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秀樹君の夢

秀樹君の夢は?

 「幾ら夢のためだと言っても、大のこととやかく言えねえな。兄貴も抜け駆けしようとしてるんだよ」


突然直樹君の興奮した声が聴こえてきた。

私は悪いと思いながら聞き耳を立てていた。





 あれはその一時間ほど前のことだ。

秀樹君は私と直樹君のことでからかいにやって来たのだ。



『中村さん、直の初恋の人だったんだって?』

秀樹君に声を掛けられた時、私は素直に頷いた。



『俺にも居たな……なんて考えてた。俺の場合は年下だったよ』



『へえー、どんな人?』



『同じ少年野球団に所属していた人だ。と、言っても野郎じゃないよ。れっきとした女性だ。実は去年の四月に再会したんだ』


あれっ? って思った。

私の知人の中野直美さんの同級生に野球好きなのが居るって聞いていたからだった。



『違っていたらごめんなさい。もしかしたら、工藤詩織(くどうしおり)さん?』


秀樹君は驚いたように目を見開いた。



『えっー、何で知ってるんだ!?』



『今野球部のマネージャーをしている中野直美さんって人とは友達なのよ。でも工藤詩織さんなら、確か俳句同好会を作った人よね?』


私の言葉に秀樹君は頷いた。



『実はグラウンドで投げていたら『無理のないフォームをマスターしないと真のエースにはなれないよ』って聴こえてきたんだ。誰だろうって思って校舎を見上げたら彼女がいたんだ。俺、慌てて視線を外してた』


最後の一言が、秀樹君のイメージを変えた。

俺様どこじゃない、本当は恥ずかしがりやだったのだ。



きっと詩織さんは、グランドにいる秀樹君に聞こえるはずがないと思って声を掛けたのだろう。

でもその思いはちゃんと届いていたのだ。



『初恋の人が、俺にエールを送ってくれた。それだけで嬉しかったんだ。でも、その後で……』



『あっ、もしかしたら彼女が交通事故にあった日? そう言えば直美言ってたな。ホラ、国語の工藤先生っているでしょ? 工藤先生と詩織さんって兄妹だったのよね?』



『そうみたいだね。だから協力して俳句部を作り上げたみたいだ』



『直美から話は聞いているけど、文化部を一から作っちゃうんだから詩織さんって凄いよね?』



『あれっ、確か同好会じゃなかったっけ?』



『ううん、俳句部に格上げされたそうよ。あっ、そうか。確か秀樹君達が卒業した後だったな。ごめんなさい。秀樹君が知っているはすがなかったのよね?』



『でも凄いな。それ』





 『流石に野球部を甲子園に導いた陰の功労者よね。でも、もし詩織さんがマネージャー見習いとして入って来たら……』



『きっと意識し過ぎてまともに投げられなかったかも知れないな』

秀樹君は恥ずかしそうに俯いた。



秀樹君の以外な一面が、私の中のわだかまりを消していく。

私は相当誤解していたようだ。



『『体に負担のかからない投げ方は、力のロスをなくし、無駄のないフォームを作る事』って少年野球団のコーチが使った言葉をマネージャー見習いは知っていた。だから、すぐに彼女に頼まれて志願したって解ったんだ』



『そう言えば、最初の特訓はスコアブックの表の書き方だったそうよ』



『あれは必須アイテムだからな。試合の流れはそれを見ただけで解るんだ』



『うん。直美もそんなこと言っていたな』





 『俺のは元々速かったけど、先任のコーチが豪速球に導いてくれた。でもそれだけじゃないんだ。ボールの出所を隠し、バッターに速いと錯覚させるんだよ』



『えっ、凄い!!』



『腕や体を使って、球を見づくするんだ。だからボールが目の前に来た時に面食らうみたいだ』



『そうか、だから皆打てないんだ』



『気付いた時には見逃しや空振りしていた。そんなトコだ。その球を更に進化させてくれたのが新コーチだった。でも俺は自分の力を過信していたんだ』



『地区予選の決勝戦で打たれたこと?』



『ああ、あの時直がホームランを打ってくれたから甲子園に行けたけど……』



『でも秀樹君が抑えていたから逆転出来たのでしょう?』



『いや、今考えるとそれも直の力だと思うな。甲子園の時も、あれ以上崩れなかったし……』



『崩れたって言うか……直美が悔しがってた。卑劣な手で秀樹君を……』



『解っていたの?』



『うん。美紀ちゃんに説明しながら、二人で泣いたんだって』



『美紀もか? 美紀に悪いことをした。実は……』


秀樹君は三人が大阪までやって来た経緯を話し始めていた。





 『『大阪か……?』俺がため息を吐くと『どうしたの兄貴?』って直が顔を覗き込んだんだ。『いや……、何でも……。でもないか……』って言ったら『美紀のことか?』って直が言った』



『直樹君も美紀ちゃんが大好きだったからね』



『そうだよ『ああ……、大阪にもし美紀が居たら……連れて行けたらなんて考えたんだ』そう言ったら『だったら連れて行こうか?』って直が言い出したんだ』





 『直樹君が言い出したんだ……』



『うん。『大阪にはじっちゃんがいるだろう? あの家で暮らしてもらって……』って。『ん!? ……ん!? それだ!!』って俺は急に勢い付いたんだ』



『だけどコミュニケーション取るの大変だったでしょう?』



『そうなんだよ。美紀のじっちゃんは舌の手術しているから、ちゃんと話せないんだ』



『それでどうしたの?』



『俺達は早速、大阪に電話したんだ。美紀のじっちゃんがしゃべれないから合図を決めたんだ。『美紀のじっちゃん。いいかい、良く聞いてね。イエスなら、受話器を一回叩く。ノーなら二回だよ』って、俺は必死に説明した』



『頭良いね』



「だろ? 質問第一。美紀が大阪に来たら嬉しい? って言っらた、勿論一回だった』



『そりゃそうよね』



『質問第二。美紀と一緒に暮らしたい? これも一回だった。だから俺は調子付いた。『質問第三。俺達と一緒に暮らしてもいい?』それも一回だったんだ』



『悪巧みしたね。美紀ちゃんをパパさんに取られたくない。一心だったのね』


それは二人の最後の賭けだと思われた。

社会人野球入りでの大阪行きは、まさに二人にとっては渡りに船だったのだ。



『悪いことだと解ってる。卑怯な行いだと承知してる。でも俺達は必死だった』



松宮高校野球部のエース秀樹君と、生徒会長の直樹君。

二人がどんな思いでいたかを考えた。

でも私に本当の傷みが解るはずがなかった。



『恋しい美紀をこの手に入れるために、二人共鬼になろうとさえ思っていた。俺達双子だから、以心伝心なんだ。だから共謀して美紀のじっちゃんを巻き込んだんだ』



『共謀!?』

秀樹君の言葉に震えた。

たとえ初恋の人同士だったとしても、心はあの時と違うと感じたからだ。



そしてどうにか大阪の社会人野球チーム入りが決まったことと、美紀ちゃんと暮らすための家を確保することが出来たことを大君に報告したのだった。



『大は教師になるためにあちこちの大学を受験していたんだ。合格した大学の中の一校が大阪だったことを思い出したからだ』



『あっ、もしかしたら大君が言った』



『そうだよ。まさか抜け駆けしようとして、大阪の大学を受験していたなんて知らないで喜んだんだ。全く腹立つな大の奴……』



『大君も反省してるみたいだし……』



『そうだな、許してやらないとな』



『そうよ。トスを上げてもらう時、気を遣っていたら大変よ』





 『実は、クリスマスの時に大を招待したんだ。だから、俺の親父から選ばれたって思ったのかも知れないな』

秀樹君はそう言いながら、深いため息を吐いた。



『俺達はバレンタインデーに賭けた。でも美紀が用意したのは義理チョコだった。本命は勿論パパだったんだ』



『バレンタインデーに美紀ちゃんも賭けたのか?』



『実は俺達は……』

秀樹君は言葉を詰めた。

何だか泣いているように思えた。





 『食事の後、明らかに挙動不審だったよ。何にそんなに怯えているのか判らないが、大きなものを抱え込んでいることだけは確かのようだった』



『美紀ちゃんの話?』

私の言葉に秀樹君は頷いた。



『俺は美紀より先に風呂に入って、二階で悶々としていた。そしたら聞こえてきたんだ。美紀が階段を上がって来る音が……』


私には、秀樹君も大きな物を抱え込んでいると感じた。



『俺が下のベッドで震えていたら『どうしたんだ兄貴?』って見かねて直樹が言った。『今、美紀の気配がしたんだ』だから俺はそう言った。『ん、美紀がどうしたって?』直は興奮してしまったんだ』



『普段は冷静な直樹君も取り乱したりするんだね』



『ああ。『確か今、親父の部屋に入っていった』って言ったら『え、嘘!?』って目ん玉飛び出しそうになっていた。『親父の部屋は鍵が掛けてないだろう? それがさっき施錠されたんだ』俺は感じたままを告げたんだ。『親父かな? それとも美紀?』俺達はそう言ってから震え上がったんだ』



『それはやはり美紀ちゃんだったの?』



『そうだよ。でも親父も相当驚いたようだ。そして聴こえてきた。親父の言葉が……』


秀樹君は私を見て驚いたように、震え出した。

どうやら何かに突き動かされていたようだ。

秀樹君は誘導尋問されていたかのように、私に美紀ちゃんとの一部始終を語っていたようだ。





 『ねえ秀樹君一つだけ聞いていい? さっき『親父の部屋は鍵が掛けてないだろう? それがさっき施錠されたんだ』って言ってたけど、パパさんどうして鍵を掛けないの?』



『あっ、それはね。ママを呼ぶためなんだ。幽霊でもいいから一緒にベッドで寝たいんだって。パパはそれだけママを愛していたんだ。そうだよ、だから誰も入り込める隙間のなんてないんだ』



『さっき、相当驚いたって言ってたけど……』


もしかしたらそれは聞いてはいけないことだったのかも知れない。

秀樹君の顔が一瞬引き吊った。





 『『美紀ー。俺だって抱きたいんだよー! どんなにお前を愛しているか、この体を引き裂いて見せたいくらいだ。でもそれをしたらダメなんだ。もう元に戻れなくなる……』やっとの思いで声を絞り出して親父は言ったんだ。だから、つい言った。言ってはならない娘への愛を告白したって思ったんだ。でもその後で美紀は『ねぇ、お母さん。そんなにパパのことが好きだったの?』って自問自答していた』



『何だか美紀ちゃん他人事みたいね』


私は何も知らずに、ただ秀樹君の言葉を待っていた。



『その時、親父がどんなに美紀を愛しているのかが解った。親父も苦しんでいたんだ』



『だから余計に、美紀ちゃんを連れて来たかったのね。パパさんを苦しみから開放させてやりたくて……』



『いや、違う。俺は……、少なくても俺だけは、ただ美紀を親父に取られたくなかっただけだったんだ。まさか、まさか美紀に……』


秀樹君はハッとしたように私を見つめた。



『そうだった。今頃美紀は……』


その言葉にどんな意味があるのか解らないけど、秀樹は何かを悟ったみたいだった。



『ちょっとごめん』

秀樹君はそう言いながら立ち上がり、急いで直樹君の元へ駆け付けた。





 秀樹君は美紀ちゃんとの恋を未だに引き摺っているのかも知れない。

美紀ちゃんを本気で愛したのは大君だけではなかったのだ。



(そうだ。きっと直樹君も……)

その時、私の恋は報われないと思った。



たとえ初恋の人が私だとしても、直樹君の心の中ではもうとうに終っていることなのかも知れない。





 秀樹君は直樹君に何を話したのだろうか?

大君君のような抜け駆けって何なのだろうか?

そしてそれは私とどんな関係があるのだろうか?



『幾ら夢のためだと言っても、大のこととやかく言えねえな。兄貴も抜け駆けしようとしてるんだよ』

さっきの言葉は私に不安をもたらした。



大君が大阪の大学も受験したのは、秀樹君と直樹君のパパさんが美紀ちゃんをお祖父さんに託すと踏んだからだった。

それでは秀樹君の抜け駆けは一体何のためなんだろうか?



秀樹君の夢は一体何なのだろうか?





 午後から五、六時間の練習が始まる。

普通はそれに一、ニ時間が追加されるようだ。

直樹君の話しだと、結果が出なければ三十歳くらいで引退させられるそうだ。



午前仕事で午後野球。

年の半分は遠征。

そんな生活がこれから続きそうだ。






壮絶だった美紀ちゃんと育ての親の恋。

苦しみ抜いた果てに結ばれていたのだ。

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