八日目
埼玉に戻ることになりました。
三月の最終金曜日。
直樹君と秀樹君は社会人野球チームで練習した後で、お母様の七回忌に出席するために一旦埼玉に戻ることになっている。
大君は残るのかと思っていたら、一緒に行くと言う。
だから私も同行することになった。
一人だけになっても此処に居る。
なんて言えなかったのだ。
オムレツを作りながら何度目かの溜め息を吐く。
それほど私は動揺していた。
私は何時の間にか直樹君を愛してしまったようだ。
最初は憧れだった。
生徒会長に立候補した直樹君の格好いい姿にときめいた。
でももしかしたら、初恋の人に似ていたからなのかも知れない。
「いただきます」
三人が一斉に言う。
その言葉にドキンとする。
もしかしたら、もう聞こえなくなるかも知れない。
そう思うと、更に不安になっていた。
「待ち合わせは新大阪駅でいいかい? 中村さんは俺が連れて行くからね。だってきっと初めてだと思うから」
「そうだね。いきなり、この家の前だったもんな」
秀樹君の発言で一週間前のことを思い出した。
『無賃乗車か?』
この大阪でのルームシェアは其処から始まった。
『知らないうちに此処まで運ばれたか? 事情は解った。それでも、輸送料追加してもらわないとな』
私はただ、それから逃れるために嘘をついたのだ。
直樹君と秀樹君のお母様から頼まれたと……
でもその後で気付いたんだ。
二人のお母様は既に亡くなっていることを。
それでかな?
私にお母様の霊が憑いて来たたと勘違いされて……
だから私は大切にされて来た。
でもこれ以上嘘はつけない。
私は直樹君のママではない。
ママじゃなく、本当は恋人になりたいんだ。
昨日思いがけなく、二人の過去が明らかになった。
まさか、お互いがそれぞれの初恋の人だったなんて……
私はただ、母に連れられて彼処にいただけ。
母は直樹君のお父さんの追っかけだったんだ。
試合を見に行く訳ではない。
ただ地元で何かある時だけ出掛けるのだ。
そんな出逢いを……
直樹君が覚えていてくれた。
『スイカズラの君』
だと言ってくれた。
嬉しいくせに、やるせないんだよ。
直樹君に父との思い出を話したのは、きっと後ろめたかったからなんだろう。
母は確かに父を愛していた。
だから献身的に看取ったのだ。
でも平成の小影虎の姿を追う母が私には耐えられなかったのだ。
保育園時代に出逢った人がプロレスラーとしてデビューした。
全ては其処から始まったようだ。
『センセー。又、マー君がサーちゃんを泣かせてるよ』
市立松宮保育園に通っているお友達の一大事を園長室に報告した。
保育士達はすぐに年長組の部屋に駆けつけて来る。
母はその度その子の恩人になったのだが、本当は自分にもプロレス技を掛けてほしかったようなのだ。
母にとっては、直樹君のお父さんは忘れられない人のようだったのだ。
美紀ちゃんのパパさんは保育園の同じクラスの有田沙耶さんにプロレスの技を掛けていたそうだ。
コブラツイストや四の字固めで泣いているお友達をよそに、母は羨ましくてならなかったようだ。
母はどうやらその時くらいから、平成の小影虎と呼ばれていた美紀ちゃんのパパさんが大好きだったのかも知れない。
朝食を取りながら、私と一緒にこの家に残ってほしいと大君にもう一度頼んでみた。
でも大君は直樹君が前に話した地元巡りをするために帰ると言う。
行田にある忍城やさきたま古墳群は桜の名所で、どうして見ておきたいらしい。
だから結局……
私もやはり一緒に行くことになった。
「大丈夫だよ。心配しなくてもいいよ」
直樹君が言っている。
でも私は心これに在らずだった。
直樹君の話だと、新幹線で上野駅まで行き在来線に乗り換えて帰るようだ。
出来ればこのまま此処に居たかった。
戻れば嘘がバレる。
それが怖い。
直樹君と離れるのが辛い。
もしかしたら……
もう此処には戻って来られないかも知れないから。
「目が覚めたら大阪だったの。引っ越し業者の人に攻めらて、直樹君のお母様から頼まれたって言い訳したの」
直樹君が社会人野球チームの練習に出掛ける前に遂に告白した。
でも直樹君は何も言わずに私をハグした。
その優しい抱擁に心も身体もとろけそうになった。
「もう此処に戻って来られないかも知れない。だから本当は此処に残りたいの」
「心配要らないよ。中村さんのことは俺が何とかするから」
そう言いながら、直樹君がウインクをした。
大君と二人で最寄り駅から電車に乗りでまず新大阪まで移動した。
其処で直樹君と秀樹君と落ち合う予定だった。
改札口でボンヤリしていたら、肩を叩かれた。
(えっ!?)
一瞬誰だか判らなかった。
其処には帽子を目深に被った秀樹君がいた。
「一応ファン対策」
秀樹君が恥ずかしそうに呟いた。
「あっ、大阪だからね。それに坊主頭じゃ寒いしね」
私は妙に納得していた。
直樹君は寒さ対策のためか、パーカーで坊主頭を隠していた。
朝は確かに秀樹君と同じ帽子で出掛けたはずなのに……
「あの帽子、秀に取られた」
耳元に内緒事。
「酷いよ、秀樹君……」
私がそう言おうとしたら、直樹君に止められた。
そっと直樹君を見ると僅かに首を振っていた。
だから私も頷いた。
その態度だけで直樹君と秀樹君の力関係を理解した。
凄く凄く悔しい。
だから直樹君は悩んでいたんだ……
私はやっと直樹君の置かれた立場を理解した。
ワンマンで俺様で人の迷惑省みない人なんだと思った。
改札口を抜け、新幹線のホームに移動して自由席に乗り込んだ。
「贅沢は言えないから」
直樹君は私を気付いながら、空席を目指していた。
上野駅まで約三時間。
私は直樹君の隣りで悶々とした時間を過ごすしかないのだろうか?
『心配要らないよ。中村さんのことは俺が何とかするから』
出掛ける前の直樹君の言葉にドキッとした。
まるで何もかも知っているかのようだ。
でもそれが余計に怖い。
直樹君はきっと私はママが憑いていると思っているに違いないのだから。
本当のことを知ったら、きっと愛想を尽かされる。
直樹君が探し求めていた初恋の人だと知って、私は益々離れるのがイヤになっていたのだった。
新幹線では二人は隣同士だった。
きっと大君が考慮してくれたのだろう。
でも私は直樹君のことはそっちのけで考え事ばかりしていた。
(結局私は大阪で何をしたのだろう?)
今考えると、庭掃除だけだったような気がする。
美紀ちゃんのお祖父さんが、誘拐された娘を帰って来ると信じて丹精した庭。
ピロティにあった木製のブランコには愛が溢れていた。
私はその庭で花をいっぱい育てたい。
陽菜ちゃんには悪いけど、大阪で暮らしたい。
そう思ったんだ。
だから私は、代官山でルームシェアをしようと誘ってくれた陽菜ちゃんに悪いと思ったんだ。
それでも、この家でずっと直樹君達と一緒に暮らしたいと望んでしまった自分を責めていたのだ。
前に一度だけ代官山に行った。
私は埼京線に乗ろうとして恵比寿駅方面から渋谷駅に向かって歩いていたんだ。
その途中で見つけた代官山の文字。
私は興味本意で其処から入って行ったんだ。
おしゃれな街を体験したくなって。
ガード下のだったか忘れたけど、脇道は坂道に続いていたのだった。
何処にあっても可笑しくない街並み。
そんな気がした。
お店はおしゃれだったから、もっ居たいと思った。
でも私は駅に戻れる範囲内で行動していた。
私は根っからの方向音痴だったので、冒険出来なかったのだ。
私は陽菜ちゃんの電話であの道をイメージした。
だから引っ越しを手伝うと言ったのだった。
私はその時、陽菜ちゃんとの約束を思い出していた。
「悪い直樹君。私日曜日に代官山に行かなくてはいけなかったの。其処でルームシェアをしようと誘ってくれた陽菜ちゃんの引っ越しを手伝う約束していたの」
「ん? いいけど、その陽菜ちゃんって一体誰?」
(そうだよね。いきなり言われてもね)
私はそう思いながら、フラワーフェスティバルでの出来事を話し出した。
二人が同じ椅子に座ろうとしたこと。
忍冬の栞を渡したことなどを……
「『あのー、私スイカズラの花が大好きなんです。今日の記念に貰っていただけますか?』私はそう言いながら、忍冬で作った栞をバッグから出したの」
「中村さんは本当に忍冬が好きなんだね」
「そうよ。だって、直樹君との思い出の花だもの」
「そうか……」
「そうよ。パパの思い出も大切だったけど、私にとって直樹君は特別な存在だったの」
「ありがとう」
「そしたら、『これ紫音ちゃんのお手製?』って陽菜ちゃんは言ったの。だから私は『スイカズラは二つの花で一つなんです。だから花言葉は友愛と愛の絆って言うんです』って言ったら陽菜ちゃんは目を丸くしたの。私は本当はこの陽菜ちゃんと代官山でルームシェアするはずだったの。でも大阪にいた。本当に何が何だか判らずに怖かったの」
私はやっと、直樹君に本当のことを話せたのだった。
一週間ぶりの実家。
まず父の小さな祭壇の前に座った。
報告しなければいけなことが多過ぎて何から話したら良いのか解らずに、私はただ合掌していた。
二間しかない小さなアパート。
母娘二人で生活していくには充分だったけど、美紀ちゃんのお祖父さんの邸宅とは違い過ぎる。
それでも私は此処の方が落ち着く気がした。
母に仕事の報告をする。
でもみんな嘘だ。
第一、花屋さんで働けるだけの資格で庭師なんて出来るはずがないのだ。
でも嘘をつけないこともある。
それは大阪にいた経緯。
未だに何が何だか解らないんだけどね。
「お母さん。私嘘つきだった。目が覚めたら大阪だったの。引っ越し業者の人に攻めらて、直樹君のお母様から頼まれたって言い訳したの。それを直樹君達は真に受けて……」
私は遂に母に告白していた。
でも母は何も言わずに笑っていた。
「そんなのとっくに知ってるよ」
「えっ、嘘」
「確か長尾直樹……君? だったかな。ホラ、元プロレスラーの私の好きな平成の小影虎の息子よ。あの子が教えてくれたよ。何でも、美紀ちゃんのお祖父さんのに頼まれたとか言いっていたな」
(直樹君は心配要らないと言ってくれてた。きっとこのことだったのだろう。えっ、でもお祖父さんって!?)
何が何だか解らない。
確か私はお母さんだと言ったはずだったのだ。
「お母さん。私を嘘許してくれるの?」
「何言ってるの。そんなの当たり前じゃない。目が覚めたら大阪だったのでしょう? 引っ越し業者の人に攻めらて、直樹君のお母様から頼まれたって言い訳したのでしょう?」
私は母の一言一言に頷いていた。
「全部直樹君から聞いてるよ。あの子本当にいい子だね。私には嘘はつけないからって……、でも聞いた時には信じられなかったけどね。だから表面上は美紀ちゃんのお祖父さんの頼みだってことにしておいてほしいって……」
母はそう言いながら泣いていた。
「あっ、言っちゃた」
母は今度は笑い出した。
それは確かに信じられないだろう。
新宿へ出掛けたはずの娘がいきなり大阪にいたのだから。
それも母の大好きな平成の小影虎の息子達と一緒だと言うのだから。
(だから表面上は美紀ちゃんのお祖父さんの頼みだってことにしておいてほしいか?)
母の発言に直樹君の優しさを感じた。
だから私は少し後ろめたくなって父の遺影を見つめた。
やっと実家に戻った。




