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第十六話 悩みながらでも、前へ

 


 その翌日。

 まだ日が昇らないうちに、カミルさんは身支度を終えていた。

 腰に剣を下げ、冒険者の服に身を包んだ姿は、いつもとは違い、どこか鋭い雰囲気をまとっている。


「さて、これでいいかな」


 荷物と装備を確認し終えたカミルさんは、私の方へ振り向く。


「こんなに朝早くなのに、ごめんね」

「いえ、私がしたかっただけですから」


 申し訳なさそうに眉を下げたカミルさんに、微笑んで首を振る。

 カミルさんは「見送りはいいよ」と何度も言ってくれていたけれど、私がこうしたかったのだ。


「カミルさん、どうか……気をつけて行ってきてくださいね」


 言葉を口にした途端、急に不安が大きくなった。

 いくらカミルさんがAランク冒険者だとしても、モンスターの生息域に踏み込む以上、絶対的な安全なんて無い。

 心配と不安が入り交じって小さくなった声に、カミルさんは「大丈夫だよ」というように、優しく微笑んだ。


「ありがとう。十分気をつけるよ。フィーリアさんも、最近ずっと仕事続きだったから、ゆっくり休んでね」

「……はい、ありがとうございます」


 私を気遣うその言葉に、少し胸がつまりながらも笑みを返す。


「それじゃあ、いってきます」

「お気をつけて」


 そうして、カミルさんは出発した。その背が見えなくなった後、中に入る。

 不安と心配に揺れる自分をなだめながら、カミルさんから聞いた旅程を思い返し始めた。


(ええと、確か……)


 まずは、このまま朝一番の馬車便に乗り、ヴェルデを出る。

 そして、中継地点で何度か乗り継ぎをしながら、約二日かけてアルダまで行く。

 アルダの街に着いたら、そこで一泊して、翌朝早くに「アルダの樹海」に入り、探索。 

 その後は奥地を目指しながらそこで野営し、素材が集まったら『帰還の鈴』で帰ってくる……という予定だったはず。


(改めて思うけど、本当に過密スケジュールだよね……)


 なんとも慌ただしい路程だが、これでもカミルさん的には余裕がある方らしい。

 やはりAランク冒険者というだけあって、体力が凄まじいのだろう。

 ……いや、カミルさんが規格外なだけかもしれないけれど。


「さて。私は、私のやるべきことをしよう」


 休んでねとは言われたものの、ずっとごろごろしているつもりはない。

 もちろん、休む時にはしっかり休むけれどね。


 そうして、ポケットからメモを取り出した私は、それを読み始めた。

 実は、この期間にやっておきたいこと、やることをリストアップしておいたのだ。


 まず、カミルさんから任された薬草類の手入れは欠かさずにすること。

 あとは、この家の大掃除と、レシピ開発を兼ねた料理の実験と、アトリエの素材棚の整理と、本を読んで研究することと──


(……。……そして、結論を出すこと……)


 指折り数えていた手を、ぎゅっと握る。

 そう、私はこの期間に、結論を出さなくてはならないのだ。


 この想いを、告げるか否かを──


「……焦らなくていい、焦らなくていい」


 つい強ばってしまった身体を、ふるふると首を振って解きほぐす。


「時間はたくさんあるから……少しずつ、やろう」


 四日もあるのだ。その間に、少しずつ気持ちを整理すればいい。何も、今この瞬間に答えを出さなくてはいけない訳ではないのだから。

 そう自分に言い聞かせて、私は薬草の手入れのため、アトリエに向かい始めた。


 そうして、本を読んだり、街に買い出しに行ったりと、一日目は何事もなく過ぎていった。

 ……まあ、レシピ開発のために作った料理が、とても形容しがたい味になってしまって、ちょっと大変なことになったりはしたけどね……。




 ***




 そんな感じで、二日目。

 今日は大掃除をすると決めていた。

 普段もこまめに掃除はしているけれど、今回はいつもは使わない部屋を主にやるつもりだ。


 掃除道具を手に、片っ端から部屋を綺麗にしていく。

 窓を拭き、床を磨き、細かい所の埃や汚れも丁寧に落としていく。それを、何度も何度も繰り返した。


「ふう。流石に疲れるな」


 そうして、いくつかの部屋を終わらせたところで、額の汗を拭い、息をついた。

 いつも使わない部屋には、あまり家具は置かれていないけれど、それでもこの広さは大変だ。

 だが、綺麗になった部屋を見ると、清々しい達成感が満ちる。


「うん、ここはもういいかな」


 綺麗になった部屋に満足した私は、少し休憩しようと、椅子に座った。


(これで、半分以上はいったかな。……しかし、覚悟はしてたけど、この家本当に大きいな。部屋数も多いし……)


 今回、改めてそう思った。

 それに、普段使っている部屋はごく一部で、だからこそ余計に思う。

 カミルさんは、どうしてこんなに大きな家を建てたのだろう?


(お客様も、来たことないしなぁ)


 助手になった当初は、カミルさんは色紡師(いろつむぎし)だから、お客様が来ることも多いのだろうと納得していた。

 だが、今まで誰かがここに泊まったことは一度もない。

 一階にある応接室で話をすることは何度かあったが、それだけだ。


(それも私を護るため、なのかな……)


 本当のことは分からないけれど、もしそうだとしたら……そう考えると、期待してしまう自分がいる。

 けれどすぐに、それは自惚れだと首を振った。


(……もしそうであっても、それは私だからじゃなくて、私が白髪だからかもしれない)


 カミルさんは誰に対しても優しいから、私が白髪であることに気をつかってくれているだけかもしれないのだ。

 それに、お客さんがいると研究に没頭出来なくなるので、それが嫌なだけかもしれない。


(それは……いや、カミルさんのことだし、十分ありえる……?)


 というより、その可能性が一番高いかもしれないな……?

 と、なんだか妙に納得してしまった私は、くすりと笑って、また次の部屋の掃除に向かったのだった。




 そんなこんなでその日の掃除目標を達成した私は、早めに夕食を食べ、アトリエにて薬草の手入れをしていた。

 カミルさんから聞いた通りに水や肥料をやりつつ、ふと時計を見て、気づく。


(あ。カミルさん、今頃アルダに着いて──)


 ──そう思った、瞬間。


 今まで抑えていたものが、私を襲った。

 ジョウロを傾けかけた手が止まる。窓から差し込む黄昏色が、俯いた私を覆った。


「…………一人は慣れてるつもり、だったんだけど」


 ぽつり呟いて、振り向いた。

 けれど、どこを見ても、いつもここにいる人はいない。


 そのことに、どうしようもない寂しさを感じて、胸の上でぎゅっと手を握る。


(……苦しい)


 昨日も今日も、一人でご飯を食べた。少し前までは、それが当たり前だったのに。

 美味しいはずのものが、どれも味気なく感じて、食べる手が進まなかった。


 ふとした時に、カミルさんの痕跡を感じた。

 アトリエでも、この家のどこででも。いつもカミルさんが使っている物、いる所──


 それに気づく度に、胸が苦しかった。


「……寂しい」


 少し離れただけなのに、カミルさんのあの翠の瞳が恋しくてたまらない。

 漏れ出た本音に、ジョウロを置いてうずくまる。


 孤児院にいた時も、その後も、こんなに胸がつまるような寂しさを感じたことは無かったのに。

 同時に、それだけ彼の存在が私の中で大きくなっていたということに気づかされて──また、胸がつまる。


 カミルさんは私にとって、もう切り離せない存在なんだ。そう、痛感する。


(まだ、二日も経っていないのにね……)


 今でさえこんな調子なのだ。

 それなら……もし、これがずっとだったなら。

 もう側にいられなくなるのだったとしたら、一体私はどうなってしまうのだろう?


 例えば、もし私が助手を辞めるのだとしたら。

 例えば、カミルさんの隣に別の人が立つのだとしたら──


(……結論を出せるだろうか、だなんて)


 そう思いながら、もう私の中で答えは出ていたのだ。

 ただ、そこから目を背けていただけ。そのことに、心の内で自嘲する。


 どうしようもない感情に、天を仰いだ。



 ああ──やっぱり、私はカミルさんが好きだ。

 どうしても、その想いは隠せない。



 けれど、その想いを伝えるということはすなわち、私の最大の秘密をも告げねばならないことを意味する。

 もし、その秘密を隠して想いを告げ、それが叶えられたなら──きっとそれは、今までの何よりも私を苦しめるものになるから。


 だから、私は言わなくてはならない。

 私の想いと同時に、今までずっと隠し通してきた、私にとって苦い思いしかない、この秘密を。


(でも……)


 それ以前に、もし、この想いを告げたなら。

 結果がどうなろうと、きっとその後の私たちの関係は、変わってしまう。

 それがどっちに転んでも受け止めるという覚悟が、私にはまだ、足りない。



 深く息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。そうして、窓の外を見る。


 目の前に広がるのは、黄昏色と、濃い青が重なり合った空だ。

 昼と夜の、境目の色。太陽の空と、月の空の境目の色。

 美しいその色は──けれど、どっちにもつけずに揺れる、今の私を表しているようでもあった。


「分かってるのにね……」


 誰に言う訳でもなく、呟いた。

 既に、答えは出ているのだ。

 でも、感情にはもう蓋が出来ないのに、身体に染み付いた恐怖が、私の足を止める。


 ずっと避けてきた“もしも”に目が向いて、怖くてたまらない。


 この想いを、伝えたとして。

 もし、拒絶されたら?

 受け入れられたとしても、私の秘密を知った時、彼はどんな顔をするのだろう──?


 不安と恐怖と起こってもいない絶望が、(くさび)となって私を縫い止める。


「…………」


 流れゆく雲を見ながら、息を吐いた。


 感情は、もう決まっている。

 あとはそれを、頭に納得させるだけなのだ。そのために、私は自分に問いかけ始めた。


(本当に辛いなら、ずっと逃げていてもいいんだ)


 そう。本当に辛いのなら、目を逸らしても、背を背けてもいいのだ。伝えない選択肢だってある。

 それなのに、私が悩んでいるのは……


(その方が、何倍も辛いから……でしょう?)


 一人になって、考えてみた。

 目を逸らし続けた先に待つものは、一体なんだろうと。

 そして、逸らさないで行動した先に待つものも、なんだろうと。


 答えは明確だった。

 見ないふりをし続けた先に、私が望む未来は一つも無い。

 けれど、勇気を出して一歩踏み出したその道には、望まない未来もあるけれど──それと同時に、望む未来にも繋がっているのだ。


(分かってる……保証されている未来なんて、どこにも無いんだ)


 今のこの関係が続くとしても、それもいつかは終わる。いつかは消える。

 その時にする後悔と、踏み出してする後悔と、どちらがいい?


 ……結局は、そういう風に天秤にかけて、自分で選んでいくしかないのだ。

 進む先で得るものと失うもの、進まないことで生じるもの、留まり続けることで変わってしまうこと──それらの中で、どれが一番自分の心に叶っているかと。


 今までずっと、気づいていても無意識のうちにでも、確かにそうしてきたように。


 背を押してくれる“誰か”はいない。手を引いてくれる“誰か”もいない。

 だから、自分自身の足で、踏み出さなくてはならない。


 それがどんなに怖くても──苦しくても。


 目を伏せ、胸に手を当てた。

 それから、俯いてしまっていた顔を上げ、もう一度空を見上げる。


(今まで……カミルさんは、ずっとずっと、見ていてくれた。私を、全てから護ってくれていた……)


 それは自惚れだ。ずっと、自分に言ってきたこと。

 確かにそうかもしれない。でも、それは同時に、自分に言い聞かせるための言葉でもあった。目を逸らさせるための言葉だった。


 改めて考える。

 商業ギルドでのこと、依頼の配達のこと、出会った時のこと、街中で私の良くない噂を聞かないということ──

 何も言わないけれど、彼は私のために、一体どれだけのことをしてくれているだろうか。


(それに、カミルさんは、知っている人だ)


 環境は違えど……私が抱く苦しみに似たものを、知っている人。

 だからこそ、きっと──理解してくれる人なんだ。



 窓を開けた。

 風が吹き、私の頬を撫でる。その流れに寄り添いながら、思い切り空気を吸い込んだ。


 虫の鳴き声、きらめく星々。

 生い茂る草木の匂い。暑さの混ざる風の匂い。

 冬のように澄んではいないけれど、夏の夜の匂いは、生命力に溢れている。

 何かが始まるような、そんな気配を持っている。


「カミルさん……」


 あなたも今、同じ空を見上げているだろうか。同じ香りを感じているだろうか。


 もう一段、目を上げた。

 遠いけれど、確かに同じ空の下にいる人を思いながら。


 そして──決めた。


「……言おう」


 決めた。言おう。伝えよう。

 まだ怖いけれど、彼だからこそ、きっと私は踏み出せる──そう、信じて。


 空に向かって、手を伸ばした。


(あなたも、同じ想いでいてくれたらいいのに……)


 いくら自分で考えても、本当のことはその人にしか分からない。

 だから、私の望み通りになるとは限らない。この道の先には、最悪の結果が待っているのかもしれない。

 でも、例え、どうなるのだとしても。


「私は、進む」


 この想いを、止められないと気づいたから。止める方が辛いと思ったから。

 だから、カミルさん。


「待っています」


 遠い空を見上げた。

 待っています。あなたが帰ってくる、その時を。


 この想いを、あなたに伝えるために。



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