第一話 白の少女
春の陽光に照らされ、煌めく街並み。
その中を歩いていると、柔らかな風が、華やぐ花々の香りを運んできた。
その甘い香りを楽しんでいると、後ろから突然、びゅうっと風が吹き抜ける。
「フィー! 今日は仕事お休み?」
風と共に降ってきたその声に、私は足を止めた。
その声の方へと顔を上げれば、そこには友人であるティナの姿が。
若草色の髪を持つ彼女は、郵便鞄を持って、空に浮いていた。
「そうよ。ティナは配達の途中?」
「そう! 今日は手紙より荷物が多くって。重くて大変大変」
そう言って肩をすくめた彼女だったが、実際に重みを感じている訳ではないことを、私は知っている。
若草色──つまり緑の髪を持つ彼女は、風属性の輝術が得意だ。
だから、軽々と空を飛べるし、重い荷物だって楽に運べる。
「っと、もうこんな時間! フィー、呼び止めてごめんね!」
「ううん、こちらこそ。配達、頑張ってね」
「ありがとう!」
ティナが飛んでいくと、それに合わせて生じた風が、私の髪をさらっていく。
(相変わらず、白いなぁ)
さらさらとなびいていく自分の髪を、私はぼうっと眺めた。
私の髪は、白い。
ただ生まれつき白いのだ。
(なんで、こうなったんだろう?)
乱された髪を整えながら、私はぶらぶらと街中を歩いていく。
同じように街中を歩く人々に目を向けても、私のような白髪は一人もいない。
いるのは、赤、青、緑、茶、紫、銀、金、といった、七つの髪色の人ばかりだ。
ここ、クルール王国の民は、「輝力」という不思議な力を、ほぼ全員が持っていて、その人の持つ一番強い属性が、その人の髪色として表れる。
髪色の濃淡や色合いは人それぞれだが、火、水、風、土、強化、防御、治癒といった、輝力の七属性に応じた七つの色から完全に外れている人は、ほとんどいないのだ。
──そう。「ほとんど」いない。
だから、例外もいる。
それは、私のように白の髪を持つ人々だ。
その人の持つ輝力が髪色に表れるクルールにおいて、白の髪を持つというのは、何にも染まっていない──つまり、色が、輝力が無いということ。
であるから、白髪の人々は、他の人々がごく普通に出来ることが、出来ない。
輝力が無いから、それを用いて行使される技──輝術も使えないのだ。
だけど──私は、その白髪の中でも、特に異質な存在だった。
それがどうしてかは分からない。
私には、それを知る術が無いから。
だから、こうして自分で考えてみるけれど、偉い学者様でもなんでもない、ただの一庶民である私が考えたところで、答えが出るはずもない。
(まあ、いいか)
そうして、早々に考えるのを諦めた私は、お目当てのお店に向かった。
最近新しく出来たおしゃれなカフェ。
今日の目的は、そこでご飯を食べることだった。
ついこの間貰ったばかりのお給金を握りしめ、扉に手をかける。
カランコロンとドアベルを響かせると、中はお客さんでいっぱいだった。
(おお、賑わってるなぁ)
その盛況ぶりに驚きつつ、近づいてきた店員の女性に声をかける。
「こんにちは。一人なんですけど、空いてますか?」
「いらっしゃいませ、こんにちは! 空いておりますよ。お席にご案内致しますね」
「お願いします」
店員さんは、爽やかな笑顔で席に案内してくれる。
私は、その後ろについて行きながら、店内を軽く見渡してみた。
お店の外観は、白を基調としたシンプルなデザインだったけれど、内装は、白と青、そして水色が基調となっていて、まるで、澄み渡る空の中にいるような、そんな、開放感のある雰囲気だった。
(まあ、それもそのはず)
そもそも、このお店のコンセプトが「空の上でのお茶会」というものらしく──外の立て看板にそう書いてあった──その名の通り、空をモチーフとしたものがあちらこちらに設置されている。
青い椅子の上には、ふわふわの雲のクッションが置いてあるし、テーブルに置いてある透明な水差しの上では、蓋のようにくっついた小さな雲が、しとしとと器の中に雨を降らせていた。
どうやら、中の水が減ったら雨が降る仕組みのようで、その光景を見るためにわざわざ水を飲み干すお客さんの姿も見受けられる。
でも、その気持ちもよく分かる。透明なガラスの中に静かに雨が降りゆく様は綺麗だし、そこに外の光が差し込むと、きらきらと七色に光が反射して、見入ってしまいそうなほどに美しい。
(それにしても、凄く手が込んでる)
水差しの上の雲はもちろん輝術製だろう。が、おそらく、この椅子の上のクッションも、輝術製の本物の雲だ。
なんとなくだけど、水属性で雲を作った上から、風属性で補強することで弾力性を生み出しているような気がする。
あとは多分、座って濡れたりしてしまわないように、周りを包み込むように防御属性か風属性でコーティングもしてある。
それをこの店内全ての席に置いているのだから……店主のこだわりは相当なものなのだろう。
(でも……こんなお店なら、ただお茶するだけじゃない、わくわく感があって楽しいよね)
またその他にも、各テーブルの上に一輪挿しで春の花が飾られていたり、通路の脇に鉢植えの植物が置いてあったり、天井付近に本物の虹がかかっていたりと、細かな所からも、おもてなしの心が感じられる。
清潔感もあっておしゃれだし、店員さんも明るくて、本当に素敵なお店だ。
そうして席に通された私は、お財布と相談しながらメニューとにらめっこし続けた末、ようやく頼む物を決めて、店員さんを呼んだ。
「この、春野菜のクリームパスタを一つ、お願いします」
「はい、かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
注文票を手に、丁寧に頭を下げて去っていった店員さんは、さっきとは違う人だ。
だけど、私を見ても顔色一つ変えなかった。
(本当にいいお店)
メニューも、あまりお金のない私にも手が届くものが、多かった。
これで味も良かったら、絶対に行きつけにしよう。
そう思いつつ、頼んだものが届くのを待つ。
席に通されてすぐに出されたレモン水を飲みながら店内を眺めていると、ふと、ささやき声が耳に入ってきた。
「見ろよ、あいつ白髪だぜ」
「うっわ、ほんとだ。俺、『色無し』初めて見たわ」
ちらりとそちらを見ると、くすくすと、嘲笑うような声が大きくなる。
それは、明らかに私に向けられたものだった。
(はいはい、それがどうかしましたかー)
すぐに視線を他に向け、ちびちびとレモン水を飲む。
その間も蔑むような声は聞こえてくるが、そんなことで傷つくような私ではない。
この国で珍しい白髪を持つ私は、否が応でも目立ってしまう。
白髪の人は、クルールの民が本来持っているはずの輝力を持たない。
だからこそ、こうして差別的な目を向けられることもあるのだ。
そして、この白髪を「色無し」と呼ぶ人もいる。
色が無い、つまり、お前は輝力を使えない、出来損ないなのだと、そういう意味だ。
別に、この国に白髪蔑視やあからさまな偏見がある訳ではないのだが、どうしたって、どこにだって、こういう奴はいるのだ。
人を見下して何が楽しいのか、私にはちっとも分からないのだけど。
そうして、ひそひそとささやかれる声を無視し続けていると、ようやく頼んだ品が運ばれてきた。
「お待たせ致しました。春野菜のクリームパスタでございます」
「ありがとうございます」
ことりとテーブルに置かれたのは、色とりどりの春野菜と厚切りベーコンが乗った、とっても美味しそうなクリームパスタ。
クリームは少し黄色味があるので、全卵を使っているのかもしれない。
そのとろりとしたクリームの上に振られている黒胡椒の香りが、なんとも食欲をそそる。
(もう、匂いだけで美味しい……)
店員さんが去っていった後、私は早速フォークを手に取った。
パスタをくるくる巻いて、ぱくりと一口。
(んん〜っ! めちゃくちゃ美味しいっ!)
美味しすぎて、ついつい頬が緩む。
シャキシャキと歯ごたえの良い春野菜。
そこに、厚切りベーコンの旨みたっぷりの脂が絡まり、それら全てを、濃厚で、けれど決してくどくない極上のクリームソースがまとめあげる。
どうやら、チーズも入っているらしく、それがまた美味しさに相乗効果を作り出していた。
(これは……行きつけ決定だわ……)
そんなことを考えながら、食べ進め、あっという間に完食する。
美味しすぎて、つい夢中で食べてしまった。
「ごちそうさまでした」
ほう、とひと息ついたところで、私はふと、あのささやき声が聞こえなくなっていたことに気づいた。
(もう出ていったんだろうか)
そう思って、ちらりとそちらを見てみると、まだあの人たちはいた。
けれど、先程とは様子が違う。
私を見るなり、顔を赤くして目を逸らしたのだ。
(……はっ?)
え、なんなのあの変わり様。
もしかして、よく似た別人?
いやいや、まさかそんな事はないだろう。
だって服も同じだし。
(うーん、分からない)
先程からのこの短時間で、何かあったのだろうか。
しかし、まあ、変な蔑みを受けずに済むのなら、それで良いか。
と、私は最後にレモン水を飲み干してから席を立ち、お会計に向かった。
お会計の所にいたのは、一番初めに私を案内してくれた、あの店員の女性。
「ごちそうさまでした。お会計お願いします」
「ありがとうございます。お会計、八百レルでございます」
そうしてお金を払っていると、店員さんが話しかけてきた。
「お客様は、何か美容のお仕事につかれていらっしゃるのですか?」
「え? いえ、違いますけど……」
いきなり話しかけられた私は、少し戸惑いながらそう答える。
び、美容?
そんなものにかけるお金は、私には無い。
なので、肌の手入れも適当、というか必要最低限だ。
だから、話の脈絡がまるで分からなかった。
というか、お店忙しそうなのに、私と世間話なんかして大丈夫なんだろうか。
そう思っていると、店員さんは「そうなんですね」と笑って、そしてこう言った。
「お客様のお肌も御髪もとても綺麗だったので、てっきりそういうお仕事なのかと思ってしまいました」
「!」
その言葉に、私は驚いて、そして察した。
いま彼女が浮かべているのは、営業スマイルでもなんでもない。
本当に、「そう」思っているんだな、というような、心からの笑顔。
(あれを聞いてたんだ……)
このお店に入ってすぐの、私を嘲笑う、ささやき声。
彼女はきっと、それを聞いていて、その上で私を慰めてくれたのだ。
そう思う人たちだけじゃないんだよ、と。
「……ありがとう、ございます。そう言って頂けて、嬉しいです」
褒めてくれて、そして気遣ってくれて、ありがとう。
そんな私の心の声は、店員さんにも聞こえたようで、彼女は明るい笑みを浮かべた。
「いえ。本当に、お客様はお綺麗ですから。宜しければ、またお越しくださいね」
「はい、もちろん。とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
そう言って、私は笑顔でお店をあとにした。