第十三話 縮まって、自覚して、分からなくて
「あー……間に合った……」
大急ぎで料理を進めた私は、ふうと息を吐いた。
テーブルに並ぶのは、人参のラペに、じゃがいもの冷製スープ、ロールキャベツのトマト煮込みと、胡桃入りパン。
トマト煮込みには、ロールキャベツの他にも、鶏肉と茄子と玉ねぎと──とにかく、色々な具材を入れた。
これ一つで満足感のある一品になったが、その上に、さらに削ったチーズをたっぷりかけ、彩りにバジルも添える。
もう、「ロールキャベツのトマト煮込み」ではないんじゃないか、ってくらい具が入ってるけど……その方が栄養もたくさん摂れるし、お腹いっぱいになるし、いいのだ。
(あぁ、いい匂い……トマトとチーズの組み合わせって、なんでこんなに魅力的なの……)
見た目からして、もう美味しい。
(さて。あとは)
料理が出来たからにはカミルさんを呼ばなくては──……
(カミルさんを……呼ぶ)
また、ティナたちの話を思い出したが──すぐにバチッと両頬を叩いて、気を引き締めた。
叩いた頬がちょっとヒリヒリするけれど、そのくらいの方が目が覚めるというものだ。
「大丈夫、大丈夫。頑張ると決めたじゃない!」
いつも通りにやれば、きっと大丈夫。
きっと、この気持ちはバレずに済む──
そう気合いを入れて、私はアトリエに向かった。
もうすっかり見慣れた扉をノックして、声をかけながら部屋に入る。
すると、やはりカミルさんは、本棚の近くのソファに座っていた。
けれど、なんだかいつもと様子が違う。
(あれ? もしかして……)
そろりと近づいていくと──なんとカミルさんは、本を読む姿勢のまま、眠ってしまっていた。
しゃがんで顔を覗いてみても、やはり目を閉じているし、すうすうと心地良さそうな寝息を立てている。
(……どうしよう。これは初めてのパターンだ)
起こす……のは、こんなに気持ちよさそうに寝ているから、申し訳ないな。
でも、この姿勢で寝続けるのも、辛そうである。
というか……いつからこの状態で寝ていたんだろう……?
(灯りはついてたけど……)
でも、小さな照明しかついていなかったので、もしかすると、日が暮れる前から寝ていたのかもしれない。
(んー……。……まあ、本人がいいなら、そのままにしておこうかな)
ご飯は、温め直せばいいしね。
せっかくゆっくり寝ているのだから、そのままにしておこう。と、私は立ち上がった。
そうして、起きた時にもっと暗くなっていたらいけないので、もう一つ小さな灯りをつけて。
それから棚を探り、膝掛けを取り出した。
(暑くはなってきたけど、あった方がいいよね)
薄手のそれを、カミルさんを起こさないよう、そっと掛ける──と。
「ん……」
眠たげな声と共に、カミルさんが薄く目を開いた。
「あ。すみません、起こしてしまって……」
しまった。優しくかけたつもりだったけど、雑だったかな。
あわあわしていると、カミルさんがこちらを見る。
「……ふぃーりあ、さん……?」
とろりと目を細め、柔らかに笑んだカミルさん。
寝起きの気だるげな瞳が放つ、なんとも言えない色気に、一瞬で顔が熱くなる。
「は、はい。フィーリアです……」
そう答えた後で、ハッと気づいた。
(いや、真っ正直に答えてどうするの!)
もっとこう、何か言うことがあったでしょう!
(で、でも、近いんだもん……!)
と、自分に言い訳したところで気づいた。
そうか! カミルさんの顔と近いから、思考がまとまらないんだ!
(それなら、離れるのみ……!)
けれど、その画策も失敗に終わる。
カミルさんに──手を、掴まれたから。
「どこ行くの……?」
「えっ、いや……その……」
「せっかく、捕まえたのに……」
「捕ま……えっ!?」
手を引かれ、すとんとカミルさんの腕の中に捕まえられる。
そうして──目の前には、カミルさんのたくましい胸が。
(あ、え。これ、どういう状況……!?)
混乱している中、カミルさんが私の耳元でささやいた。
「やっと……近くに……」
カミルさんの吐息が、耳をくすぐる。
抱きしめられているから、顔は見えないけれど──その声音は、何か甘いものをはらんでいて。
その痺れるような甘さに、大きく心臓が跳ねる。
膝掛け越しに感じるカミルさんの温もり。
いつもと違うその距離。
そのことに戸惑って──
けれど……それを嬉しく思う自分がいて。
どきどきと、胸が高鳴って止まらない。
(ど、どうしたらいいの……)
そうして動けないでいると、カミルさんがまたささやいた。
「フィーリアさん……僕は、ずっと……」
その言葉に、一際大きく、心臓が鳴った。
(それ、は──)
その、言葉は。
何を指した、“ずっと”……?
どきどき、どきどき。
自分の心臓の音が、うるさく鳴り響く──
──だけど。
その言葉の続きが告げられることは、無かった。
代わりに私の耳元から聞こえるのは──
「すう……すう……」
穏やかな、寝息。
(…………。……えっと……これは……)
もしかして……ね、寝てる……?
そろりと顔を上げる。
けれど、やはり、カミルさんは目を伏せて、眠っていた。
(え。いや、このまま寝られても……!)
ちょっと待って、この状態で私にどうしろと……!
上手く回らない思考で、この状況をどう打破すればいいか必死に考えていると。
するりと、私を捕まえていた手が降ろされた。
けれど、カミルさんが起きた様子はない──と、いうことは。
(い、今だ!)
この機会を逃したらダメだ!
そうして、焦る気持ちを抑えつつ、カミルさんを決して起こさないようにと、ゆっくりゆっくり、そこから離れる。
私は、そのまま静かにアトリエを出て──
(あ、うわあぁぁぁ!)
頭を抱えつつ、ダイニングに駆け戻った。
「はぁ、はぁ……」
胸に手を当てる。
どきどきどきどき、胸が鳴っている。
走ったせいもあるけれど、この高鳴りの原因は、それだけではない。
(な、何あれ、何あれ! わた、私……っ!)
どうして、カミルさんは私を抱きしめた?
夢? 何か夢を見てたの?
でも、それにしたら、なんであんなことを言ったの?
私の……私の、名前を呼んで。
「……やっと近くに、とか、せっかく、とか……」
それは一体──どういう意味?
灯る期待に、胸がきゅっと熱くなる。
──でも。
「……終わりっ!」
巡る想いを吹き飛ばすように、私は頬を思いっきり叩いた。
もう、これ以上考えたら、ダメだと思ったから。
(もう終わり! 分かんないし、知らない! 考えるな!)
きっと、カミルさんにとってあれはなんの意味も持っていないのだから。
ぶるぶると首を振って、私は一人、夕食を食べ始めた。
そうして、半ばやけ食いのようにそれらを平らげ、食器を洗っていると──カミルさんがひょっこり顔を出した。
「フィーリアさん、おかえり。ごめん、寝ちゃってた」
「……っ。い、いえ……」
驚いたものの、なんとか普通の返事をする。
(これは……覚えて、ない……?)
そう、そうか……。……その方が、いい。
それなら私も、“普通”にしていやすいから……
「いい匂いがする……これはトマト?」
「はい。トマト煮込みが、そのお鍋の中に──」
と、そちらへ向かうと、カミルさんも近寄ってきて──鍋の蓋を取ろうとする手が、重なった。
「っ!」
そのことに、反射的に手を引く。
そして、カミルさんの顔を見て、その翠の瞳と目が合って──
(やっぱり、演技は無理……!)
先ほどのこと、ティナたちに言われたこと。
それら全てを思い出し、ぶわっと顔が赤くなった。
「え。フィー──」
「すみません! それは輝術で温めてください!」
バッとその場を離れ、氷冷庫に入れていた他の料理を、出来るだけ素早くテーブルに並べる。
何か言いたそうな気配を感じたが、そこまで考える余裕は、私にはなかった。
「疲れたのでもう休みます! それじゃあ!」
そうして私は、カミルさんの顔を見ることなく、背を向けて駆け出した。
「…………夢じゃ、なかった……?」
その後ろで、何か聞こえたけれど。
それが私の耳に入ることは無かった。
大急ぎで自室に入った私は、勢いよくベッドの中に潜り込む。
そうして、一人、身を縮こませていた。
(ど、どうしよう……! 絶対、変に思われたよね……)
それでも、あの場から逃げないと、自分がどうなってしまうか分からなかった。
必死に見ないふりをしていたものが、ずっとあったその想いが……溢れてしまいそうで。止められなく、なりそうで。
(ダメ。それだけは、ダメ……)
それが怖くて、私は逃げたのだ。
ぎゅっと、その気持ちを抑え込むように、両手を握る。
(私は……どうしたら、いいの……?)
──ずっと、ずっと。
私は、誰と接する時でも、必ず“線”を引いていた。
それは、誰かと深く接してしまうと──仲良くなる度、親しくなる度に、否定されるのが怖くなっていくから。
だから、踏み込み過ぎないように、もしもの時の痛みを減らすために、私は自ら線を引いていた。
(それなのに……)
なぜか……カミルさんだけは違って。
それに気づいたのは、最近のことだ。
どうしてか、その心の線引きが、消えかけているのに気づいた。
それはどうしてだろう。自分でも分からない。
けれど、私はカミルさんと最初に出会った時から──心のどこかで、彼だけは違うと感じていた気がする。
(でも、そんな保証は無いのに)
それなのに私は、この想いを抱いてしまった。
今気づいても、もう遅いのに。
「…………」
この想いが愛しくて、それと同時に怖くて。
守るように、両手で自分をかき抱く。
人は皆、変わってしまうものだ。
誰も彼もが、少しのきっかけで、すぐに変わってしまう。
彼がそうならないという保証は、どこにも無いのに。
それなのに、あの優しい翠の瞳に見つめられると。
穏やかな、森の新緑のようなその色を見ると。
期待してしまう、自分がいるのだ。
カミルさんなら──……こんな私でも、受け入れてくれるんじゃないか……と。
「もう、分からないよ……」
ぽつり、呟いた。
分からない。
私は、どうしたらいいの?
どの道を進めばいいの?
最近、色々なことが起きすぎて。
どこに行けばいいのか、どうすればいいのか、私は、分からなくなっていた。
自分の想いのまま、前に進みたいけれど。
それが怖くて、たまらない。
でも、この想いを封じ込め続けるのも、辛くて、苦しくて──
……そう思うと……声が、聞こえる。
──だから。
だから言ったのに。
深入りしないでと、言ったのに──
かつての私が──私を責める声が、聞こえる。
「そんなことは、分かってる……っ」
首を振る。溢れそうな涙を、押し殺して。
言われなくても、分かってる。
もう十分に、分かってる──
……コトン。
その時、何か外で物音がした。
ハッとして、それからゆっくりと身を起こす。
音を立てないよう、息をひそめ、耳をすませる。
そうしていると──しばらくして、階段を降りていく足音が聞こえた。
「…………」
それが遠ざかっていくのを確認した私は、ベッドから降り、そろりそろりと扉に近づいていく。
開ける前に、もう一度、扉に耳を当てて周りの音を聞いた。
(……誰も、いない)
そうして、静かに扉を開く。
そこに、あったのは。
「あ……」
私の鞄と、一冊の本。
そうだ。帰ってきて、そのまま置いて、忘れていた。
(持ってきてくれたんだ)
その優しさが、嬉しくて、申し訳なくて、きゅっと胸が痛む。
──ごめんなさい、ごめんなさい。
明日になれば、きっと普通に戻ります。
いつも通り、“助手”として──
心の中で謝りながら、鞄を持ち上げる。
すると、その下に紙が置いてあるのに気づいた。
なんだろう、と半ば無意識にそれを拾うと──
『今日も美味しかったよ。ありがとう』
カミルさんの字で、そう書いてあった。
「……っ」
たった、それだけなのに。
そこから、カミルさんの優しい声が聞こえてくる気がして。
鞄も、本も、全部を抱きしめるように持って、扉の中に入る。
入った瞬間、私は、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
「っ、あぁ……っ!」
顔を覆う。涙が溢れ、想いが溢れる。
もう、隠せない。
想いは、どんどん大きくなって。
見ないふりを、させてはくれない。
私が、白髪でなければ良かったのに。
そうして、カミルさんに出会えれば良かったのに。
でも、現実は変わらない。
いくら願っても、変わってはくれない。
どうしたらいい。どうしたらいい?
私は、この想いを。
分かっているはずの、その答えは──けれど、ついに出てくることは無かった。




