君の夢
香織と身体が入れ替わった俺は、カレンダーを見て珍しいな、と思った。
日曜日の予定が何も入っていなかったんだ。普段はピアノのレッスンがあるんだけどな。
まぁ、香織も俺の身体で古手川さんと遊びに行っているんだし、俺もこっちで何処かに行こうかな? と思いながら朝ご飯を食べ終えると、お父さんに突然声をかけられた。
「今日は手伝いをしなさい」
「手伝い?」
「トウモロコシが出来た。今日中に収穫せんと悪くなる」
あぁ、そういえば、農家だったんだ。
まぁ、やることもないし、何か何となくで入ってしまったけど、俺農学部だし、勉強の一貫にやってみるか。
「分かった。準備したらすぐ行く」
「そうか」
お父さんは少し嬉しそうにそう言った。
なんて心温まる話では終わらなかった。
ジャージに着替えた俺が畑に向かうと、思わず雲を見上げて呟いた。
「マジかー……」
すごい広い。
見渡す限りとは言わないけど、学校の校舎が何個か入るぞ。
一体何時間かかるんだろうこれ……。
そんなトウモロコシ畑にお父さんは入ると、黙々と手でトウモロコシをもぎ始めた。
「これ、手で収穫するの?」
「機械はトウモロコシを傷つける。ちょっとの痛みで値段が下がる」
「ですよねー……」
規格とか色々あるもんなぁ。ちょっとした虫食いなんかあったら、どれだけ手間暇かけようと二束三文になる。
俺は麦わら帽子を深く被り直すと、一度大きく息を吸ってからトウモロコシ畑に飛び込んだ。
「つ……疲れた……」
何回も休憩を挟みながら俺は収穫作業を終えた。
積み重なる千何本というトウモロコシを前に、俺はたまらず畑にしゃがみこんだ。
熱いし、重いし、体力が一気に奪われた。
「おつかれさん。これから選別する」
「そうだった……。虫食いと鳥にやられて傷ついたのを弾かないといけないんだ……」
「ん? やってくのか?」
「一人でやるの大変でしょ? 母さんは昼ご飯の準備に戻ったし。選別作業なら作業小屋の日陰でやれるし、何とかなるよ」
「そうか。なら、頼む」
俺の申し出にお父さんは何故か一瞬驚いて、僅かに頬を緩ませるだけのすごく分かりにくい笑みを見せた。
日陰は意外と涼しい風が吹いていて、案外快適だった。
お父さんはずっと黙ったまま、トウモロコシを仕分けている。
俺もお父さんを真似て仕分けてみたけど、黙々と作業をしているのもつまらなくて、色々と話のネタを振ってみる。
「農作業は大変?」
「そうだな。大変だ」
言葉は続かず、沈黙が訪れる。
「楽しい?」
「あぁ、俺は楽しい」
やべぇ。会話が続かない……。
このお父さんは強敵だ。
どうすれば話が続くのかと考えていると、逆にお父さんから話しかけてきた。
「ピアノ、楽しいか?」
「うん。わくわくするし、どきどきする」
香織のピアノは聞いていると、元気が出るから。それにピアノを弾く度に、香織の心臓があんなにドキドキするんだ。香織も楽しいと思っているはずだ。
「そうか」
え? なんだったんだ!?
お父さんはまた黙ってしまった。
でも、怒っている様子じゃ無い。多分単純にそれだけが知りたかったのかな?
でも、あいつの顔を見れば楽しんでいるなんてすぐ分かりそうなもんだけど。
「お父さんって私のピアノ聞いた事ある?」
「最後に聞いたのは……お前が中学入る前だな」
俺は自分の失言にやっちまったと汗を拭った。
何でそうなったのか何となく想像が出来るなぁ。
家と土地を守れと言われてから、香織は多分何も言わずに距離を置き続けていたんだ。
多分、ピアノを聞かせないのも、お父さん達に気を遣わせないためなんだと思う。
楽しそうにピアノを弾く姿なんて見せたら、このお父さんなら多分何も言わずに香織の背中を押すと思う。
でも、逆につらそうに弾いていたら、すぐに止めろって言いそうだ。
確か……香織はピアノの演奏が嫌いになっていた時期があった、って羽田先生が言っていた。だから、多分その姿を見せたくなかったのかもしれない。
けど、俺は香織の姿を見て欲しいと思った。あの子の楽しそうな顔を、この不器用なお父さんに。
お互い言葉で伝えたいことが伝えきれず、死別してしまう二人が、せめて記憶の中で後悔しないように。
「私、ピアノが嫌いになってた時期があった」
お父さんは俺の打ち明けた話しに静かに頷く。
まるで、知っていたという言葉が聞こえるみたいだった。
「色々な理由があったけど、今は違う。今はピアノを弾くのが凄く楽しいから」
今の香織のピアノはすごく心に響くから。
「文化祭で私、クラスのみんなとジャズ喫茶をやるんだ。私がピアノを弾くから、聞きにきてくれないかな?」
「母さんも連れて行くか?」
「お願いします」
「分かった」
「ありがとう」
そして、心の中で香織に謝りながら応援する。
勝手なことをしたとは知っている。けれど、香織ならこの世界で、俺の身体なんて借りなくても、あの夢を叶えられると思った。
何故こんな事をしたんだろうと、ふと考える。
別に後悔をなくして成仏してくれと願ってはいない。
むしろ、これから先も俺の身体を使うのは全然問題無い。
ただ、その時はもっと前向きな気持ちで俺の身体を使って欲しいと思ってしまった。
君は羽田先生と出会って、お互いの後悔で涙を流した。
まだまだ過去にやり残したこと、言い残したことがいっぱいあるような気がした。
だから俺は余計な口を出してしまった。
これがたとえ君の、思い出の中の出来事だとしても、君の後悔を幾分か救えるような気がしたから。
「俺もな。何度もこの仕事を辞めたいって思った」
「え?」
「でも、辞められなかった。お前達がいるというのもあるが……」
お父さんはそう言うと、手を止めて額をタオルで拭った。
「こうしているのが俺の人生に一番しっくり来た」
俺は呆気にとられていた。
この黙々と作業を続ける職人みたいな人でも辞めたいなんて思うんだって。
「ピアノが好きでも、時折手伝いをしてくれれば……何も言わん」
「ありがとう」
心臓がとくんと跳ねた。
不器用なお父さんと不器用な君に俺は隠れてくすくす笑う。
その後に食べた昼ご飯は最高だった。
香織のやつこんなに美味いもん食べてたんだなぁと感動してしまう。
「生きてて良かった」
思わずそう呟いた。
新鮮な野菜は甘みが濃くて、歯ごたえもしっかりしている。
それに自分で苦労した分も上乗せされて、余計美味しく感じる。
「お父さん、あのトウモロコシはあの後出荷するの?」
「そうだな。二日三日かそこらで誰かの口に入るだろ」
「そっか。それでもらったお金でまた次の準備をするんだよね?」
「そうだ。土の用意をして、苗を用意して、また新しい恵みを貰えるようにな」
無意識に俺は同意したけど、俺はずっとこの言葉を知っていた。
やっぱり、君は心臓にずっといたんだなって、また変に納得した。
俺が農学部に入った理由。大変そうな農家を手伝って言われた気がしたのは、君がお父さんとお母さんを手伝いたかったのか、手伝って欲しかったからだったんだ。
君は本当に俺の人生を君の思うままに変えている。
でも、怒りもしないし、今更嫌だとは言わない。
だって、君の望みを叶えることが命を貰った俺に出来るお礼だから。
とはいえ、その後は疲れているせいでほとんど動けず、俺は布団に寝っ転がって過ごしていた。
そして、ふとあの夢ノートが目に入る。
その表紙を見て、俺は君が死ぬまでに後どれくらい後悔を取り除いてあげられるのかなと思いながらノートを開いた。
「いっぱいあるなぁ」
お皿の上にいっぱいケーキを盛り合わせたような、楽しそうなノート。
達成出来たことには、可愛らしい字でその感想が書いてある。
けど、俺は楽しげな感情とは正反対の変な不安に駆られてしまう。
「消えないよな……」
この思い出が君の死で終わる時が先か、夢が思い出で埋まるのが先か、どっちか分からないけど、その時が来たら、ふと君が消えるような気がして怖くなった。




