表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/31

セッション

 喫茶店の後は服を見たり、小物を見たり、うろうろしてからジャジーダイニングに向かった。

 中では既に準備が整っているみたいで、店長と泰平君が待ってましたと言わんばかりに奥へと促された。

 準備中の店内にお客さんはまだいない。

 これなら思う存分リハーサルが出来そうだ。

 梓ちゃんがバイオリンの用意をして、私の横に立つ。


「いくよ。梓ちゃん」

「いつでもどうぞ」


 私のピアノから曲が始まる。

 続けて梓ちゃんのバイオリンが歌い出す。

 切なくも美しいバイオリンの歌声に私は聞き惚れて、思わず私の音を梓ちゃんに合わせようと、横目で梓ちゃんの顔を見る。


 その瞬間、時が止まったかのように息が止まりかけた。

 その顔は真剣そのもので――ただひたすら綺麗だった。

 この姿を写真に納めて飾れば、きっと何人もの人を男女問わず引きつけると思う。


 けれど、何でだろう? その顔はとても悲しく見えた。

 梓ちゃんは博人さんの演奏を見て、どう思ったかはちゃんと覚えているから。楽しそうで、羨ましいって言ったんだ。


「梓ちゃん」


 私は思わず手を止めて、声をかけた。

 私の突飛な行動にみんなが何だろうと手を止めて、こっちを見る。


「あ、すみません。何か間違いがありましたか?」

「ううん、間違いは全然ないよ。ただ、ちょっと確認しておきたいことがあって」


「なんでしょう?」

「私――じゃなかった。俺に合わせて貰っても良い?」


「えぇ、良いですよ?」


 そう言って貰えて、私は曲を始めから弾き直す。

 そして、梓ちゃんがバイオリンを弾き始める二小節前、私は声をあげた。


「梓ちゃん、こっち向いて」

「え?」


 きょとんとした顔で振り向いた梓ちゃんに、私は目一杯笑ってみせた。


「ここはコンクール会場じゃないよ。ここで弾くのは俺と梓ちゃんだけ。聞いているのも店長と泰平だけだし、ジャズとかジャンルとか関係無く、周りなんて忘れて二人で楽しもう!」

「はい!」


 バイオリンが力強い歌声をあげる。

 私もその力強さに負けないくらい楽しく鍵盤を叩く。ちゃんと笑って。


「梓ちゃん、こっち向いて」


 ピアノソロに入ると、私はノリノリで鍵盤を叩いていた。

 あの人みたいに、全身で踊りながら演奏するようにメロディを奏でる。

 楽しいね! そう言葉で伝える代わりに音と視線と笑顔で、自分の感情を表現する。

 すると、梓ちゃんの身体がうずうずし始めたみたいで、身体が小刻みに動いた。


「踊ろうよ。梓ちゃん!」

「ダンスのリードは男性の役目ですからね?」


「任せてよ」


 さらに軽快に、跳ねるように音を出す。

 梓ちゃんも合わせて、動き回りながらパッパッと輝くような音を奏でる。


 気付いたら私たちは笑顔で好き勝手やっていた。


 梓ちゃんのバイオリンが聞きたいから、楽譜を無視してわざとピアノを止めてソロパートを勝手に増やしたり、サビにあたる盛り上がる部分では主旋律の取り合いをしたりした。

 まるで子犬がじゃれついて遊び合うかのように、互いに互いのメロディを重ねる。


「楽しいですね。博人君」

「でしょ? 音楽ってこんなに楽しいんだって、あいつが教えてくれたの」


 演奏しながら私達は言葉を交わす。

 その中、私は先生の言っていた最近変わったという言葉を思い出した。

 その意味がやっと分かった。多分、今までの私は梓ちゃんみたいな顔をして、ピアノに向かっていたんだ。


 ただ、音を正確に出そうという心構えの上に、間違いが怖くて怯えていたんだ。

 けど、私はいつのまにか演奏中に笑うようになった。ううん、違うな。笑って弾きたくなったんだ。

 音楽が楽しいって思えるようになったんだ。私の音を聞いて欲しいって思ったんだ。


「あいつ?」

「あー!? えっと、ほら泰平? ここ教えてくれたし」


 しまったー!? 夢中になりすぎて変なこと口走った!?

 私は焦って、一音外す。けれど、無視して演奏を続ける。

 かわりに曲の中に自分のドキドキを解き放つ。

 もう、何でまた博人さんのことを思い出すのかなぁ!?


「博人君? どうしたの?」


 何で隣にいないのかなあ!?

 今、すっごく楽しいんだよ!? 君が隣にいたら絶対もっと楽しくなるのに!

 私が君の身体にいたら、君はこの演奏を覚えていてくれないんでしょ!?

 身体だけが演奏技術を覚えて、心はこの曲を覚えられないんでしょ!?


 そう思ったらドキドキは段々イライラに変わってきて――。

 最後の一音を奏で終えると、自分の中で何かが弾けた。


 何で、何で! あぁ! もう! 何で!?


 私は博人さんを意識しちゃってるの!?


 私は……なんで!? なんで……ここにいないの?


「はぁはぁ……ごめん。ちょっとはしゃぎすぎて、喉渇いた……」


 校庭を全力で走りきった後のような息苦しさと、心臓の跳ね具合に、私は身体を椅子に投げ出した。

 泰平君がおつかれさまと私を労い、冷たい水を手渡してくれる。


 私はその水を一気に飲み干すと、長いため息をついた。

 喉元は冷えたのに、心臓の近くがとても熱い。

 熱でもあるみたいに、顔が火照っている。


「ちょっと外の風に当たりに行きましょうか」

「あ、うん」


 そんな私を心配してくれたのか、梓ちゃんが私の手を引いてくれる。

 その温もりに、私の心は次第に落ち着きを取り戻し始めた。

 カランカランと扉の音が鳴り、夕方の涼しい風が身体を撫でる。

 けれど、私の身体は梓ちゃんのせいで、火が点いたみたいに熱くなった。


「誰か好きな人がいるの?」

「へあ!?」


 私は反射的に大きな声を出してしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ