第十四話 揺れる心
「じゃあ、行ってきます」
「うん、ごめんね。気をつけて」
商業ギルドに提出する書類を持って、私はアトリエを出た。
アトリエのある森を歩き、街へと向かう。
(……はぁ。今日も、とりあえず“普通”でいられてるかな……)
あの時から、約一週間ほどが経った。
最初こそ、私も挙動不審になることが多かったけれど、それを分かっていないのか知らないふりをしてくれているのか、カミルさんは何も変わらない。
だから、私もなんとかこの演技を続けられている。
いつか、どこかでケジメをつけなければ、とは思うけれど。
未だ、それは叶わない。
「ひとまず、今は仕事!」
それでも、やるべきことは、やらなくてはならないのだから。
ぐっと拳を握って、私は歩を進めた。
そうして、ところ変わって、ヴェルデの商業ギルド。
その中のとある部屋に通された私は、カミルさんを担当している初老の男性──ヨハンさんといって、私もよく知っている人──と、面会していた。
「それで、今日は、休業申請をしたいとのことでしたが……」
「はい。素材採取のためにアトリエを空けるので、その期間は休ませて頂きたいと思いまして」
すっと、カミルさんから託された書類を差し出す。
本当はこの場にもカミルさんが来る予定だったのだが、今日に限って依頼が立て込んで、来ることが出来なかったのだ。
そのため、助手である私が代理申請に来た。
(本当は、いちいち休業申請なんて出さなくてもいいんだけど……)
だが、色紡師だけは、そうでもしないと、舞い込む依頼を止められないので、休業申請を出さないといけないことになっているのだ。
急用であれば仕方がないが、そうでない限りは、前もってアトリエを閉めることを広く周知しておかなくては──帰ってきた時、依頼が溜まりにたまって大変、ということになりかねない。
それに、自分だけでなく、他への迷惑もかかるからね。
「ふむ……ふむ。はい、分かりました。申請期間は、この日にちでお間違いないですか?」
「はい。間違いありません」
書類に目を通したヨハンさんに、頷いて答える。
期間は、今日からおおよそ二週間後の日から、四日間。
私の答えを聞いたヨハンさんは、すらすらと何かを書類に書き込んでいく。
「かしこまりました。それでは、これで手続きをしておきます」
「よろしくお願い致します」
頭を下げると、ヨハンさんは「はい」と、柔和な笑みを浮かべた。
「いやあ、それにしても、素材採取ですか。彼は、あの若さでAランク冒険者でもありますからね……。ご予定では、どちらまで?」
「アルダの樹海だと言っていました」
私の言葉に、ヨハンさんが目を丸くする。
「アルダ! そんなところまで行かれるのですか。ですが、ここからですと……確か、片道二日はかかるかと……」
「帰りは、色紡師の力で帰ってくるそうです」
言外に含まれたことに、ヨハンさんは、今度は別の意味で目を丸くした。
「はあ、なるほど。本当に、色紡師というのは凄い方々ですね」
「私もそう思います」
カミルさんに見せてもらったアイテムを思い出しながら、私は微苦笑を浮かべる。
(『帰還の鈴』……あれ、本当に凄いよね……)
見せてもらったアイテムは、『帰還の鈴』という名称で、「帰る」という意志を持ってそれを振ると、どこにいても一瞬で、鈴に登録された地点に帰ってこれる、というものだった。
作るのがとても大変で、さらに、使う素材が貴重な物であるため、カミルさんでも一つしか持っていないらしいが──それでも、それを作ることが出来、持っているということ自体、凄いと思う。
「しかし、彼のアトリエが閉まるとなると、大変ですねぇ。もう、彼はこの街に無くてはならない存在になっていますから……少しの間でも、各方面から色々とお言葉が来そうです」
ヨハンさんの笑みには、今から疲労の色が滲んでいる。
(あー……そうだよね……)
本来カミルさんへいくはずの依頼が、他へ回ったり、頼むはずのものを頼めなかったり。
カミルさんは、仕事をこなす速度が尋常ではないから、その影響は大きいのだろう。
それこそ、長年商業ギルドに勤めているベテラン職員の彼が、こういう表情になってしまうほどに。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ないです……」
「ああ、いえいえ。とんでもないです。いつも頼りにさせていただいている分、少しでも恩をお返ししたいですからね。それに、こういうことこそ、私たちの仕事ですし」
そう言って笑ったヨハンさんは、心からそう思っているらしかった。
(やっぱり、皆から好かれているんだな、カミルさん)
優しいし、頼りになるし、色々な才能もある。
彼はきっと、どこに行っても人気者なのだろう。
そう考えていると、机の上で書類を整えたヨハンさんが、立ち上がる。
「すみません。長話をしてしまいました。それでは、お送りしますね」
「ありがとうございます」
ぺこりとお礼をして、ヨハンさんの後に続く。
彼は、私が来ると必ず外まで送ってくれるし、自ら出迎えてくれる。
それが、彼の優しさからなのか、はたまたこの商業ギルドのルールなのかは分からないけれど。
(でも、本当にありがたい)
私は、白髪だから、否が応でも目立つ。
この街に、私以外の白髪の人がいない訳ではないけれど、それでもその数は、ごく少数だ。
(街中だと、あまり言われないんだけど……こういうところではね)
何かと絡んでくる人もいるのだ。
別に、商業ギルドが悪い訳ではなく、これはどこに行ったって同じこと。
そういう人がいる時もあるし、いない時もある。
まあもはや、当たるか当たらないかは運の領域である。
そうして、ヨハンさんと世間話をしながら、階段を降りていると──
「すみません! ヨハンさん、少しいいですか」
他の職員の人から、呼び止められた。
どうやら、急ぎの用事があるようだ。
「あぁ……ええと……」
「私なら大丈夫ですよ。お仕事のお邪魔をしてすみません」
私と職員の人を交互に見ていたヨハンさんに、そう言って会釈する。
彼は、しばらく悩んでいたが、申し訳なさそうに頭を下げた。
「こちらこそ申し訳ないです……。それでは、お気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
それに笑みを返し、今度は私一人で、階段を降りていく。
(そんなに謝らなくてもいいのにな)
けれど、そう思ってふと気づく。
(そういえば、私……ここで一人になったこと、無い?)
思い返してみれば、ここにいる時は、必ずカミルさんかヨハンさんがそばにいた。
常に、私含めて二人、もしくは三人で行動していたのだ。
(んん……?)
どうしてだろう、とは思ったけれど。
まあそんなこともあるかもな、と考えるのを止めた。
けれど──階段を降りきったところで、とある女性の声が耳に入ってきて。
私は、その理由を知ることになる。
「ねえ、今日来てるみたいよ。あの子!」
「え、あの、白髪の?」
「そうそう!」
ひそひそと交わされる会話。
それに何か棘を感じた私は、階段の陰にさっと身を隠した。
(考えた時に限って、こうなるという……。まあ、こういう時は、動かないのが一番だな)
長年の経験からそれを知っていた私は、その場に留まり、持っていた申請書の控えを読んでいるふりをして、その人たちがどこかへ行くのを待った。
しかし、私に気づいていないあちらは、そのままの場所で会話を続ける。
「あの子……ほんと、誰なんでしょうね? というか何様って感じ! あのカミル様の唯一の助手で、しかも、何かと気に入られちゃってるみたいだし!」
──ドクン。
その声音に、息が止まった。
「ちょっと、声大きいわよ……!」
「誰も聞いてないわよ、皆忙しいんだから。あーあ……白髪の子がなれるくらいだったら、私も助手になれないかなぁ……というか、私と変わってほしいっ!」
──ドクン。ドクン。
最初は、いつものことだろうと、そう思っていたのに。
その言葉を聞く度に、嫌に心臓が鳴った。
いつもとは違うそれに、口に手を当てて、声が漏れるのを抑える。
(あ……)
……そうか、そうだったのか。
カミルさんと、ヨハンさん。
彼らが必ず私の側にいた理由に、ようやく気がついた。
そのことに、手が震え、足も震えたけれど。
その人たちに気づかれないよう、私はなんとかその場を離れ、商業ギルドを出た。
扉から出た後は、早足で人混みの中に紛れ込む。
あの人たちから分からないように。見つからないように、その中を縫って、歩いていく。
(……っ)
身体中の血が引いていくような感覚に、足がふらついた。
それでも、私は歩き続けた。少しでも、遠くに行きたかった。
ヨハンさんの、別れ際のあの表情の意味が、やっと分かった。
同時に、ティナの言葉が脳裏を過ぎる。
『狙う女の子は数知れず…………って、この街の人でも、ほとんどが──』
(そう、だよね)
なぜ、今まで思い至らなかったのだろう。
カミルさんを好きな人は、たくさんいるだろうに。
そして──その横に白髪がいることをよく思わない人がいるだろうに。
やっと、気づいた。
(私は、今までずっと──)
──私の知らないところで、カミルさんに護られていたんだ。
商業ギルドで、決して一人にならなかったのは。
力のある人が表立つことで、良くない噂への抑止力とするため。
そして、依頼書が必ず郵便で届くのも、完成した品物を、馬車便で送り返していたのも。
今までは、ただ忙しくて、その量が多すぎて、配達してもらった方が便利だからだと、そう思っていた。
けれど、きっとそれだけじゃない。
あれは、私を護るためでもあった。
私が、不必要に人目にさらされないために。
私が──
(嫌な話を、聞かなくていいように……)
その時、ふらつく足が、つまずいた。
「あっ……」
転ぶ寸前で立ち止まり──周囲の人混みに、目が向いた。
立ち止まった私を、避けるように歩いていく人々。
前を見ても。
後ろを見ても。
どこを見ても──
──その中にいる白髪は、私だけ。一人だけ。
当たり前だったそのことが、見慣れていたはずのそのことが……無性に悲しくなって、悔しくなって。
零れそうな涙に、ぎゅっと目をつむった。
……“白髪だから”、“色無しだから”。
そんな言葉を聞くのには、もう慣れていた。
けれど、先ほどのあれは、あの言葉に込められていたものは、今までのものとは違っていて。
突如さらされた負の感情に、私の身体は震えてしまった。
色無し──その言葉に込められているのは、白髪への蔑みと、嘲りだ。
でも、あの女性の言葉にあったものは、それだけではなかった。
蔑みと嘲り。そして、妬みと微かな憎悪。
──なんで、あんな子が。あのカミル・リンデンの側にいられるの。
ズキン、と胸が痛む。
(っ、そんなの……)
そんなの、私が一番分かってる。こんな私じゃ釣り合わないって、分かってる。
でも、私だって……
(望んでこうなった訳じゃないのに……っ)
望んで白髪に生まれた訳じゃないのに。
どうして何も知らない人に、そんなことを言われなければならないの?
いつの間にか、私は走り出していた。
早く、街の中から出たくて。人の目から離れたくて。駆け出して、辿り着いたのは──
「カミル、さん……」
森の中に建つ、アトリエだった。
木々の合間、その入口の前で、アトリエを見上げる。
私の仕事場。私の居場所。
そして、カミルさんがいる所。
そう思うと、視界が涙で滲んだ。
私は今まで、どれだけカミルさんから護られていたのだろう。
どれだけ、カミルさんに助けられていたのだろう。
よく考えてみれば、私とカミルさんが出会ったあの時、たくさんの人が周りにいて、それを見ていたはずなのに。
それなのに、今までそういう話を聞かなかったのは、なぜ?
私についての良くない噂を聞かなかったのは、なぜ?
どうやったのかは、分からないけれど。それも、カミルさんが護ってくれていたからじゃないの──?
気づいたそのことに、両手で顔を覆った。
そうしないと、涙が溢れて、止まらなくなりそうだったから。
カミルさんには、私なんかは釣り合わない。
私は迷惑でしかない。
想いを伝えても、誰にとっても、いいことなど一つも無い。
そう、思う自分と。
ここまでしてくれた彼の優しさが、嬉しくて、愛おしくて。
もしかすると、この想いを、彼は受け止めてくれるんじゃないかと。
彼は、他の何者でもない私自身を見て、接してくれているんじゃないかと。
そう思う、自分がいる。
ついに、抑えていた涙が、手のひらから零れ落ちそうになって──
──その時。
強い風が、吹きぬけた。
涙を飛ばすような、私の背を押すようなそれに、ハッと顔を上げる。
風に吹かれた新緑の葉が、私の目の前を舞っていった。
優しい誰かのようなその色に、また涙が滲んだけれど──私は静かに、両手を下ろす。
そうして、俯きそうになる顔をぐっと上げ、もう一度、目の前のアトリエを見た。早く、仕事に戻らなければならない。
でも、その前に、一つだけ。
覚悟を、決めさせて。
(二週間後……)
それは、カミルさんがここを離れる期間。
私は、その間に。
(──決めよう)
この想いを、どうするか。
先延ばしにしてきたそれに、結論をつけよう。
この結論がどうなるかも、その後がどうなるかも、今は分からないけれど。
私は、このまま立ち止まっていてはいけないと──そう、思ったから。




