約束の日
約束した代官山へ出発。
「ねぇ、食事していって。戦の前の何とかよ」
美紀ちゃんは然り気無く時計に目をやりながら言った。
(えっ!?)
私が驚いたのには訳があった。
まだ早朝だったからだ。
(慌て者だって又笑われる)
私は悄気ていた。
やはり直樹君の言った通り、あれはまだ初夜の内だったようだ。
「お口に合うか心配だけど……」
美紀ちゃんはそう言いながら、カウンターに案内してくれた。
昨日、ママさんの法事で開け放たれていた和室の横がパパさんのトレーニングルームで、夜はローテーブルを出して食事のスペースになるようだ。
カウンターはキッチンの横にあって、美紀ちゃんが甲斐甲斐しく動く姿が新鮮だった。
其処で目にした物に私は物凄く驚かされた。
パンプキンスープにオムレツ。
それは私が何時も大阪で用意していた物だった。
(もしかしたら本当にママ憑き?)
そう考えながら頭を振った。
美紀ちゃんや直樹君の機転とパパさんの行動力。
そのお陰でどうにか午前中には代官山まで行けそうだった。
埼玉からだと池袋駅まで一時間くらいはかかる。
普段なら其処から埼京線か山手線に乗り換えて渋谷駅に向かう。
でも朝なら乗り換えて無しで横浜ま行けるのだ。
渋谷駅はその途中にあるのだ。
私の目指す代官山は、渋谷駅と恵比須駅の中頃にあるはずだった。
陽菜ちゃんが地元を何時に出発するのか判らない。
それでも私は再会出来ることを信じていた。
駅まで送ってもらう途中で車を止めてもらった。
其処は昨日の結婚式とママさんの七回忌の会場となったお寿司屋さんの前だった。
(此処だった)
私は覚えている。
この近くにあるバス停に向かっていて、気が付いたら大阪だったのだ。
其処で高校時代に憧れていた一歳下の直樹君に再会して、それ以来私は大阪にいたのだ。
まさかその直樹君と結婚するとは……
私はまだ夢でもみているような気分がしていた。
私達は駅まで送ってもらい、切符を買って電車に乗り込んだのだった。
秀樹君と大君は、直樹君の言った故郷周りをしてから帰るそうだ。
そこで私達は五時に上野駅で待ち合わせするのとにした。
新しくなった渋谷駅。
改札口で戸惑いながらも何とか外へ出た。
私達はガード脇の細い路地へと続く道を目指した。
渋谷駅から伸びる歩道橋。
右側に代々木体育館を見て、左に曲がる。
線路の脇道を歩くために左に折れ、階段を下りていった。
今直樹君と歩いている道が、本当に代官山へと続くことを願いながら、私達は渋谷駅から恵比寿駅方面に向かって歩き出した。
ほどよく行くと代官山へと繋がる坂道が現れる、はずだった。
(あれっ、駅。もう恵比寿駅に着いたの?)
でも目を凝らして良く見ると、渋谷駅と書いてあった。
私は急に恥ずかしくなり俯いた。
その先に代官山の看板。
でも其処はマンションだった。
私達はその先の交差点を線路から反対に上がっていった。
「へえー、代官山ってこんな場所にあったんだ」
「間違いないでしょ。確かに代官山って書いてあるでしょ」
私は電信柱に貼ってあった標識を見て得意になっていた。
「代官山ってお洒落な街だって聞いて……、でも見つけたのは偶然……」
「うん、流石ママ……」
(えっ、又ママ? もう私はママ憑きじゃあないって)
私は少し呆れながら直樹君を見ていた。
『今日ね、物件決めて来たよ。場所は代官山で、新築物件だよ。一週間後に引っ越しなんだ。ねぇ、紫音ちゃんどうするの? あのね、十畳の部屋が六コ、二十畳のリビングに六畳のアトリエにパティオの付いた庭よ。まだ余裕あるから早く帰って来てね』
一週間前の陽菜ちゃんの言葉。
胸に刻みながら、それらしい物件を探した。
「目印は引っ越し業者のトラックかコンテナ車」
私は呪文のように呟きながら、代官山の中を探し回っていた。
「あ、コンテナ車発見。幸先いいね」
でもそれは陽菜ちゃんの荷物ではないらしい。
っていうか、業者は引っ越して来る人の名前かど明かしてはくれないのだ。
小さなカフェに入り腹ごしらえをする。
そんな時でも陽菜ちゃんが通らないか確かめた。
私達は食事もそこそこに打ち上げ、又歩き始めた。
「おかしいなぁ。又この道だね」
引っ越し業者の車を見る度声を掛ける。
でもそれは中川陽菜ちゃんの荷物はなかった。
「それにしても引っ越ししてる人多いですね」
「ホラ、今日は三月の最終日曜日だからね」
「新入学や入社式に合わせてですか?」
「うん、そうだと思うよ」
そう言いながら私の顔をじろじろ見てる直樹君。
「それにしても中村さんらしい」
「ん!? 何がですか?」
私は訳が解らずキョトンとしていた。
「住所も電話番号も聞かなかったんでしょ? 代官山って場所だけで探そうとするなんて……」
「あっ、そうだ」
私は慌てて携帯を取り出した。
画面に陽菜ちゃんからの着信はない。
「私がバタバタしていたから遠慮したのかな?」
「そうだよな。いっぱいいっぱいって感じだったからな」
「直樹君ありがとう」
私は感謝の言葉を繰り返しながら携帯から陽菜ちゃんに電話した。
でも幾ら待っても陽菜ちゃんは出てくれなかった。
「陽菜ちゃんはきっと電源を切っているんだ」
思わず不安が口に出た。
「引っ越ししてる最中かもしれないよ。忙しくて電話に出られないのかも?」
「うん、きっとそうだ。もしかしたら……、今なら会えるかも知れないね?」
私は俄然勢い付いた。
「よし、もう一度頑張ってみるか」
直樹君が言ってくれる。
私はその言葉にハッとした。
そして……
世界一優しい旦那様に巡り逢えた幸せに心の底から震えていた。
「その前に彼処で少し休もうか?」
「わぁ、素敵な椅子がある」
直樹君の指を差した先には可愛い椅子があった。
私達は早速階段の道を上がって行った。
でも其処は美容院だったのだ。
私達は何事も無いような振りをしてその道を上がって行った。
もう夕刻近くなって、住宅街に明かりが灯り始めた。
その時、目の前に素敵なデザイナーズ住宅が現れた。
「わぁ、素敵。あ、此処にもコンテナ車がある」
私は早速荷物の依頼者が中川陽菜ちゃんではないか確かめた。
これがダメならもうアウト。
大君や秀樹君と約束した時間が迫っていた。
「あのー、この荷物中川陽菜さんの……」
「いいや、違うよ」
私の質問をもろくに聞きもしないで業者はつっけんどうに言った。
「仕方ない、時間だから行くよ」
直樹君の言葉にハッとして携帯を見たら、もう約束の時間に近くなっていた。
後ろ髪引かれながらその場所を離れた。
「ごめん。さっき気が付いた。あのコンテナ車はあの家に来た訳じゃないらしいよ。その前のアパートで手を振っていた人がいたから……」
「えっ、それを早く言ってください。私てっきり彼処だと思ってました」
私はその時吹っ切れていた。
「ごめんね陽菜ちゃん」
そう言いながら代官山への坂道に目を向けた。
私達はその後恵比須駅に行き、大君と秀樹君との待ち合わせ場所である上野駅へと急いだ。
何故上野駅で待ち合わせたかと言うと、大君と秀樹君の向かった行田から高崎線があるからだった。
二人は其処で自転車を借りて、行田市内を一回りして来るらしい。
忍城ときたま古墳群は桜が満開だと聞いてる。
私は直樹君を付き合わせてしまったことを後悔しながら二人を待っていた。
(早くお土産話し聞きたいな)
そう思っていたら肩を直樹君に叩かれた。
どうやら二人が到着したようだ。
私達は急いで切符を買って東海道新幹線のホームに向かった。
「ごめんね直樹君。新幹線は高いから青春十八切符でも良かったに……」
「実は大阪に行く時に使ったんだ。後二回分残ってる」
「えっ、一日で行けたんだ」
「乗り換えが大変だったけど何とかなったよ。だからつい嬉しくて、ビール掛けたって訳だ」
「ぷっ!!」
私は又吹き出した。
「美紀のじっちゃんがえらく中村さんを気に入ったらしくて、結婚祝い金を沢山くれたんだ。だから心配しないでね。あっそれと、あの家は好き勝手していいそうだよ」
私が笑いこけていることも構わず、直樹君は言っていた。
「ホラこれが忍城。これが古墳群の桜」
大君はスマホ画像を得意気に見せつけた。
私はその映像に釘付けになった。
「中村さんは素直で可愛いなー」
大君が突然言い出した。
それは誰も予想すらしていないことへと繋がっていた。
「全くお前達のマ……」
大君が言いかけたら、二人が口を塞いだ。
それでも大君はその手をはね除けていた。
「全くお前達のママは、美紀ちゃんだけじゃなく中村さんにも憑いて来た」
もう誰にも止められなかった。
「だから俺は中村さんでも良いと思い初めていたのに……」
「えっ、私に……、やっぱり憑いているんですか?」
私は大君の告白より、そっちの方が気になった。
だから思わず叫んだんだ。
そっと横を見ると直樹君が頷いていた。
(えっ!?)
ふと気付いた。
「もしかしたら直樹君のママって蟷螂飼ってた?」
そっと直樹君が頷いた。
「ヤだ私、蟷螂大嫌いなの! 早く家に帰って処分しなくちゃ」
「俺もママのお陰で慣れたけど、結構可愛いよ」
直樹君が又ウィンクをした。
(あれっ、前に聞いたっけ? ママは蟷螂を飼っていたって直樹君確かに言ってたのに)
私は急に恥ずかしなり俯いた。
「やっぱり私に……、憑いているんですか?」
そっと横を見ると直樹君が頷いていた。
全てがママさんの企みだった。
でも私はそのお陰で愛する旦那様とこうして巡り逢えたんだ。
でも何故ママさんは私を選んだのだろう?
あのお寿司屋さんの前を歩いていた私をどのようにして引っ越し業者のコンテナに押し込めたなだろう?
疑問はまだまだ解決はしていないように思えた。
「実は中村さんのお母さんはパパの見合い相手だったんだって。俺がお寿司屋さんで引き合わせたらびっくりしてたよ」
「うん。家のお母さんはパパさんの追っかけだったの。沙耶おばさんとも親友だから……って!? えっ、本当ですか?」
「うん。パパはあれがきっかけで俺は美紀と結ばれることが出来たんだって感謝してたよ」
「もしかして、親同士が結婚していたら……大君が言ってた通りになってたりして。ホラ、『美紀ちゃんは俺のものだったのに』って言ってたでしょう?」
「ああ、覚えてる」
直樹君が呟いた。
『お母さん嬉しいよ。アンタが直樹君のお嫁さんになってくれて、これでやっと……、でも沙耶さん。私達はトコトンついてないね』
私はその時、母の言葉を思い出した。
(もしかしたら沙耶さんもパパさんのことが好きだったのかな? 二人で悪巧みしなければいいんだけど。そうだよな。家のお母さん本当に直樹君のパパが大好きだから)
私は何気なくそう思った。
「あれっ!?」
「何?」
「体が急に軽くなった気がする」
私の一言で直樹君は笑い出した。
「もしかしたら何か考えた?」
「そう言えば、家のお母さんは直樹君のパパが大好きだったな。って」
私の返事を聞いて直樹君は更に笑った。
「ア、ハハハ……、きっと今頃ママが慌てふためいてるよ」
直樹君は謎の言葉を私の耳元で囁いた。
それはきっと、直樹君にしか判らないことなんだろう。
だから私も直樹君に寄り添って笑い出した。
(もう何があってもいい。私はただ直樹君だけを愛していこう)
私はもう一度誓った。
(あれ!? 私からママさんが抜けると……蟷螂どうするの!? 料理どうするの!?)
どうやら慌てふためいているのは私の方のようだ。
(ダーリン助けて)
私は直樹君に向かってアイコンタクトを送った。
そう……
直樹君は私のダーリン。
もうなんて言われようが構わない。
世界一、この可愛い旦那様を愛してる。
やっとママ憑きだと判明した。