三日目
やればできる。
朝。
昨日と同じように、雲雀のさえずりで目を覚ます。
ふと、ベッドの横に目を移す。
其処にはもう直樹君の姿はなかった。
寝袋に寝ている訳でもないらしい。
野球部の合宿で良く使用していたから、全員が此処に持って来てはいるらしいのだが。
直樹君が借りたと言う話もないようだ。
私がよろけて、頭から突っ込んだから破いたなんて言えないのかも知れない。
「それって、気遣ってくれているんだよね?」
其処にいないはずの直樹君の温もりに手を伸ばして語りかけた。
(ん!? まだ温かい。もしかしたらまだこの部屋に?)
私は半分眠い目を触りながらベッドから降りて辺りを確認した。
窓から庭を眺めていると人影が飛び込んできた。
直樹君がバットを手にして素振りを始めるところだった。
窓枠に頬杖をつきながら、暫く眺めることにした。
バットの先には丸い重りのような物が付いていた。
それでも軽々と振っていた。
(確か入社式、四月一日だったよね? あれっ、プロ野球のキャンプって確か二月で、今オープン戦だよね? きっと社会人野球も……、いいのかな? 私何か足引っ張てる感じ)
何時までもそうしてはいられないと思い、キッチンに行くことにした。
まず茹で玉子を作る。
鍋に玉子が浸る程度の水を入れスイッチオン。
お湯が沸騰したら蓋をして止める。
暫くそのまま放置すると出来ているはずだ。
茹で麺の時にも使え、表示してある時間に合わせると良いそうだ。
又、お湯の中に入れておくと温泉玉子にもなるらしい。
これは私の母の知恵なのだ。
(うん、私はやっぱりちゃんと見ていたんだ。だから色々と出来るんだ)
私は少し得意になっていた。
次はスープ。
カップの中にパンプキンシチューのルー入れて電子レンジでチン。
昨日、スーパーで見つけて衝動買いしちゃった。
何が何だか判らないけど手が自然に伸びたの。
一緒にコーヒーポーションもね。
この時、水は少な目にするのがコツ。
何故なら、レンジの中に溢れ出してしまうから。
私はまるで魔法にでも掛かったように、次々と朝食マジックを繰り出した。
(本当にお母さんを見ていただけなのかな?)
私は出来る自分が、少しだけ怖くなっていた。
自信を持ったり、無くしたり……
その差が大きい。
それでも私は前向きになっていた。
『いただきます』
私の作ったオムレツを全員が一斉に食べ始めた。
朝早く起きて、まずキッチンに向かった。
昨日磨いたフライパンには油を薄く塗っておいた。
だからもう錆び付くことはないだろう。
私は何時の間にかに身に付いていた主婦の知恵を使って、自分なりの工夫で乗り切っていた。
(あのフライパンには驚いたな。でも私にあんなことが出来るなんて思わなかったな)
そんなことを考えながら黙々と食べる三人を見ていた。
(何だか気持ちいいなぁー)
私はお母さんになったような心持ちだった。
(さてと、私も食べるかな?)
オムレツにはやはりトマトケチャップをたっぷり掛ける。
ホワイトシチューのパンプキンタイプのスープは、レンジでチンしただけなのにコク深い味わいだ。
でもゆっくり味わっている暇はない。
直樹君の前ではしたないと思いつつも、私は三人に刺激されてパクついてしまっていた。
『ご馳走様。美味しかったー』
そんな思い遣りの溢れた言葉に、ストレートに優しさが伝わってきた。
(気遣ってくれてありがとう。その言葉がどんなに嬉しいか。聞く度に涙が零れ落ちそうになるよ)
それでもまだ本当はしっくりとこない。
(まるで、私が私ではないみたいなきがする)
その感覚が何なのか私にも判らない。
それでも直樹君の傍に居られることが幸せだった。
直樹君に美味しいと言われたくて……
それが嬉しいばかりに、又腕を振るいたくなる。
私は完全に主婦マジックにかかってしまたようだ。
まだ直樹君の奥様でもないに……
それはもう、お手伝いさんのレベルではないょうな気がしていた。
直樹君に喜んでもらいたくて仕方ないんだ。
秀樹君にも大君にも感謝したくなった。
美味しそうに食べてくれる顔を見るだけで幸せになるんだ。
それはもう恋を越えていた。
私は確実に直樹君を愛し始めていたのだ。
「あっ!?」
私はさっきゆで玉子を作ったはずだった。
でもそれを忘れて、何時も癖でオムレツを作ってしまった。
「あれっ!? 何時も癖ってなんだ?」
私が首を傾げると、直樹君が何だか後退りしているように思えた。
「なあに、直樹君。言いたいことがあったらハッキリ言って」
私はこともあろうに直樹君に迫っていた。
朝食後、ホームセンターへ買い物に行くことになった。
明日から社会人野球の練習に参加することになって、髪の毛を染め直すのだ。
男性用のヘアカラーはドラッグストアで買ったけど、毛染めに必要な小物を忘れてたのだ。
金髪にするのにはブリーチしなければいくないらしいけど、黒はすぐに染まるらしいのだ。
鏡に時計にティッシュにシャンプーとリンスは何とか用意してあった。
後は庭を汚さないようにヘアーカラーマットや新聞紙などを調達するのだ。
紙類はあったけど、それを許可なく使えるはずがない。
美紀ちゃんのお祖父様が行為で貸してくれた家を、ふざけ半分で汚したくなかったのだ。
三人の行動を責めるつもりはもうとうないのだけど、やはり分を弁えなくてはいけなかったのだ。
だから百均にも行ってバケツと洗面器を買うついでにいただくことにしたのだ。
「もしかしたらこのマット、百均の方が安かったかも知れないな」
大君の言葉に、全員が項垂れた。
お昼はインスタントラーメンにした。
朝食べるのを忘れたゆで玉子を具に出来るからだった。
私は自分の失敗を知らばくれることにしたのだ。
午後、又同じホームセンターに急いだ。
午前中来た時に気になる物を発見したからだった。
必要だと思われる品物をカートに入れてから、鍵のコーナーに行った。
それぞれの合鍵を作るためだった。
(私にも作ってくれるの? そんなに信用してくれているんだ)
私は直樹君の行為が嬉しくて思わず泣いていた。
ホームセンターには、様々なスポーツ用品が売られていた。
ボールにスパイク、ミットやグローブ。
一つ一つ手に取りながら、必要な物をチェックしていく。
トスマシンも何機種かあった。
直樹君は置き型スタンドを選んだ。
値段が安いことと、電気も使わなくて済むからだ。
トスマシンとは、バッティングするボールをストライク位置に上げる機械だ。
ポップアップ式と自分でボールを置くタイプがある。
全員が野球経験者だから手で上げられるし、キャッチボールの時は誰か一人が打者にもなれる。
三人で住むことはそれだけ強味になるようだ。
反対に捕球ネットは高額商品に手を伸ばす。
「でっかくで丈夫なのが一番だからね」
そう言いながら笑った。
捕球ネットやトスマシン。
自宅での練習に欠かせない道具でカートが埋まっていく。
「でも考えてみたらこれ要らないな」
秀樹君はそう言いながらトスマシーンを棚に戻した。
「えっ!? どうして?」
大君が不思議そうに秀樹君を見つめた。
「此処に格好の相手がいたよ」
「えっ!? 俺か?」
大君は後退りした。
「逃げるな大」
「俺はヤだよ。そんなことするために此処に来た訳じゃない」
「兄貴、それじゃ幾ら何でも大が可哀想だよ」
「だったらお前がやるか?」
「そう言えば兄貴、確か社会人野球は指名打者制じゃなかったっけ?」
「だからといって、バッティングの練習をしなくていいって理由にはならないよ。一応、やっておいた方が無難だ」
「だから結局俺か?」
「おっ、引き受けてくれるのか? ありがとう」
「何でそうなるのかなー?」
「まぁ、昔からのよしみってことで」
秀樹君は大君の顔の前で手を合わせた。
「仕方ないな……」
大君はイヤイヤ返事をしていた。
「何だかんだ言いながら、結局兄貴のペースに乗せられるんだよな」
「全く持って同感」
大君と直樹君は溜め息吐いていた。
(松宮高校のエースだったから仕方ないのかな? でも本当に俺様的な人だな)
秀樹君のことを何も知らないくせに、私はそんな風に決め付けていた。
その結果、野球の道具は殆どが棚に収まった格好になった。
午前中に買い物に来た時に、秀樹君が気になった道具は高額だったのだ。
購入を諦めたのは、本当はそれが原因らしい。
私はホームセンターに来たついでだからと、庭いじりの道具も見て回ることを提案した。
「そう言えば中村さんは庭の手入れを任されたんだったね。仕事優を先させなけりゃいけないな」
直樹君がフォローしてくれた。
「え、うんそう」
私は又嘘を塗り固めた。
(何だか土が欲しいって感じなんだよね)
私は不思議に思いつつ、園芸用品売り場に足を向けていた。
「何だろう?」
「ん!? 何が?」
「私のトコアパートだったのに、無性に土いじりがしたいのよね。こんな感じ初めてだから戸惑うわ」
「えっ!? 初めて? 家のママなんて……」
そう言いながら直樹君は又固まった。
(もう一体何なのよ)
歯切れの悪い直樹君に私は痺れをきらしながらも、結局私は沢山の土の小袋を購入していた。
それを何に使うのからお楽しみ。
本当のこと言うと自分でも判らないのだ。
安くなっているじゃがいもの種芋。
それに幾つかの野菜や花の種。
これも買っていた。
だって自然に手が伸びるんだもん。
そんな私をみんな、優しく見守ってくれていた。
「何で種芋が安いのか知ってる?」
私の質問に皆首を振った。
「昔から、じゃが芋は春分の日までに植え付けろって言われているの。きっとだから安くしているのだと思うわ」
私は講釈をぶっていた。
でも全部嘘っぱちだ。
だって私にそんな知恵があるはずがないんだから。
(私何やっているんだろう?)
本当は不安で仕方ない。
でもそれを言ったら、皆を心配させてしまう。
これから大学生になる大君と社会人野球チームに入る秀樹君と直樹君に負担を掛けてしまう。
それだけは絶対にダメだと思っていた。
それも私にかせられた役割なんだと思っていた。
大量買いした品物を大君が店のトラックで運んでくれる。
無料なのだそうだ。
幸いなことに大君は、そのトラックを運転出来る免許を所持していたのだ。
だったら使わない手はないな、と思った。
私は大君と一緒に軽トラに乗り込んだ。
荷物運びを買って出たのだ。
それはたてまえ。
本当は土を沢山買い込んだから責任を感じていたからだった。
(大君一人に重労働は任せられない。だって大君には、二人の練習相手になるはずだから……)
私はやけに張り切ってトラックの助手席に乗っていた。
家に戻った私は、大君と一緒に荷物を下ろしていた。
軽トラの座席が二つしか無かったのだ。
だから直樹君も秀樹君も一緒に帰って来られなかったのだ。
二人は大君が、車を返した後、三人で歩いて帰ることにしてくれたのだ。
行く時も歩きだったから時間配分も解る。
私はその間に色々と出来ると考えていた。
「ところで、何でこんなに買ったの?」
庭の一番隅に土の小袋を並べながら大君が聞く。
「何が何だか判らないの。私だってその訳知りたいわ」
私はストレートにぶつけてみた。
大君だから言えることだった。
「やっぱり」
大君は私に聞こえない位小さな声で言ったつもりだったのだろう。
その後で腕組みをして考えて込んでいた。
(やっぱりって何? もしかしたら何か知ってるの?)
でも私は何故か不安にはならなかった。
ま、いいか。
と開き直ってしまったのだった。
アパートを思い出す。