたった数歩進んだだけでも、お店の雰囲気はがらっと様変わりする。
それだけ、多くの店が立ち並んでいるのだ。
なんだかごった煮みたいな場所だなぁと、ふとそう思った。
お店自体は綺麗に一直線に並んでいるけれど、それぞれのお店が持つ雰囲気は、まさに多種多様。
色々なものが混ざっていて、そしてそれぞれが輝いている。
きっと、これこそが、この場所の魅力なのだろう。
(こんなに楽しい所なら、早く来れば良かった)
お金はあまり使いたくないから、何か買うことは無いけれど、見ているだけで楽しい。
それに、こういう場所なだけあって、冷やかしでも文句を言う人はいなかった。
ふんふふーん、と鼻歌交じりに歩いていく。
(わ、あのペンダント可愛い)
歩いていくうちに、良さげな小物屋さんを見つけた。
「お、そこのお嬢ちゃん! うちは見ていくだけでも大歓迎だよ!」
すると、私が目を止めたのに気づいたらしい店主のおじさんが、そう言って手招きしてくれた。
それでは遠慮なく、と近づいて、商品を見る。
「どれも素敵ですね」
「そうだろう? うちは、『安いけど質は良く』をモットーにやってるんだ」
誇らしげに胸をはるおじさんに、「だから、こんなに良い物ばかりなんですね」と微笑む。
「おう、そうだろう! お嬢ちゃんはべっぴんさんだからな。こんなのが似合うんじゃないか?」
「似合いますかね?」
「似合うとも! ちょうど鏡があるから、着けて見てみるか?」
そうして、店主のおじさんが見繕ってくれたアクセサリーを次々に見ていく。
(これ、いいかも)
値段も良心的だし、自分へのご褒美に、何か買っちゃおうかな。
最近、忙しくて大変だったし、たまにはこういうのも、いいよね?
そう考えて、どれを買おうかと見始めた──その時。
突然、ガシャーンッ! と、何かが割れる音が、盛大に響き渡った。
それに驚いて振り向くと、どうやら、近くの店にあった、売り物の花瓶が割れてしまったらしい。
音の大きさに納得するくらい、粉々になっている。
「おい、小僧! なに壊してくれてんだっ! 高いんだぞ、これ! お前が払ってくれるとでも言うのか!?」
「ご、ごめんなさい……っ」
どうやら、近くで遊んでいた少年が、転んだ拍子にうっかりぶつかって、割ってしまったようだ。
お店の敷物の一番端にある花瓶だったので、他の商品に被害は無いようだが──
「あぁ〜……あの子も運が悪いねぇ。あれに当たっちまうとは」
しかし、同じくそちらを見ていたらしいおじさんが、ふとそう零す。
「……そんなにお高いんですか、あれ」
声を潜めて尋ねると、おじさんはこくりと頷いた。
そして、私に耳打ちしてくる。
(!? そ、そんなに?!)
耳打ちされた金額を聞いて、私は驚いた。
とてもじゃないが、ここで売るような物では無いだろう、そんなの。
というか絶対に、そんな高価な物を道端に置いていた方が悪い。
だけど、私が再び少年の方に目を向けても、助けようと動き出している人は、一人もいなかった。
ここにいる全員が、分かっているのだろう。
助けに入ったところで、どうする事も出来ないと。
しかし、その間にも、少年は怒鳴られ続けている。
そして、俯いている少年の足元には、ぽたぽたと雫が零れ落ちている。
声をあげるのは必死に堪えているようだけど、少年が泣いているのは、誰の目にも明らかだった。
(それに、あの子、怪我してる……!)
花瓶の破片で切ってしまったのだろう。
手の甲から血が滲んでいる。
(助けて、あげたい。けど……っ)
だけど、私が出て行ったところで、そんなに高いお金、払える訳もない。
それに、あんなに粉々に砕けてしまっては、輝術を使っても元通りには直せない。
だからこそ、皆、知らんぷりしているのだ。
だがこのままでは、あの子も、そしてその家族までもが苦しむことになるだろう。
あの子の身なりからして、裕福な家庭でないだろうことは、明らかだったからだ。
そんな人たちが、あんな額を払うのは、持ちうる全てを売っても、到底無理だ。
(何か、何か、今の私にも出来ることは。なんでもいいから、考えるんだ、私!)
私は、ぐっと拳を握りしめた。
ここで、私には関係ないからと、見捨てるのは簡単だ。
現に、周りでは、そうする事に決めたらしく、何事も無かったように買い物を再開する人たちもいた。
でも、私は、少年を見捨てられなかった。
例え、何も出来なくても。
出来ることが無いに等しくても。
それでも何か、してあげたかった。
助けてあげたかった。
助けたい、でも──
どうにか出来ないか、必死に考えを巡らせる。
けれど、やっぱり、何の策も思いつかなかった。
その事実が悲しくて、悔しくて、更に拳を握りしめる。
ぎりっと、爪が食い込む音がした。
(……結局、)
結局、私なんかでは──どうすることも、出来ない。
例え、力があったとしても、弱いままじゃ、何も出来やしない。
そんな、自責の念に苛まれる私の視界の隅に──ふと、一人の青年が現れた。
「一体、何があったんですか?」
今のこの場に似つかわしくないほど、穏やかな声で、青年は尋ねかける。
「ああん? なんだ兄ちゃん、こいつの代わりに代金を支払ってくれるとでも言うのか?」
その言葉に、青年は、横にいる少年を見て、その足下に散らばった破片を見る。
そして、納得したように頷いた。
「なるほど、これが割れてしまったんですね」
「そうさ。こいつの不注意でなぁ? 高いんだぜ、これ」
にやにやと悪どい笑みを浮かべる店主。
(やっぱり、わざとあそこに置いてたんだ)
その表情に、私はそう確信する。
けれど、青年は、それを気にする素振りも見せず、おもむろに、割れた花瓶の欠片を手に取った。
そして、まるで何かを観察しているように眺めた後、店主の方に顔を向ける。
「ご主人。もし、これが元通りになったら、全て許して頂けますか?」
「はっ。そりゃ許してやるさ。まあ、直せるとは思えねぇがなぁ?」
それはそうだ。
輝術を使っても直せないあれを、彼が直せるとは、私にも思えなかった。
だけど。
次の瞬間──彼は、衝撃のひと言を放つ。
「そうですか。では、今から直しましょう」
「へっ?」
にっこりと微笑む青年。
驚きすぎて、呆けた顔になる店主。
(ど、どうするっていうの?)
私のみならず、この場にいる全員がそう思っただろう、その、瞬間。
彼は、歌い始めた。
途端、彼の紡ぐ言葉が、音が、目に見える「色」となって踊り出す。
「『色紡師』……!」
突如として現れた鮮やかな彩りに、誰かがそう呟いた。
色紡師。それは、特別な言葉と旋律によって、歌を紡ぎ、色を紡ぎ、様々なものを作る人たちのこと。
色紡師たちは、輝術でも為しえないことを、為すことが出来る。
彼らの歌は、輝術のように、何かに「干渉」したり、「真似」したりして現象を起こすものではなく、その何かを、「創り出す」ものだから。
彼が歌を紡ぐごとに、赤や黄色、緑、青といった、様々な「色」が宙に現れる。
それらは、時に可憐な花々を咲かせ、時には鮮やかな新緑の木々を描き、どんどんと一枚の「絵」を完成させていった。
色紡師が紡ぐのは、世界だ。
一つの歌は、一つの絵となり、世界となる。
そして、その世界が、様々な「もの」を創り出す。
色紡師を直接見るのは初めてだが、いつか読んだ本に、そう書いてあった。
(凄く、綺麗……。そして──)
彼が紡ぐ歌詞の意味は、私には分からない。
それは、色紡師だけが使うことを許された、特別な言葉によって出来ているから。
(優しい、歌だ)
だけど、なぜか私はそう思った。
彼の紡ぐ歌は、紡がれる絵は、その旋律も、言葉も、全てが優しいと、そう思った。
そして、私は、彼が紡ぐ世界から、目が離せなくなった。
それは、次々に描かれていくそれが、あまりにも鮮やかで、優しくて、美しかったから。
歌が進むごとに、絵も完成に近づいていく。
そうして、彼が描いているのは、森だと気づく。
朝露に濡れて、煌めく花々。
その上では、金色の蝶がひらひらと舞い踊っていて、暖かな木漏れ日がその輝きをさらに際立たせる。
その近くには、透んだ清流が流れ落ち、動物たちがそれを飲みにやってくる。
風が吹くと、花が舞い、蝶が舞い、動物たちが歌い出す。
紡ぎ出されるその世界を、私はただひたすらに見つめ続けた。
どのくらいそうしていたか、分からない。
けれど、ついに、歌は終わりを迎える。
歌が終わると同時に、絵が完成した。
宙に浮かぶ、美しい森の景色。
それに目を奪われて、誰も声を出せず、何も動けない。
そんな静寂の中に、青年は、その世界に寄り添うように佇んでいた。
そして、満足気に微笑んで、手元の欠片を、ひょいっと絵の中に放り投げて──ひと言。
「出来上がり」
それだけは、私にも分かる言葉だった。
そして、その瞬間──紡がれた絵が、その様々な色が収束し、まるで大輪の花が咲き誇るかのように、眩い光が弾ける。
(っ!)
その眩さに、咄嗟に目を閉じた。
そして──目を開けた、次の瞬間には。
つい先程まで粉々だったとはとても思えないほど綺麗な花瓶が、彼の腕に抱えられていた。