自主練
自主練が始まります。
「じゃあ俺、そろそろ行くね」
「大君、本当にありがとう」
土を運び終えた後で大君の背中に言を掛ける。
「でも私、この土で何をするつもり何だろう?」
その後で大君には聞こえないようにそっと呟いた。
でも大君には聞こえたらしかった。
大君が首を傾げながら軽トラを返しに出発したからだ。
(大君。本当のことが言えずにごめんね。でも私でさえ判らないの。ねえ大君? 私何で大阪にいるの? 何であんなに美味しい物が作れるの? ねえ大君。知っていたら答え教えて)
私は祈るように大君の帰った道なりに目で追っていた。
(男爵は取り合えず土の傍に置いて……)
袋にある半額表示を気にしながら中身を確認する。
腐っていたりなどの最悪の事態もあり得るからだ。
(よし、何とか足りそうだ)
指で数えて、袋と照らし合わせる。
(そうか、一つの袋に薯も一つづつか?)
やっと自分行動を理解した。
(そうか。これはあれだ。きっと母が見ていたお昼の情報番組だ。確か、其処に穴を開けてから植えるんだったな)
母はその番組が好きで内容を良く私に話してくれていたのだ。
(ああ、だからあの時懐かしく感じたのか?)
私は何となくだけど、疑問が解けたように思っていた。
私は家の中で使う物だけ入れようと合鍵を取り出した。
――ガチャ。
その音が嬉しい。
私もこの邸宅の一員になれたような気がしたんだ。
その途端、ルームシェアをするはずだった陽菜ちゃんを思いだした。
私は一人で幸せに浸っている場合ではなかったのだ。
「もしもし……、ごめんね陽菜ちゃん」
「全くもう、貴女って人は……」
携帯から聞こえてきたのは懐かしい菜ちゃんの声だった。
「陽菜ちゃん聞いて、私今初恋の人と同じ部屋に住んでいるの」
「えっ!?」
「同棲じゃなくて、ルームシェアなの。私彼のルームメイトになったの」
「私との約束すっぽかしておいて……」
陽菜ちゃんが呆れていた。
「ごめんなさい陽菜ちゃん。まだどうなるか判らないけど、きっと何時か遊びに行くからね」
私はそう言いながらスイッチを切ろうとした。
「あ、紫音ちゃん待って。此方も報告があるのよ。……ったく、一人勝手にしゃべって切らないで」
陽菜ちゃんが又怒ってる。
当たり前だよね。
ごめんね陽菜ちゃん。
『今日ね、物件決めて来たよ。場所は代官山で、新築物件だよ。一週間後に引っ越しなんだ。ねぇ、紫音ちゃんどうするの? あのね、十畳の部屋が六コ、二十畳のリビングに六畳のアトリエにパティオの付いた庭よ。まだ余裕あるから早く帰って来てね』
陽菜ちゃんは何だか嬉しそうだった。
「ねえ、陽菜ちゃん。そのパーティーオとかって何?」
『パーティーオじゃなくてパティオよ。何て言ったらいいのかな? そうだ、中庭かな?』
「中庭? あっ、あった。陽菜ちゃん此処にもあったわ」
私は一階のリビングの向こうにある庭を見ていた。
「えっ、オマケにこれはピロティ?」
大きな木で隠れるように木製のブランコがある。
(美紀ちゃんのお祖父さんってきっと優しい人なんだね?)
私は何も知らずにそう判断していた。
「陽菜ちゃん、引っ越しは日曜日だよね。私行く、お手伝いに行くからね。ごめんなさい、ルームシェアのことはその時考えるね」
私はそう言って電源をオフにした。
「代官山か? 何だか凄いな。私も住んでみたいな」
呑気にそんなことを考えていて思い出した。
前に一度訪ねた日のことを……
代官山に行くためではなかった。埼京線で渋谷で降りて、恵比寿駅まで歩いた時のことだった。
通りすがりのマンションの看板に代官山の文字があったのだ。
私はずっと何かを忘れていたのだ。
それが何なのかを今思い出した。
それはアパートに残してきた母のことだった。
(ヤバい、確か今日は日曜日……)
私は、慌てて携帯を手にした。
「もしもしお母さん、私紫音」
『あっ、紫音……どうしたの何かあった?』
「はっ?」
母の間の抜けた言葉に一瞬戸惑った。
(心配してなかったのかい?)
何だい何だいと思いながらも、言い訳を模索していた。
(知らないうちに大阪にいたなんて、信じてもらえる訳がない)
私は即行動に出たことを後悔していた。
『大阪なんだってね。仕事頑張ってよ』
でも、母は意外な言葉を口にした。
「えっ、誰に聞いたの?」
『確か長尾直樹……君? だったかな。ホラ、元プロレスラーの私の好きな平成の小影虎の息子よ』
「えっ直樹君が……」
『あの子いい子だね。社会人野球に入るための準備をしているなんて言っていたけど、迷惑かけてない?』
「うん、大丈夫。みんな優しいから」
そう言いながら、思い出した。
以前母が、直樹君のお父さんの追っかけだったことを……
秀樹君と直樹君のパバさんは、平成の小影虎の異名を持つ元プロレスラーだったのだ。
「お母さん、直樹君っていい人なの。やはりお父さんの影響かな?」
『それは言えてる』
母は笑いながら言った。
『でもね、保育園時代はヤンチャでね。良く沙耶オバサンを虐めていたわ』
「えっ、直樹君のパパさんが沙耶オバサンを?」
『そうよ。その頃からプロレスラーになりたかったのね。良く技を掛けられては泣いていたわ』
「へえー。人は見掛けに寄らないわね。もしかしたらパパさん、沙耶オバサンのことが好きだったのかな?」
『うん、そうかもね。あ、そうそう。何だか判らないんだけど、直樹君あの時庭師だとか言っていたけど、貴女確かお花屋さんになるって……』
「あっ、そうなの。庭師って言うより花を育てることになったの」
私は母にまで嘘を言っていた。
『頑張ってね。紫音……良かったね。直樹君のこと大好きだったんでしょう?』
母は信じられないことを言った。
「うん」
自分の口から素直に出た言葉に驚く。
「じゃあ、お母さん又電話するね」
『うん、解った。此方のことは心配しないでね』
「うん、じゃあね」
そうは言ってもなかなか受話器は置けないでいた。
『思いっきり楽しんでくれればいいんだけど……』
誰かと話しているのだろうか?
そんな言葉が聞こえてきた。
親不孝の娘を庇いながら、その上優しさをプラスする母の言葉を聞きながらを電話を切った。
その途端、涙が溢れてきた。
(お母さんごめんなさい。お母さんにまで嘘をついて……)
温かくて冷たい物が頬を伝う。
私はそれを拭いもせずに電話機の前から離れられずにいた。
(お母さん。私やっぱり直樹君のことが好き。大好きなの。だから帰れないの)
自分勝手だと思う。
いい加減な娘だと思う。
だけど私はこのままじゃ帰れるはずがないのだ。
親不孝を、手に取ってももう聞こえる受話器の向こうにいるはずの母に詫びた。
私はみんなが帰って来るまで、泣き続けていた。
遣らなければいけないことが沢山あるのに何もしないで……
外がだいぶ賑やかになった。
(帰って来たのかな? あ、ヤバい。何も用意してなかった)
私は慌てて外に飛び出した。
(とりあえず買ってきた物くらいしまわないと、大君とトラックで先に送ってもらった意味がない)
私は大忙しで種などを物置に入れた。
三人が帰って来たのはもう少ししてからだった。
早速ネットを張り、大君指導でトス上げを始めた。
結局、何だかんだ言いながらも絶対に必要な物は買ってきてのだ。
幾ら大邸宅と言っても、ボールはかっ飛ばせない。
美紀ちゃんのお祖父様に苦情が殺到するかも知れないからだ。
だからどうしても、捕球するための道具は必要だったのだ。
二人の身長に合わせてボールを上げる大君。
(流石手慣れているな。だからトスマシーンは要らないと言ったのかも知れないな)
ボールに真っ直ぐに向き合う直樹君。
その凛々しさに改めて惚れ直していた私だった。
直樹君は頻りに大君に謝っていた。
それでも、素振りだけするより練習にはなるらしいので本当は嬉しいらしい。。
気が付くと何時の間にか交代していた秀樹君はボール無しで振っていた。
「球が少なくて……」
そう言われて大君はしぶしぶ立ち上がった。
「俺は何時もボール拾いだな」
大君はボソッと呟いた後でネットまでボールを持ちに行った。
「あっ、私も行きます」
私もそれに追々した。
秀樹君は真剣その物だった。
「せっかくコーチが開いてくれた道なんだ。一生懸命やるしかないんだよ」
直樹君が力強く言った。
「兄貴の夢は小さい時から一貫していた。それはプロ野球の選手になることだ。だから一生懸命なんだよ」
「ドラフト会議でその夢を断たれたから、だから尚更ナーバスになっているんだ」
「もし社会人野球で結果が残せなかったら選手生命建たれるかも知れないからな」
流石に双子バッテリーとその親友だ。
エースである秀樹君を必死に支えようとしている。
私はこの三人の関係が羨ましくて仕方なくなっていた。
「テンポ良く投げることが出来れば余計な力が抜けてくるんだ。キャッチボールは捕って投げるだけだけど、本当は野球の基本なんだ。コーチの受け売りだけどね」
庭の隅から隅までを使ってキャッチボールを始めたバッテリー二人をフォローするかのように大君が言った。
秀樹君は頭を外で染めると言い出した。
いくら何でも、お風呂場は汚せないと考えているようだ。
(だからあの日も外になったのね。でも本当に風をひかなくて良かったね)
そう思いながらも、心は別な場所に飛んでいた。
又……
あの騒ぎが始まる。
そう思うと、ワクワクしてくる。
一番浮かれているのはどうやら私のようだ。
早速、ドラッグストアで購入したヘアカラーの出番になるからだ。
三人の案内で、私が此処に着いた前日の現場に行ったみた。
水道の下のバケツが汚れていた。
どうやらこれで染めたらしい。
あの日の光景を想像しながら、家に入る。
寒い思いをさせる訳にはいかなかった。
明日から二人は練習に参加するつもりなのだから。
だから私はポットとヤカンにたっぷりのお湯を用意して庭に急いだ。
「ありがとう中村さん。やっぱり温かいのは最高だね」
直樹君のその言葉がヒントになった。
「今からお風呂をふったてるね。そのお湯を窓からバケツリレーしたらいいんじゃないの」
「そうだ。せっかくヘアカラーマットや新聞紙も用意したんだ。風呂場の脇でやろうか?」
「流石大」
「よし、早速移動開始」
秀樹君の号令の元、手際よく作業は進められて行った。
夜は又お好み焼き。
イカ入りマヨネーズ焼きが全員のお気に入りになってしまったからだった。
それに、洗う物がボールとホットプレートだけだと言うシンプルなのが気に入ったのだ。
でも聞いた話によると、大阪の人はお好み焼きをおかずにご飯を食べると言う。
それには流石に驚いた。
その夜、直樹君は躊躇せず、私と同じベッドに潜り込んだ。
キングサイズだから、シングルの約二倍位はある。
普通のベッドを二つ並べたと思えばいい。
だから私も見よう見まねでベッドメーキングしたシーツを捲った。
「中村さんをどうこうしようなんて気はないから」
真剣そうな眼差しは、決意に溢れているように思える。
「中村さんが好きとか嫌いとかじゃなくて……」
じゃあ何?
なんて言えない。
この部屋を……
直樹君を選んだのは私なのだ。
直樹君に選ばれた訳ではないのだから。
私は悶々とした気持ちを抱いたまま、直樹君の隣で眠りについていた。
ここにいることがたのしい。