この子は誰だ?
時折、昔の夢を見る。
俺がまだ高校二年の頃、とある大病にかかった時のころだ。
俺は病院のベッドの上でいつ死ぬかも分からない中、ひたすらにあるものが来るのを待ち続けていた。
「紬博人君の提供者が現れました」
その言葉で父さんと母さんは泣きながら喜び、俺の身体もすっかり良くなった。
とはいえ、大手術を終えた俺は、高校二年の大半を無為に過ごすことになった。
高校生活におけるビッグイベントである修学旅行とか、友達や彼女と過ごす夏とか、受験のことを考えなくて良い最後の文化祭や体育祭など、全てに参加出来なかった。
その上、高校三年になると遅れた分の勉強を取り返すのと、受験勉強でいっぱいいっぱいになったせいで、そういうイベントは本気で取り組めなかった。
だからかもしれない。
病気が治った今になって、高校のそういうイベントに参加する夢を見るんだ。
そんなちょっとした後悔を抱きながらも、恋人を作ったり、高校の同級生が水着姿できゃっきゃ跳ね回っている甘い夢を見ていると、聞き慣れない声で起こされた。
「こら! もう7時よ! 起きなさい! 学校に遅れるわよ!」
「えー……月曜は二限からだから九時に出れば間に合うって……。今良い所だったんだよ……あと少しでぽろりが……」
「何寝ぼけてんのよ? 高校は毎朝一限があるでしょ。大学じゃないんだから」
「え?」
何言っているんだ母さん? とは言えなかった。
というのも、そもそも俺を起こしたのは俺の母親ではなかった。
全然知らないおばさんだったのだ。
「え? 誰?」
「いつまで寝ぼけてないで、さっさと仕度しなさい。ご飯冷めちゃうわよ」
家に家政婦を雇う余裕はない。あったら俺はバイトしていない。
というか、そもそも雇うという話しも聞いていない。
それに、近所のおばさんがお手伝いに来たとも思えない。
近所付き合いを俺は特にしていないとはいえ、近所のおばさんなら毎日の生活の中ですれ違うくらいはある。しかも、こんな母親みたいなことを言う人なら尚更すれ違う度に何か言われるはずだ。
けれど、顔にも声にも覚えがない。となると、本当に心当たりがないんだけど、マジで誰だったんだ?
若干の不安に苛まれつつ、せっかく朝ご飯があるのなら食べようと思って立ち上がると――。
「あれ?」
首と肩周りがいつもより重かった。
その割に手足は細く、スラッとしている。指も柔らかくしなやかで、肌に不思議と張りがあった。
「え? ついてる?」
そして、何より俺を混乱させたのが、男にはない膨らみが下を向いたらあったことだ。
胸が膨らんで、パジャマの隙間から胸の谷間が見える。
寝ている間に寝汗をかいたのだろうか。白いふくらみの上には玉になった汗が乗っていて、肌は湿り気を帯びていた。
「……よし」
俺は意を決し、その白い丘に指を沿わせてみる。
ちょっとしたくすぐったさとともにぷにょんと指が肌に埋まると、汗の玉がふくらみの下へとこぼれ落ちた。
「柔らかいな……」
頭の中で何かが外れた俺は、そのまま胸をわしづかみにしてもにもにと揉みだした。
なるほど。世の中の男が夢中になる訳だなぁ。
すべすべぷにぷにして柔らかいけど、弾力と張りがある。
女の子の身体ってこんな感じなのかと感動してしまった。
実のところ一切女の子の身体なんて揉んだことはないけれど、現実のおっぱいも揉むとこんな感触なのだろうか。
そんな、まだ夢の続きを見ているようなことを思いながら、胸を揉み続けてみる。
すると、とあることに気がついた。
生理現象として朝起きたらトイレに行きたくなるけれど、もしもの場合どうすれば良いか分からない。
俺は右手で胸を揉みつつ、左手を恐る恐る下腹部へと伸ばす。
「……ついてないな」
大事なマイサンがついていなかった。
股下がスッカスカだった。どれだけ左手を頑張って動かして探してみても無だった。
あれ? 俺? 今女の子になってる?
「うそおおお!?」
「うるさいわよ香織! さっさとご飯食べちゃいなさい! ……って、朝から何してるの?」
遅れて来た衝撃に叫んでいると、先ほど出て行ったはずのおばさんが部屋に戻ってきた。
もう一度叫びたくなったけど、顔がひきつって上手く声が出ない。
状況が酷いのは分かっている。
扉を開けたら胸と下半身をまさぐっている女の子がいたら、誰だって困惑する。俺だって混乱する。ラッキースケベとか言っている余裕はない。
ならば、おばさんだって困惑するはずだ。
「香織もそういう年頃なのは分かるけど、悪い虫は寄せ付けちゃダメよ」
困惑していないだと……。
で、でも、何故か色々な意味で後ろめたい。こうエロ本がお母さんに見つかった気分だ。
香織という女の子の中身は俺だし、このまま放ってはおけない誤解だ。
何か言い訳は出来ないかと思考をフル回転させていると、背中からプーンと虫の羽音が聞こえた。悪い虫? そうだ悪い虫だ!
「あっ!? やっと出た!?」
「え?」
「服の中に虫が入って、追い出そうとしてたの! アハハ……変なところ刺されてないといいなー!」
「あら、そうだったの。さっさと着替えないからよ。ほら、早く着替えて降りなさい」
「ハイ、ワカリマシタ」
何とか修羅場を脱した俺は、おばさんの言う通りに服を着替えることにした。
これ以上おばさんを待たせて、また変なところで突入されたら、たまったもんじゃない。
けれど、そこではたと気付く。
「セーラー服か……」
壁には眩しいばかりの白いセーラー服がかけてある。
あまりの眩しさに一瞬手で目をおおったが、改めて自分にとある言葉を言い聞かせた。
どうせ夢なんだから大丈夫。
そんな魔法の言葉で自分を説得した俺は、やけにゆっくりとした手つきで着替えを済ますのであった。
一応、断っておくけど、決してやましさからじゃない。単にどう着れば良いか分からなかっただけだからな! 勘違いするなよな! と何度も自分に言い聞かせて。