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10/22

第十話 いつか、踏み出せる日が

連続投稿2/2。

前話未読の方は、そちらからお読みください。

 


 ずくん、と重い痛みが私の心を支配する。

 それは、私が封じ込めていた、痛み。


(っ……!)


 身体が固まる。息が出来ない。

 それと共に脳裏に浮かぶのは──思い出したくもない、かつての記憶。


「……フィーリア、さん?」


 様子が変だと思ったのだろう。

 先ほどまで浮かべていた笑みを消し、心配そうに声をかけてくれたカミルさん。


 その表情にハッとして、それと同時に、しまった、と焦る。

 そうして、泥のようにつきまとってくる過去(きおく)を必死に振り払い、どう言ったらいいものかと考えながら、私は口を開いた。


「ああ、ええと……。……今まで、言ってなかったんですけど……私、実は……孤児なんです」


 そう告げると、カミルさんは、え、と固まって、それからすぐに頭を下げた。


「ごめん! そうとは知らずに……」

「あ、いえいえ! そんな、大丈夫ですから、頭を上げてください」


 慌てて駆け寄ると、カミルさんはゆっくりと顔を上げる。


「でも……本当に、ごめんね」

「いえ、本当に大丈夫ですから」


 申し訳なさそうなカミルさんに──私も心の中で謝りながら、言葉を続ける。


「……私、ほんの小さい頃から孤児院にいたので、両親の顔も知らないんです。それに、孤児院の先生たちが親切にしてくださって、寂しくもなかったので。だから、本当に大丈夫ですよ」


 そう言って()()()()微笑むと、カミルさんは、一瞬言葉に詰まったように動きを止め、そして考え込むような表情をした後──おそるおそるといった様子で、口を開いた。


「そう……。……フィーリアさん。一つだけ……聞いても、いい?」

「はい。なんですか?」


 その問いかけに、どきりとしたけれど、それは決して表に出さず、微笑んだまま頷く。


「その……フィーリアさんの、その名前は……誰が、つけてくれたの?」


 思いもよらなかった質問に、私はぱちりと瞬いた。


 あぁ、なんだ。難しい顔で考えていたから、何かと思ったけど……それなら、言えることだ。


(……良かった。なんとか誤魔化せたみたい)


 ……私は、孤児であるという事実を、悲しんではいない。

 孤児院の先生たちがよくしてくれたというのも、本当のことだ。


 私には、帰る家は無いけれど、帰る場所ならある。


 だけど──私は、孤児院(そこ)には帰れない。

 顔を見せにも、行けない。


 だから、それを誤魔化すために演技をした。

 孤児であることを寂しがっているような、孤児院にいたことを悲しんでいるような、そんな演技を。

 そうしたらきっと、「孤児であることを悲しんでいる私」に、そのことを思い出させる「孤児院」に帰らないのか、とは言わないだろうと思ったからだ。


 カミルさんを騙すのは辛かったけれど……それでも、その理由を聞かれる訳には、いかなかったから。


 私は、安堵と痛む心を奥深くにしまい込んで、口を開く。


「いえ、 私の名前だけは、孤児院に来た時に着ていた服に、刺繍されていたんです。『フィーリア』って。家名は無かったから、それしか分からないんですけどね。……まあでも、服に名前があったくらいだから……両親にはきっと何か事情があったんだろうと、そう思っています」


 この言葉と、両親に対して思うことがあるというのは、本当のこと。

 両親に何か事情があったのは確かだ。

 なんとなく、そういうことだろうな、と想像はついているから。


(そして──)


 ──そのせいで、私は捨てられたのだろうから。



 すると、私の答えを聞いたカミルさんは、一瞬だけ──驚いたような、納得したような、そんな表情になって。

 それから、そうなんだね、と呟いたきり、黙り込んでしまった。


「…………」

「…………」


 ふっ、と部屋に影が落ちる。

 窓の外で明るく照っていた太陽は、雲間に隠れてしまった。


 それと同時に満ちるのは──果てしない静寂と、重い、沈黙。


 どちらも、何も、言葉を発しない。

 ただそのまま、時間だけが流れていく。


(……何? ……何を、考えているの?)


 いきなり訪れたその沈黙に、私は動揺してしまった。

 それを悟られないように、カップを手に取り、ゆっくりと時間をかけてお茶を飲む。

 けれど、美味しかったはずのその味が分からなくなるほどに、私が抱いた不安と疑問は、大きかった。


 カミルさんは、一体何を考え込んでいるの?

 何を、そんなに難しい顔で考えているの?


 …………まさ、か。


(カミルさんは──何かを、知っている……?)


 そう思った瞬間、咄嗟に、問いかける言葉が口をつきかけた。

 けれど、それが発せられる前に、慌ててそれを呑み込む。


(待って)


 早まりかけた自分に、そう言い聞かせた。

 まだ、問うてみるには、早すぎる。

 よく考えて聞かなければ、大変なことになるかもしれない。


 だって──だって。もし、何かを知っているとして。

 カミルさんは、()()知っているの?


(…………)


 ──聞いてみる? 聞いてみようよ。

 もう一人の自分が、そう問いかけてきた。


 聞いてみたい気持ちも……確かに、ある。

 だけど──


(──またああなるのは、もう嫌だ……っ! ……。……でも、でもっ……!)


 そうして、ぐるぐると、まとまらない考えだけが、頭の中を巡っていった。



 けれど、しばらくそうしていると、カミルさんの方が、先に口を開いた。

 時計を見て苦笑したカミルさんは、さっと立ち上がる。


「ごめん、依頼がまだ残ってるのに、なんだかぼうっとしちゃって。さて、急いで始めよう」

「あ、はい」


(話す気は、無いみたい……)


 はたしてそのことが、私にとって良かったのか、それとも、悪かったのか──

 それは結局、分からなかった。



 そうして、その後は、まるで先ほどのことが無かったかのように仕事をこなしていき、あっという間に、夕方になった。

 そして、それからも、至って普通に──いつも通りに夕食を食べて、たわいもない雑談をして。


「じゃあ、明日もよろしくね。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」


 普通の挨拶を交わして、自分の部屋に戻った。



 パタン、と扉が閉まる。

 後ろ手に扉を閉めた私は、そのままずるずると床に座り込んでしまった。


 何をするでもなく、ただしばらく、ぼうっとそこに座る。

 そうしていると、忘れようにも忘れられなかった昼間のことが、脳裏によみがえった。


(……あれは……なんだったの?)


 本当に──カミルさんは、何かを知っているの?


 そこで、ハッと思い出した。

 それは、カミルさんと初めて出会った、あの日のこと。


(そうだ。今思えば、カミルさんはあの時も──)



『フィー、リア? 君の名前、フィーリアっていうの?』



(……私の名前を聞いて、驚いてたっけ……)


 でも──私の名前に、一体何があるというのか。


 そこまで驚く理由は、何?

 あの質問の理由は──何?



「……。……私の、名前……」


 ぽつり、呟いた。

 私の名前。「フィーリア」という名前。

 私に分かるのは、それがきっと、私と本当の家族との繋がりを表している、唯一のものだろうということ。

 ただ、それだけだ。


「…………」


 ふと思い立った私は、ゆっくりと立ち上がり、クローゼットへと向かった。

 その奥を、がさごそと探る。


「あった……」


 出てきたのは、小さな木箱。

 鍵がかかっているそれを開けると、袋が入っていて、その中には、小さな服が入っている。


 ──かつて、幼い日の私が着ていた、産着だ。


 久しぶりに見たそれを取り出して、広げてみる。

 白かったのだろうその服は、年月の影響を受けて、だいぶ黄ばんでしまっていた。


 けれど、くるりと裏返すと、そこにはいつ見ても変わらない文字が縫い付けられている。

 ところどころ解れたりはしているけれど、その文字の意味は、どんなに年月が経とうとも、変わらない。

 その文字が投げかけてくる疑問も、変わらない。


 私は、丁寧に刺されたその刺繍に、その文字をなぞるように、そっと触れた。


「……『フィーリア』」


 花も、鳥も、他のどんな意匠も施されず、ただ真っ白な服に、ただその名だけを刻んだ、刺繍。


 その文字の一つ一つを眺めながら、考える。

 これを刺したのは、私の母なのだろうか。

 もしそうだとしたら──どんな思いで、これを刺したのだろうか。


 込められたそれは、手放さなくてはならない我が子への惜別の念なのか。


(それとも──)


 かつてあった愛情の、最後のひとかけらなのか。


 そう考えると、まるで、心臓を鎖で締め付けられるような感覚がして。

 その感情を追い出すように、ふう、と息を吐いた。

 そうして、天を仰ぐ。


(分からない。考えても考えても──……いや、違う。そもそも……私に、分かるはずがないんだ)


 私に与えられた手がかりは、この、小さな糸の文字だけ。

 それ以外は、何も無い。


 たったそれだけでは、私には、推測することしか出来ないのだ。

 だから、その推測が正しいのかどうかも、分からない。


 いくら考えても、考えても。

 その結果として現れるのは、深まる疑問と、心が締め付けられるような感情(おもい)だけ。

 それは募るばかりで、いくら時が経っても、解決はしない。


(…………。あぁ、もう!)


 そう、考えていても仕方がないのだ。

 どうせ、私が考えたところで、答えは出ないのだから。



 そう割り切った私は、手にしていた産着を素早く片付け、勢いよくベッドに飛び込んだ。

 気持ちを落ち着けようと、灯りを消して、暗闇に身を委ねる。


「…………」


 だけど──考えるのを止めようとしても、どうやっても、それは私の意思と関係なく、続いてしまって。


 月灯りに照らされて、闇と光が揺らめく天井を見つめながら、考える。


(……。……もし、私が誰なのか、分かったのなら──)


 あの気持ちの正体も、分かるのだろうか?

 私が紡歌(つむぎうた)を聞く度に起こる、あの気持ちのことも……



 ──私の心の中の、一番、深いところ。

 普段は意識すらしていないような、ずっとずっと、奥深く。


 私が紡歌の世界に触れる度に、その深い場所で、それは、ふと沸き起こる。


 その感情は、決して、強くは主張しない。

 けれど、ここにいるよと、確かにそれは、私にささやきかけている。


(あの感情を、言葉に表すなら)


 あれはきっと、何か大切なものに巡り会えた時のような、嬉しさと、喜びと。

 哀しみと寂しさをはらんだ、涙が溢れそうなほどに愛おしい、懐かしさ。


 それら全てが複雑に入り交じった──そんな、気持ちだ。


(でも……)


 私は、カミルさんと出会うまで、一度も、紡歌を聞いたことがなかったのに。

 知っているとしても、本からの知識でしかなかった──そのはず、なのに。


 それなのに、それを超えた、何かが動く。

 紡歌に、その世界に──私が、触れる度に。


(これは……何?)


 自分でも、こんな気持ち、矛盾していると思う。


 だけど──それと同時に、この気持ちが、何かとても大切なもののような気がしてならなくて。

 胸に当てていた手を、ぎゅっと握りしめた。


(……あぁ)


 あぁ、分からない。

 私一人では、どうやっても分からない。


 この気持ちも、私自身のことさえも、何もかも。


 だけど……


「いつか……分かる日が、来るのかな……」


 この気持ちの意味も──そして、私という存在の意味も。

 分かる日が、来るのだろうか。

 その一歩を踏み出せる日が、来るのだろうか。


 でも……それを知ろうとする勇気は、今の私には、まだ無くて。

 零れ落ちた言葉は、夜の闇に、静かに消えていった。



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