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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Ruin Utopia

エンジェルフィッシュは灰の海で踊る

作者: 宵宮祀花

 ―――純白のフィッシュテールドレスを翻して、身の丈に余る武器を手に戦場を駆ける少女がいる。


 異能力者たちのあいだで、そんな噂が流れていた。

 誰も本気になどしておらず、もしそんな少女がいるならお目にかかってみたいものだと酒の肴にされるばかりの、他愛ない噂だった。

 それと同時に、能力者を人形に作りかえて手駒にする異能力の持ち主がいるという噂も流れていた。そちらは仲介所でも要注意能力者として懸賞金と共に張り出されているため単なる噂ではないが、見たものはいない。―――否、その能力者に出会ったものは全て、人形にされているか殺されているというのが正しかった。


 国家が滅び、世界の八割が崩壊し、街の大半が廃墟と化した世界でも人は生きている。異能という新たな武器を身に宿し、壊れた世界でこそ生きていられる。

 原因など最早誰も覚えていない。ひどい核戦争があっただとか神の裁きがあっただとか風説ならいくらでも転がっているが、真実は瓦礫の下に埋もれたまま誰も掘り返そうとは思わない。

 そうして年月が過ぎ、嘗ての文明が遺産と化した現在でさえも、人は娯楽と仕事を往復しながら生きているのだ。


「小僧、お前のそれはアニマテルムか?」


 仲介所のロビーで、一人の少年が屈強な傭兵風の男に声をかけられていた。

 少年の傍らには、少年より二~三歳ほど年下に見える少女が、所在なげに佇んでいる。色素の薄い髪に硝子のような瞳、そして、胸の中心に埋め込まれている澄んだ色の宝石。その全てがアニマテルムという種族の特徴を差していた。


「……そうだけど、おっさん誰だよ?」

「ははは、元気なガキだ。俺は異能犯罪狩りギルド烈火旅団のギルドオーナー、暁だ」


 年上に対して失礼な物言いをする少年の態度にも気を悪くした風もなく、暁は筋肉質な巨体を揺らして豪快に笑って見せた。大きな傷跡が残る日焼けした肌に灰色の髪、少年の頭を掴んで軽く持ち上げられそうなほど大きな手に見合った大剣と、暁を構成する全てが大きい。野性味のある瞳は赤く、その色は異能力者を表わす特徴の一つだ。

 対する少年は、染めた金髪に青みがかった黒い瞳、決して小柄でも貧弱でもないが暁の前では華奢に見えるごく一般的な十代の少年らしい体躯という、アジア人の特徴を残した姿をしている。


「で、そのオーナーが何の用? 言っとくけどコイツはやんねーからな」

「いらねーよ。んなことよりお前、それと出会ってどれくらいだ?」

「は?……一年くらいだけど、それがなに?」


 一年と聞いて、暁の目が僅かに細められた。その目は少年を通して、背後に隠れている少女を見据えている。


「そうか。因みにそれの使い方を教えてやるっつったら、俺のところに来るか?」

「はぁあ? 必要ねえよ。それにさっきから、それとか使うとか失礼なこと言うなよな。コイツは物じゃねえっつーの」

「……そうかよ。邪魔したな」


 ひらひらと手を振り、暁は少年の前から立ち去ってギルドメンバーらしき集団のほうへ混ざっていった。


「ったく、何なんだよあのおっさん……」


 少女の手を引きながら、少年は瓦礫の街を早足で歩いて行く。背後を懸命についてくる少女が時折躓いていることに気付いていない様子で、ブツブツと文句を呟きながら歩いて歩いて歩き続けて、前方に開けた空間が見えてきたところで漸く足を止めた。

 前衛芸術のオブジェめいたビルの残骸や、不安定な格好で支え合った状態の電柱だったものなどが取り囲む、闘技場のような空間だ。元はスクランブル交差点だったのだろう、白い誘導線のあとがひび割れたアスファルトに残っているのが微かに見える。

 少年が足を止めた理由は、広い場所に出たからではない。その中心で舞い踊る、純白のドレスを見たからだ。


「あれは……前に仲介所で酔っ払ったおっさんたちが言ってた、噂の……」


 長いフィッシュテールの白いドレス。鋭い刃のような銀色の髪に、深い緋色の瞳。細い手足に見合わず、彼女の武器は身の丈以上もある巨大なガンアックスだ。

 振りかぶる際に引き金を引くことで、裂傷に加えて爆撃でのダメージも与えるという、殺すための武器。元来は瓦礫撤去に使われていた工具で、戦斧ではなくハンマーだった。それを武器として改造したものが世に出回ったという代物だ。

 巨大な戦斧を軽々と操り、舞い踊るかのように戦う彼の少女に対峙するのは、少年より幾許か年上に見える青年だ。

 短い黒髪に、異能力者を表わす赤い瞳、三節槍を自在に操る様はだいぶ戦い慣れているように見える。だというのに青年の表情はひどく苦しげで、対する少女は艶麗な笑みすら浮かべている。


「あなたで何人目かしらね。そんなにお金に困っているのなら、廃墟を漁ればいくらでも金目の物が転がっているのに、どうして危険を冒してまで私の元へ来るの?」

「ぐっ……黙れっ! 誇り高きギルドナイトが、フィッシャーマンなんかに成り下がってたまるかよ!!」


 背後に跳んで距離を取り、肩で息をしながら青年が反論する。少女は心底不思議そうな顔で、地面に突き立てた斧の柄を撫でながら首を傾げた。


「その『漁り屋』がいるから、貨幣文化がかろうじて残っているのではなくて? 彼らがいなければ、この世から価値のあるものはなくなっているわ。『狩猟騎士団』に払う品も彼らが見つけてきているのに……ひどい言い草ね」

「きれい事を……!」


 叫ぶと同時に踏み込み、低い姿勢で一気に距離を詰める。敵意と殺意を宿した眼差しに正面から射抜かれながらも、少女は溜息を吐いてから踊るように軽やかに身をかわした。青年は砂埃を立てて地面を踏みしめて勢いを殺し、その反動で再び襲いかかった。

 関節が蛇のように自在に宙を舞う三節槍の動きにも、少女は難なくついて行っている。それどころか、子猫が虫をいたぶるような余裕さえ窺える。


「……遊ぶのも飽きたわ」

「なっ……!?」


 向かってきた青年に対し、少女は避けるでもなく武器を盾にするでもなくそのまま体で受け止めた。体の中心を槍が貫き、ドレスが赤く染まる。間近でそれを目撃した青年が、誰よりも信じられないという顔でそれを見つめていた。


「―――自分の目が信じられない? それは正しいわ」


 次の瞬間、少女の姿は真っ白な花弁となって消えた。風に舞い上がった無数の花弁が、青年の背後で再び集まると、光に包まれながらやがて少女の姿になる。


「さあ、答え合わせをしましょう」

「かはっ……!」


 嘲るような笑い声と同時に、青年は自らの武器に貫かれた。

 なにが起きたのか理解する間もなく、腹部から焼けるような痛みが広がる。意識が遠く落ちかけたのを瀬戸際で踏み留まったつもりが、青年は地に膝をつき片手をつき、そしてぐらりと傾いて倒れ伏した。

 倒れた青年を蹴り転がして仰向けにすると、少女は背中から腹へと突き抜けている槍を乱暴に引き抜いた。


「可哀想に……助けてあげてもいいわよ。私のお人形になるなら……ね」


 無彩色の地面に鮮やかな赤が広がっていく。死の間際にあってなお、青年の目には強い殺意と嫌悪の色が宿っている。


「……だ、れが……お前、なん、か……に……」


 絞り出すような声で拒絶する青年を、まるで面白いものでも見たかのように見下ろして少女が笑う。その笑顔だけなら誰もが見惚れる愛らしさであるのに、視線の先にあるのはいまにも息絶えそうな血塗れの青年だ。


「いいわ。じゃあ、助けてあげる」


 クスクスと楽しげに笑いながら、少女は斧の刃先で自身の指先を傷つけると青年の胸に垂らした。するとそこから蜘蛛の糸が張り巡らされるように赤い軌跡が走り、それが体を覆い尽くすと青年の傷が嘘のように塞がった。


「ふ……ざけるなっ! 誰が、誰がお前の人形なんか!!」


 立ち上がり掴みかかろうとするも、先ほどまで生死の境にあったせいで体が思うように動かないのか、ふらついて蹈鞴を踏むだけに終わった。

 少女はそんな青年を可笑しそうに眺めながら、斧の柄を撫でて口元に笑みを引いた。


「跪きなさい」

「っ!?」


 少女がそう命じると、青年の体は意志に反してその場に跪いた。


「お、前……なにを……!」

「ふふ、まさか、ただ命が助かるだけだと思ったの?」


 ころころと鈴を転がすような声で笑いながら、少女は言う。跪いた格好のまま目だけは反抗的な光を宿している青年を見下ろし、そして、繊細な花飾りのついた小さな白い靴に包まれた足で、その頭を踏みつけた。


「正しくはこうするのよ。勉強になったわね?」


 所謂土下座の格好に無理矢理させると、少女は斧の柄を指先で弾いた。瞬間、斧が光の粒子に包まれたかと思うと、瞬く間に背の高い金髪の青年の姿となった。前髪も後ろ髪も長く、その瞳は陰気な目つきに似合わず、宝石の如く透き通った輝きを持つ青みがかった緑色をしており、悩ましげに寄せられた下がり眉と相俟ってひどく無愛想に見える。

 青年の視界の端に、自分の手が映った。その手には明らかに血管とは別の細く赤い糸が張り巡らされており、少女の意に反した動きをしようとする度、焼けるように痛む。体は何一つ思い通りにいかないのに、意識は変わらず残っているのが余計に屈辱的だった。


「ねえユーシィ、彼ったら私のお人形になりたくないみたいなの。せっかく作ったのに、無駄になってしまったわ」


 ユーシィと呼ばれた金髪の青年は眉間の皺を更に深くしながら、少女の足の下で未だに抵抗を試みている青年を見下ろした。その目には深い侮蔑と僅かな嫉妬が宿っている。


「必要ありません。ルナーリアには俺がいます」

「うふふ。そうね、そうよね。お前が使える限りは使ってあげる約束だものね」


 それならと、純白の少女―――ルナーリアは青年の頭を踏みつけていた足を退け、一歩下がった。


「私は、どんな不良品でも自分の作品を壊すのは嫌いなの。知っているでしょう?」

「ええ、ルナーリア。あなたのことなら何だって」

「それなら私がなにを求めているかもわかるわね」

「お望みのままに。俺はあなたのものです。身も心も全て。ゆえに俺は、あなたの意志で動くのです」


 祈りの言葉のように唱えると、ユーシィは地面に転がっていた青年の武器を手に取り、青年の頭上に掲げた。体の自由が利かないまま首だけは動くことに気付いた青年が、己の真上にかかる影に気付いて怖々顔を上げる。


「ひっ……! やめ……」


 皆まで言わせず、ユーシィは青年の脳天から顎にかけてを真っ直ぐに貫いた。串刺しの状態でも暫くのあいだ口が動いていたが、それもやがて止まり、青年は目を見開いたまま事切れた。


「人形はいや、死ぬのもいやだなんて、我儘ね」


 槍が頭を支えているせいで、土下座の格好で顔だけ上げた状態のままでいる青年を蹴り飛ばすと、ユーシィはルナーリアの傍らに膝をついた。まるで、そこは自分の居場所だと主張するかのような彼の仕草に、ルナーリアは満足げに微笑む。


「いい子ね。それでこそ私の道具だわ」


 恍惚の眼差しで見上げるユーシィにそう言うと、ルナーリアはふと遠くに視線をやり、口元に笑みを浮かべながら物陰を指さした。


「そこのあなた、見物はもういいでしょう? 出ていらっしゃい」


 ユーシィはルナーリアの言葉と共に立ち上がると、その傍らでルナーリアを守るようにして、白く細い指が指し示した先を見据えた。

 暫くして、瓦礫の影から金髪の少年が硝子人形のような少女を伴って姿を現した。手を引かれるままついてくる少女を見、ルナーリアは笑みを深める。


「あなたもアニマテルムを持っているのね」

「俺も?……ってことは、アンタといるソイツもそうなのか」

「ええ、そうよ。私の可愛いユーシィは近代遺物の一つなの」


 ルナーリアがそう言うと、少年は僅かに瞠目した。


「アンタ……名前を知ってるのか?」

「名を所持するのは所有者として当然だわ」


 当然と言い切ったルナーリアを、少年は悔しそうに睨む。そして傍らの少女をチラリと一瞥すると、目を伏せて「俺は……コイツの名前を知らない」と零した。


「名前だけじゃない。俺が引き取ってから殆ど喋らなくて、いまじゃ全く喋らないんだ。表情もあの日から全然変わらなくなって……やっぱ、アイツが死んだのがいまもショックなのかな」

「ふふ、そう……元の持ち主は違ったのね」

「持ち主とか言うな!!」


 破裂したように、少年が叫ぶ。


「コイツは物なんかじゃない! アンタといいギルドのおっさんといい、なんでコイツを物扱いするんだよ!! アイツもたまに使うとか言ってたし、何なんだよ一体!!」

「物だからよ」


 少年の真っ直ぐで愚直な眼差しと叫びにも、ルナーリアは全く意に介した風もなくただ一言、さらりと答えた。その、あまりにも当然と言わんばかりの物言いに、少年は勢いを削がれたように押し黙った。


「アニマテルムは自我を持った道具。それ以上でも以下でもないわ」

「ふざけるなよ! なんでそんなひどいことが言えるんだ!?」


 顔を赤くして自らを鼓舞するように叫ぶ少年を冷たい目で見据えながら、ルナーリアは呆れたように溜息を吐いた。


「ひどいのはどちらかしら。だってあなた、それの名前も知らないじゃない。しかも見たところ、使い方もわかっていなさそうだわ」

「っ……!! そんなことない! そこまで言うなら見せてやるよ!!」


 少女の手を取り背後に跳ぶと、少年は少女の手を強く握り締めて叫んだ。


「アイツに見せつけてやる……! いつものように武器になってくれ!」

「…………」


 少女は一瞬哀しげな目をルナーリアに向けると、その姿を西洋剣に変えた。

 然程大きくもない剣を両手で重たそうに構える少年を見て、ルナーリアは可笑しそうに笑う。


「ふふ。やっぱり、使いこなせてないのね。アニマテルムの重さは信頼の深さによる……持ち主を信じていればいるほど、羽のように軽くなるものなの」

「うっ……嘘だ!! 適当なこと言って惑わそうったってそうはいくか!!」


 未熟な構えで剣を振りかぶる少年の不格好な突撃をかわすと、ルナーリアは背後に立つユーシィの頬に手を添えて仰のいた。ユーシィはそれに応えるように俯き、ルナーリアの手のひらに口づけをする。


「現実を知らない、知ろうともしない愚かな子供に教えてあげましょう」

「ええ、ルナーリア。あれではあまりにも憐れだ。ルナーリアの慈悲を与えて差し上げてください」


 その言葉と共にユーシィも武器の形となった。人型のときと変わらぬ長身に、自動車も両断しそうなほどに大きな半月型の刃、複雑に組まれた銃パーツの所々には青緑の宝石が輝き、ルナーリアの指が柄を撫でる度妖しく煌めく。


「そんなバカみたいにデカい斧、小さい女が振り回せるはずが……まさかアンタの異能は筋力強化なのか……?」


 あくまでも武器の特質ではないと思い込もうとする少年を、ルナーリアは軽蔑混じりの笑みで見据えた。


「あなたの戯れ言は退屈だわ」


 そう言うと、斧を一閃。少年の数センチ前を振り抜いた。


「うわああっ!!?」


 よく見れば当たるはずもない距離だというのに、少年は大袈裟に叫ぶと剣を放り出して飛び退いた。放り投げられた剣は回転しながら地面を数メートル滑ると、その先で少女の姿に戻った。全身を地面に打ち付け、少女が小さく呻く。

 駆け寄ろうと少年が動くより先に、ルナーリアが地面を蹴って跳び、倒れ伏した状態で咳き込んでいる少女の傍らに立つ。そして立てかけた斧の、刃と柄のあいだにある銃機構部分に優雅に腰掛けながら爪先で少女の顎を掬い上げた。


「お前、私の物になりなさい」

「な!? ふざけるな! ソイツは親友が遺した大事な相棒だぞ!!」


 叫びながら駆け寄り、ルナーリアめがけて拳を振り上げる。少年の拳が届く寸前、光が弾けてユーシィが人型に戻り、ルナーリアを抱えたままで少年を長い足で蹴り飛ばした。その一連の有様に視線すらやらず、ルナーリアは涼しい顔で少女を見下ろしている。

 少女はゆっくりと体を起こすと、駆け寄る前にいたところまで飛ばされた少年には目もくれずにルナーリアを見上げて頷いた。


「ふふ、素直ないい子ね。特別に口づけの許可を与えてあげるわ」


 ルナーリアがそう言って足を差し出すと、少女は迷いなくルナーリアの爪先に口づけをして忠誠を表わした。そしてふらつきながら立ち上がり、ルナーリアの傍について少年を無感情な目で見つめた。


「な、んで……っ! なんでだよ……! あのときアイツの代わりに、俺が世界を見せてやるって言ったじゃねーか! アイツが見れなかった景色を、一緒に見ようって……」


 蹴られた腹を押さえながら立ち上がり、必死に訴える少年を、少女はひどく冷めた目で見つめている。少女の表情に気付いていないのか、少年はふらふらと近付きながらなおも訴える。


「アンタは物なんかじゃない……一人の女の子としてちゃんとしあわせになるべきだって言っただろ!? だから俺は、アイツが死んで落ち込んでるアンタをグレイヴエリアから連れ出して……」

「頼んでない」


 氷で出来た刃のような冷たく鋭い声で、少年の必死の訴えを少女が遮った。

 少年はそのあまりにも冷たい声に気圧されて押し黙り、信じられないという顔で少女を呆然と見つめる。


「もううんざり。あなたの独善的で傲慢な考えに振り回されるのは。わたしは彼の道具として一緒に死にたかったのに、あなたが勝手に彼の元からわたしを持ち出した。持ち主を失って、最期を共にするというささやかな願いすらも奪われて、その上あなたの価値観をひたすら押しつけられる……ずっと、苦痛だった」


 嫌悪と侮蔑に歪んだ顔で少年を睨み、少女は呪詛の如き想いを吐露していく。その声はひたすらに平坦で温度がなく、硝子人形めいた少女の容姿と相俟って人間らしさが微塵も感じられないものだった。


「あなたといると、わたしは偽の姿しか取れない。彼の……ユーシィのように美しい理の姿でいることすら出来ない。そして、真の姿をあなたは何度も貶した。わたしはあなたが生きている限り、正しくわたしでいられない。気が狂いそうだった」

「そんな……っ、そんなの嘘だ……なあ、嘘だよな……? そうだ、ソイツに操られてるだけだ……そうだよな……?」


 そう言って伸ばされた少年の手を、少女は嫌悪に満ちた顔で睨みながら振り払った。


「お人形ごっこはもうお終い。あなたはわたしの幻想だけを見ていた」


 振り払われた反動と絶望で、少年はその場に膝をついた。

 その姿を冷めた目で見下ろしたかと思うと、ふいと目を逸らしてルナーリアを見つめ、うっとりとした表情で口を開いた。


「ルナーリア、あなたならわたしを正しく使える。わたしならあなたをこの上なく美しく魅せてあげられる。あなたにとってわたしは二番目でもいい。持ち主と共に逝けなかった憐れなアニマテルムでも、きっと役に立ってみせる」

「そう。いい子ね。なら、あなたの真名をわたしに寄越しなさい」

「勿論、そのつもり。でも……」


 そう言って、少女はチラリと少年を一瞥する。


「教えたら、彼をこの場で殺していい?」

「……!?」


 弾かれたように顔を上げる少年の目に映ったのは、まるでゴミを見るような目で自分を見下ろす少女の姿だった。


「ええ、勿論。アニマテルムの真名を知る主人は、この世で一人だけだもの。そうね……死ぬ前に、真実を教えてあげましょう。憐れで愚かで独善的な子供に、ね」


 ルナーリアが少女の頬に手を伸ばすと、少女は先ほど少年の手を振り払った際に見せた表情と真逆のうっとりとした表情でそれを受け入れ、手のひらに口づけをした。すると、少女の体は見る間に光の粒子に包まれルナーリアの体を包んでいく。


「これは、理の姿ね。わたしのために選んだ形……もう一つの魂の有り様だわ」


 裾にフリルがあるだけで、それ以外の飾り気が殆どなかった純白のドレスと、花飾りが甲についていただけの白い靴に、アクアマリンに似た澄んだ色の宝石をふんだんに用いた装飾が付加された。シャンデリアの如き豪奢な白金の首飾りに、幅広のブレスレットと、揃いのアンクレット。更に、長い銀髪には無数の宝石が螺旋状に巻き付いている。それら全てに雫型をした薄水色の宝石が揺れていて、ルナーリアが動く度に鈴のような軽やかな音を奏でる。


「真の姿を取らなかったということは、死にゆくものとはいえ、あなたに見せたくないと思っているのね。貶したと言っていたから当然かしら」


 可笑しそうに笑い、ルナーリアは首元の飾りを指先で撫でた。澄んだ水の色が燦めき、光を纏って再び人型に戻ると少女は少し離れたところへ歩いて行ってなにかを拾い上げ、ルナーリアの元へそれを持って戻ってきた。


「こんな人間に、ルナーリアの大事なユーシィを使ってほしくない。わたしもこんなのの血で汚れたくない。だから、これでいい」


 少女が差し出したのは、先の戦いで青年を貫き殺した槍だった。穂先と周辺の柄が血で汚れており、時間の経過でいくらか乾いて黒ずんでいる箇所が見られる。頭部を貫通したものを引き抜いたからかピンク色した組織が付着しているが、この場にいる誰一人としてそれを気にしていない―――否、少年だけは気にする余裕がないだけとも言えるが。


「仕留めてあげましょうか?」


 ルナーリアの申し出に、少女は首を振った。


「あなたの物になる証として、わたしが殺す」


 少女は少年と共にいたときのような無表情で槍を振り上げ、少年の頭上で構えた。


「う、嘘だ……お前は、そんなこと出来るようなヤツじゃないだろ……? なあ、正気に戻ってくれよ……俺たち、ずっと二人で楽しく旅してきたじゃないか……」

「それはあなただけ」


 震えながらの訴えにも、少女は僅かも心を動かさない。肩を蹴り、仰向けになった体を踏みつけて押さえ、胸をめがけて振り下ろす。


「わたしの名はULY-0A、ルナーリアを引き立てる装身具。そして―――」

「がっ!!?」


 貫通した槍が地面にまで突き刺さり、少年をアスファルトに磔にした。

 心臓ではなく肺を貫いたようで、ヒューヒューと空気が漏れる音を立てながら苦しげに呼吸をしている。


「……な……んで……っ」


 両手で槍を掴みながら踠く最中、少年の脳裏には少女と出会ってからの日々が走馬灯のように巡っていた。


 ―――グレイヴエリアの、ギルドナイトの墓に座り込んでいる少女がいた。俺の親友の墓だった。細い体を震わせて、アイツの名を呼びながら泣いていた。

 声をかけようとしたら両手で石を掴んで胸元の宝石を砕こうとしたから、止めて墓から引き離した。あんな場所にいたら暗い気持ちに囚われちまうと思ったから、宿の部屋まで連れてきたんだ。泣きながら『彼の元へ行かせて』なんて言ってたけど、死んだって何もいいことなんてないって、そう教えてやりたかった。


『アンタ、アイツが持ってた短剣だろ? 前に武器になれる種族がいるって聞いたことはあったけど、ほんとにいたんだな! アイツは短剣なんかで戦ってたけどさ、やっぱ男はでっかい武器を使ってこそだよな! なあ、こんな感じの剣にもなれんのか?』

『………………なれるけど、すきじゃない。わたしは』

『なれるんだな!? じゃあ試しに変身してみてくれよ! こういう武器に憧れるけど、高いんだよなー! アンタがなってくれたら買わなくて済むじゃん?』


 アイツに見せたのは、有名なギルドナイトのブロマイドだった。ギルドで名を上げると姿や装備、着てる服にまで価値が出る世界だ。だから俺もあの有名な戦士みたいな武器で格好良く戦いたかった。

 あの子は、画像通りに変身してくれた。まるで、無二の相棒と戦うあのギルドナイトになった気分だった。


『あなたは、どうしてアニマテルムを理解しようとしない……?』

『へ? 理解もなにも、別に俺たちと変わりないだろ? 武器になれるってのはちょっと特殊かもだけどさ、それ以外は普通の女の子なんだから』


 あるとき、あの子にそんなことを言われた。言ってる意味がわからなくて、俺は思ったことをそのまま伝えたんだ。


『違う。わたしは人間じゃない』

『そんなこと言うなよ! こんな可愛い顔してんのにもったいない! アンタも女の子としてちゃんとしあわせになるべきだ! アイツはもういないけど、代わりに俺がアンタに世界を見せてやるからな!』


 それでアイツがいなくなって不安なんだろうなって思ったから、励ましてやったんだ。あの子を物扱いして、女が使うみたいなきらきらした短剣なんかに拘ってた変なヤツではあったけどそれ以外はいいヤツだし、俺にとっても親友だったから、親友が大事にしてた女の子を墓場に置いておくなんて出来ないだろ。


 でも、あれからあの子は俺に喋りかけなくなった。

 俺が、アイツはもういないって改めて言ったせいで思い出しちまったんだろうなって、少し申し訳なくなったけど。でも、色んなところを旅すればそのうち元気が出ると思って気にしなかった。女の子は気分が変わりやすいとも聞いたしな。


 いつかアイツのことも忘れて、俺に笑いかけてくれるようになるって、そう―――



「―――……わたしは、儀式用短剣。戦うための武器じゃない」


 陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせて、見開いた目から涙を流して少女を見つめながら、少年は時間にして二分半ほど苦しみ抜いた果てに息絶えた。


「……ふふ。いま、あなたを通してその子の思考が流れてきたのだけれど、あなたを元の持ち主のところから引き離した瞬間から、独り善がりな思い込みに塗れていたのね」


 振り返った少女は哀しげに眉を下げ、ルナーリアに向き直って頷いた。

 少年が楽しかった旅だと称していた思い出は全て、少女にとっては彼が独善で暴走した日々の光景でしかなかった。人間と同等に『扱ってやる』ことが少女にとっての喜びだと信じて疑わず、少女自身の言葉に耳を貸さなかった結果がこの末路なのだ。


「彼を愚弄し、わたしを見下していたことにも気付いていなかった。己の考えが正義で、人間扱いされることが誉れだとでも思っていたらしい。最初の持ち主はわたしで戦ったりしなかったのに、親友と言いながらそんなことすら知らなかった」

「あまりに愚かね。人間を物扱いすることは確かに失礼だけれど、それと同じように物を人間扱いすることも失礼だと、最期まで理解出来なかったのね」


 ユーシィの手を取り、ルナーリアは長い指の付け根にキスをする。

 少女はそんな二人を眩しそうに見つめ、淑やかな仕草で頭を下げた。


「これからのわたしはルナーリアと共にある。あなたの物として、正しく使われる光栄を与えてくれたこと、わたしはこの身と魂全てで以て応えよう」


 ルナーリアが手を差し伸べると少女はその手を取り、恭しく手の甲に口づけをした。



 ―――純白のフィッシュテールドレスを翻して、身の丈に余る武器を手に戦場を駆ける少女がいる。


 そんな噂はいつしか、僅かにその形を変えていた。

 純白のドレスに澄んだ水を固めて作ったような宝石を身に纏い、鈴にも似た清廉な音を奏でて戦う少女がいる。そしてその少女の傍らには、執事のように付き従う青年と、泉の精霊のような姿をした幼い少女がしあわせそうに付き従っている、と。


「そんなに綺麗なご一行なら、一度お目にかかってみたいもんだ」


 酒の席で、大柄な男が山のような体を揺らして豪快に笑う。

 その目の奥には、狩猟者としての本能と好奇心が欲を隠しもせずにギラついていた。

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