第十二話 図書館と、絵本の秘密
「じゃあ、またね」
楽しい友人たちとのお茶会のあと。
ティナとエマに手を振って、私は、二人とは別の道を歩き始めた。
これは、アトリエに向かうのとは反対方向の道──目的地は、街の図書館である。
友だちとの久しぶりのお喋りは、とても楽しかった。
だけど、その中で言われたことがずっと頭から離れず、すぐ帰る気には、どうしてもなれなかったのだ。
(いやいや、絶対ありえないから! カミルさんが、私を好きとか……!)
中々引かない熱を必死に振り払いながら、私は歩を進める。
今日カミルさんはアトリエで研究をしているから、このまま帰って顔を合わせでもしたら、きっと私は挙動不審になってしまうだろう。
だからこそ、勉強でもして、頭を冷やそうと思ったのだ。
そうしてしばらく歩いていると、正面に、大きなレンガ造りの建物が見えてきた。
大きなアーチ状の門扉の上には、本を模した看板がかけられている。
「ここも、久しぶりだなぁ」
仕事の用事と買い出し以外で街に出ることが無かったから、本当に久しぶり。
来るのはどのくらいぶりだろうか?
(というか、仕事の用事っていうのも、あんまり無いしなぁ……)
アトリエへの依頼書は郵便で届くし、完成品も馬車便で送り返している。
そして、注文した素材なども、ほとんどを直接配達してもらっているので、そもそも街へ行かなければならない用事があまり無いのだ。
(まあ、便利といえば便利なんだけどね)
そうして、そんなことを考えながら、建物の中へ足を踏み入れた。
図書館の中は少しひんやりとしていて、本棚の木の香りと、たくさん並べられた本が放つ独特の紙の匂いが、鼻をくすぐる。
(やっぱり、いいな)
私は、図書館が好きだ。
本の匂いと、色とりどりの背表紙と、穏やかな静寂に包まれる、この不思議な心地良さが、とても好き。
そうして私は、本の並木道を歩きながら、何を読もうかと考え始めた。
(あ、これいいな。『大陸南部の香辛料と食文化』……へえ、こういう風に料理するんだ)
良さそうな本を見つけて立ち止まり、そうしてまた、違う本を求めて歩き出す。
図書館に来ると、その度に新たな発見と出会いがあって、面白い。
(アトリエにも、本はたくさんあるけど……私には分からないものばっかりだしね)
アトリエにあるのは、ほとんどが紡歌に関わる専門書である。
その中には、紡歌に使われる言葉のみで書かれているものも多いので、読もうとしても、私にはさっぱり分からないのだ。
そうして、色々な書棚を巡りながら、いくつかの本を見繕ったところで、歩みを止める。
(一、二……四冊か。とりあえず、これくらいにしておこうかな)
一人で抱えられるくらいにしておかないと、うっかり落としちゃったら、大変だからね。
ちなみに、今回私が選んだのは、
『大陸南部の香辛料と食文化』
『クルール王国伝統のお菓子』
『図解付き モンスターの素材辞典』
『誰でも簡単! すぐに分かる薬草・毒草・摩訶不思議ワールド☆』
……の、計四冊。
最後の一つだけ、なんだか凄くふざけたタイトルだけど……意外や意外、中身はちゃんとしていて、とても読みやすかったのである。
(……なんでこんなタイトルにしたんだろ。インパクトを狙って?)
それにしても、このタイトルは……なんというか、凄いなぁ……。
と、近くの読書スペースに向かっていると──その手前で、ふと、ある背表紙が目に付いた。
「これ……クルール語だ。珍しい」
今現在この国で主に用いられているのは、「大陸共通語」という、大陸全土で幅広く使用されている言語であり、本に用いられるのもほとんどがこの言語なのだ。
しかし、そんな本たちの中で、一冊だけ、クルール語のものが混じっていた。
なんだろう、と好奇心で手に取ってみると──
それは、絵本だった。
(あぁ、なるほど。子供の教育用かな)
大陸共通語は、その普及により、国同士の垣根が大幅に下がって、各国の交流が盛んになり、大陸の発展をますます加速させたと言われている。
しかしそれでも、それぞれの国の固有言語は、今でもきちんと残っていて、それを教える学校も多いのだ。
この絵本は、きっと、そのためのものなのだろう。
一冊だけ混じっていたのは、子供が戻す所を間違えたのかもしれない。
そうして、せっかく手に取ってみたので、パラパラとめくってみると──それは私にとって、よく見覚えのある物語だった。
「わぁ。これ、『魔王と白光の勇者』だ。懐かしい……よく読んでたなぁ」
それは、世界を滅ぼさんとする闇の魔王と、その野望を阻止するために立ち上がった勇敢な青年の物語。
純白に輝く王剣リヒトヴァイスに選ばれた青年は、魔王討伐のための、長い長い旅を始める。
そうして青年は、旅の道中、たくさんの人々と出会い、別れ──その中で、信頼出来る仲間を旅路に加えながら、魔王の居城を目指し、果てしない道を進んでいくのだ。
旅が進むごとに、勇者一行は、魔王の手先の襲撃や、その他の様々な困難に直面していくこととなる。
けれど彼らは、どんな窮地に陥ろうとも決して勇気を失わず、互いの絆と、それぞれが持つ力によって、困難を乗り越えていくのだ。
(私、この本に出てくる妖精が好きだったんだよね。確か他の国では、勇者一行に妖精はいないんだけど)
こういう「勇者」の物語は、他の国々にも存在する。
そして、そのストーリーと登場人物は、それぞれの国である程度の差はあるものの、どれもだいたい同じなのだ。
しかし、唯一、クルール王国の物語にだけ、勇者一行に「妖精」が加わる。
きらきらと光の粉を纏う翅を持ち、懸命に仲間をサポートするその妖精が、幼い日の私は、とても好きだった。
(そうそう、この妖精、歌が得意なんだっけ。『妖精は、その不思議な歌の力で、皆を助け』……)
そこまで読んで──ふと、引っかかるものを感じた私は、ページをめくる手を止めた。
そうして、もう一度、その文章を読み返す。
「不思議な、歌の、力……」
そうして声に出してみて──あることに気づいた私は、じわりと目を見開いた。
(もしかして)
この、「不思議な歌」というのは。
(紡歌のこと……?)
そう思い至った私は、急いで椅子に座り、改めてその絵本を読み返してみた。
するとやはり、所々で、紡歌に似た描写があることに気づく。
『これは、妖精にしか歌えない歌。特別な音は、私たちにしか使えない』
『この歌で、不思議な道具を作ってみせましょう』
「……。これ、やっぱり、紡歌に似てるよね……」
『特別な音』。それは、紡歌も同じだ。
だからこそ、その音色を歌える人が少ないからこそ、色紡師は、限られた人しかなれないのだから。
そして、『不思議な道具』。
これも、紡歌によって作られるものによく似ている。
不思議な力を持った道具、というだけなら、輝術道具にも言えることだけど……それを、“歌”で作るのなら。
やはりこれは、紡歌のアイテムなのではないか。
そうして一通り読み終わった後、私は腕を組み、考え始めた。
この絵本に出てくる妖精が使う歌は、多分……いや、きっと、紡歌をモチーフにして描かれたものだ。
ということは、この、クルール王国の物語にしか現れない「妖精」というキャラクターは、クルール王国にしかない「紡歌」の技術から、作り出されたものなのだろうか。
(でも、それなら……)
それなら、なぜ、わざわざ一人だけ「妖精」にしたのか。
他の登場人物同様、特別な力を持った「人間」でもいいじゃないか、と思うのだ。
しかし、それが、他国の物語では登場しない人物となれば──そこには何か深い意味があるのでは、と思ってしまう。
(うーん……。カミルさんなら、何か知ってるかな……)
と、思った直後。
ハッと今日の出来事を思い出し──ボンッと顔が赤くなった。
(あぁ、いや、やっぱりダメだ! 気になるけど、今日聞くのは絶対無理……!)
というか、それを忘れようとしてここに来たのに。
思い出してしまっては元も子もない。
(違うのを読もう、違うのを!)
顔に集まった熱を飛ばすかのように首を振った私は、すぐにその絵本を閉じ、持ってきていた他の本を読み始めた。
しかし──
(あ、この料理、カミルさん好きそう……って、違う! そっちに行っちゃダメ!)
料理本はダメだと思った私は、他の二冊に手を伸ばす。
だが、それも──
(ああ、この鱗、確かアトリエにもあったな。……ふぅん、尻尾の鱗だけ違う色なんだ。そういえば、カミルさんがこの色が好きなんだ、って言ってて……。……)
その思考に至った瞬間、私は即座に本を閉じた。
そして、もう一つの本を読み始める。
しかし──いや、やはりと言うべきか、全滅。
「…………」
持ってきた本を見回し……もう一度見回し……そして、私は頭を抱えた。
(あー! ちょっ、もう、どうしたらいいの!?)
何読んでも、カミルさんの顔が浮かんで集中出来ないっ!
というか、なんで、ティナたちはあんな話をしたかなぁ!?
(あー、あー、あぁー…………だから、それは、無いってばぁっ!)
そうして、ひとしきりうんうん唸った後(もちろん図書館なので、心の中だけで)、私は立ち上がり、持ってきた本を片付け始めた。
もうこうなったら、街中を歩いて気分転換しようと、そう思って。
きっと歩き疲れたら、あの話も、この気持ちも、忘れられるはずだ。
けれど、四冊片付けた後で──残った一冊に、目を落とす。
(……どうしよう。これだけ、貸出してもらおうかな)
それは、あの「魔王と白光の勇者」の絵本。
この絵本に隠されているかもしれない秘密。
それに気づいた今、私はどうしても、その正体を知りたくなってしまった。
(うん。やっぱり、貸してもらおう)
聞けなくても、何度も読み返せば、分かることがあるかもしれない。
そう考えた私は、その一冊だけを手に、図書館をあとにした。
そうして、再び街中に繰り出し、どこへ行くでもなく、ただぶらぶらと歩く。
(……暑くなってきたなぁ)
夏が、だんだんと近づいてきている。
そのため、夕方近くになった今も暑さが残るようになっていて、たまにびゅうと吹き抜けていく風が、汗ばむ身体に心地良かった。
風にそよぐ、緑の木々。
さわさわと歌うような葉擦れの音に、鳥のさえずり。
そして、透き通るような水色から、少しずつ少しずつ、オレンジ色に染まっていく空。
その様子を楽しみながら、私は街を歩いていく。
すると──ふと、街の大通りの所々に、星のモチーフが飾られていることに気づいた。
(あぁ、そうか。星花祭の準備が、もう始まってるんだ)
星花祭とは、この国で毎年、夏の一番暑い時期に行われるお祭りのこと。
これは、昔の国王様が、暑い中懸命に働く人々のためにひと時の休息を、という思いから始めたお祭りで、その日はクルール全土が休日となる。
そうして人々は、夜空に浮かぶ星々と、各地で鮮やかに打ち上げられる花火を鑑賞しながら、それぞれの過ごし方で、暑い夏を乗り切るための英気を養うのだ。
もちろんその日は、このヴェルデの街も大いに盛り上がり、街はいつも以上の活気に満ち溢れる。
至るところに出店が建てられ、賑やかな笑い声と花火の音が絶えず響き渡るさまは、それはもうなんとも騒がしく──けれど、それすらも楽しく思えてしまうのだから、お祭りというのは不思議だ。
(星花祭、か)
カミルさんはこういうの、好きなんだろうか?
でも……なんとなくだけど、面倒くさいと言って、いつも通り研究を始めそうな気が……
(言いそう言いそう……って、ああっ)
しまった、またカミルさんのことを考えてしまった……!
こめかみに手を当てて、はぁ、とため息をつく。
これはもう、何をしても忘れられなさそうである。
(もうこうなったら、さっさと覚悟を決めて、帰ろう……)
そして、カミルさんにこの気持ちを気づかれないように、頑張って演技をしよう。そうしよう。
そうじゃないと、多分、いつまで経っても帰れない。
まあ、上手く誤魔化せるかどうかは分からないけれど……やるしかないのだ。頑張れ、私。
そうして私は、密かに決意しつつ、帰途についた。
「ただいま帰りました」
普段通りに、そう言いながら扉をくぐり、そろりと聞き耳を立てる。
(物音は……しない。ということは、カミルさんはアトリエかな)
そう判断した私は、ほっと息を吐いた。
帰宅早々顔を合わせてしまっては、いきなり演技が失敗するかもしれない。
(心の準備は、必要だよね……)
そうして時計を見た私は、もう夕食の支度の時間を過ぎてしまっていたことに気づく。
「あ、やばい。今日は時間かかるやつだったのに……!」
元々、今日は昼過ぎか、遅くても夕方になる前には帰ってくる予定だったから、普通にメニューを組んでいたのだ。
慌てて荷物を置いて、キッチンに急ぐ。
今日のメニューは、煮込み料理である。
ことことじっくり煮込まれて、よく味が染みたお野菜やお肉はとっても美味しいけれど、そうなるまでには、やはりそれなりの時間が必要で。
(急がないと、間に合わない!)
そうして私は、演技のことなどすっかり忘れて、バタバタと料理を始めたのだった。




