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交わる音

 そして、大学の授業が全て終わると、私はジャズバー《ジャジーダイニング》に連れて行って貰った。

 優しそうなお父さんの店長さんが出迎えてくれて、お店が開くまで店内の清掃をするようにお願いされた。


 学校の掃除はあんなにつまらないのに、このお店の掃除はとても楽しかった。

 使い込まれた木の机と椅子にはコーヒーの香りが染みついている。

 ピアノは古いけれど手入れがされていて、ピカピカと輝いていた。


 映画とかドラマの舞台に立っているみたいで、心臓のどきどきが止まらない。

 けれど、私の心臓は違う意味でドキッと跳ねた。


「なんだって!?」


 店長が突然大声を出して驚いた拍子に、私はインテリアとして置かれていたワインの瓶を落として割ってしまった。

 私があわあわしていると、泰平君が助けに入ってきてくれて、いそいそとビンを片付けてくれる。

 びっくりするほど慣れた手つきで、私がわたわたしている間にあっという間に片付けられてしまった。


「店長何があったんだろうな?」

「ご、ごめんなさい。私――」


「気にすんなよ。客も何本も割ってるし、開いたグラスは今日も出るから。それよか、怪我無くてよかったな」

「ごめんなさい。泰平君」


「だから、謝るなって」

「残念な人なのかなぁって思ってたけど、意外と良い人だったから」


「そうなんだよ。残念な奴だけど意外と良い人だろ? って、おい!」

「あはは」


 きっと気遣われたんだなと思うと、随分と救われた気がした。

 ホッとして気が緩んでいると、店長がため息をつきながらこっちにやってくる。

 一体どうしたんだろう?


「はぁー……困ったな。今日の演奏者さんが事故にあって来られなくなった。幸い大けがはしなかったみたいだけど、今日は検査とかして来られないらしい。あー……他の演奏者さんに今から当たっても間に合うかどうか」


 今日の演奏者が急遽来られなくなったという電話で、あの声が出たらしい。

 何とかしてあげられないだろうか。

 そう思った時、私の視界にあのピアノが映った。


「あの、私――じゃなかった。僕で良ければ演奏しますよ?」

「え? 君、何か弾けるのか!?」


「はい、ピアノなら。楽譜あります?」

「あぁ、あるよ! CDもある! 弾けそうなのを選んでくれ!」


 そう言って店長は両腕にいっぱいのCDと楽譜を抱えて私の前に置いてくれた。

 あはは、店長さんは相当てんぱってるなぁ。と思いながらCDを適当に選んで再生する。

 陽気で楽しげな音楽が店内に響き始める。

 思わず身体が動いてしまうようなリズムに、心臓が喜んで全身に血を送る。


「あ、この曲いいなぁ。曲の名前は……君はここにいる、か」


 気付いたらそんな言葉を口にしていた。

 そして、最後まで聞き終えると私はピアノの前に座り――。


「えへへ。夢がこれでまた一つ叶うかも」


 その曲を弾き始めた。



 昨日の夢の記憶はそこで途絶えている。

 何だかとても楽しくて懐かしい夢だった。

 私は進路調査票を机の上に置いたまま、昨日の夢を思い出していた。

 そして、改めて白紙のままの進路調査票に目を落とす。


「自分の将来かー……」


 真っ白な紙通り、私は何にも考えていなかった。

 漠然と音楽を続けていたいと思っていたくらいだ。

 ううん、それも違う。考えたくなかったんだ。

 両親には、お前は婿を貰って家を守る必要があるとか、ピアノの先生にはプロになりたいなら逃げるだけじゃなれないとか、言われて、気付けば考えたくなくなっていたんだ。

 だから、こんな所からは早く逃げたいってことくらいしか、思っていないかも知れない。


「あの夢は楽しかったなぁ……」


 何もないはずの私だけど、あの夢を思い出すと、自分の中で何かの感情が芽生えていく気がした。

 私は進路調査票の代わりに、新しい白いままのノートを取り出して、一行目にペンを落とすと――。


「家を出て東京に住む」


 夢の中であったことを書いていく。


「新しい友達を作る」


 楽しかった思い出を思い出すかのように書いていく。


「アルバイトをする」


 どんなアルバイトだったかを思い出し、自分のやった失敗に恥ずかしさで笑いつつ、続きを書く。


「ジャズバーで演奏する」


 そして、その先にある未来を想像した。


「夏休みはみんなで海にいって、花火を見て、それから、みんなで一緒に演奏して」


 そして、気付けば自分のやりたいこと、やってみたいことがどんどん出てくる。

 今まで押さえ付けられていた心が解き放たれたみたいに、饒舌になる。


「そっか……私、こんなにやりたいこといっぱいあったんだ」


 気付けばそこには数ページに渡るやりたいことが並べられていた。


「あ、そういえば、もう一個だけあったな。えへへ、これは恥ずかしいから最後のページに書こ」


 私は最後のページにやりたいことを付け加えると、ノートを閉じて目を閉じた。

 またあの夢を見られると良いなと願い、あの曲を思い出す。


 耳が、指が、腕が、心臓が、全身があの曲を覚えている。

 私は自分の目の前にピアノを想像して、演奏を始める。


 白と黒の鍵盤の世界で音は巡り、私を楽しさで包み混む。思わず口もとが緩んでしまう。あぁ、本当に楽しい。

 そこへ新たな音が混じり込んだ。


 え? 誰?


 気になって顔をあげると、鏡あわせのようにピアノが置いてある。

 そこには一人の男性が座ってピアノを弾いている。


 とても嬉しそうに、それこそ踊っているみたいにピアノを弾いている。

 冴えないはずの顔がとても輝いて格好良く見える。

 演奏している姿は、私より楽しそうで嫉妬しそうになるぐらいだ。


 すると男の人は、私に気がついたかのように顔をあげた。


 私はこの人を知っている。確か名前は――でも、まさか?


「君は誰?」

「あなたは誰?」


 私たちの声が重なると、ジャーンと二人のピアノが不協和音を鳴らして、世界は真っ暗になった。

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