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君に届け

 文化祭に向けての準備をしつつ、私はピアノ教室にも通っていた。

 驚いたことに博人さんはさぼらずに教室に通ってくれたみたいで、演奏も私と同等のものが出来ていたみたい。

 私の身体なんだから当然だとも思うけど、ちょっと悔しい。


「あら? 今日は良いわね」

「え?」


「ううん、続けて」


 初めてとは言わないけれど、すごく久しぶりに羽田先生に褒められた気がする。

 褒められたと、周りの人が見れば思われないぐらいの小さな一言だったけど、私は思わず手が止まるほどすっごく驚かされた。


「あ、はい」


 コンクール用の曲がまたピアノから奏でられる。

 何故だろう、不思議といつもより指と腕が軽やかに動く。

 練習時間を特に増やした訳で無く、むしろ入れ替わりのせいで減っているのに、私の奏でる音は楽しく感じる。


 何年ぶりだろう。ここで楽しいって思えたのは……。


 最後の一音を出した私は目を瞑って、大きく息を吸った。

 そのまま空っぽになった頭と心で、ふと考える。


 博人さんは私の奏でる音楽をどう思ってくれているんだろう?


 私は君の中にいて、君は私の中にいる。


 直接聞く事は出来ないけれど、この身体で同じピアノを弾いて、同じ曲を聴いているはずの君。無理だけど……感想を聞いてみたいな。

 君に会いたい……。


 あれ? でも、そういえば、一度だけお互いの顔を自分で見たことがあったはず。


 あれは確か、私がもう一度ジャジーダイニングに行けるようにと、空想したピアノを弾いている時だ。

 とても嬉しそうに、それこそ踊っているみたいにピアノを弾いていたっけ。

 君の服装のセンスはあんまりだし、顔だって冴えない方だ。


 でも、あの時はすごく輝いて格好良く見えた。

 しかも、君の演奏している姿に、私は嫉妬までしたんだ。楽しそうでとっても羨ましいって。


 気付けば私は目を瞑ったままポーンと鍵盤を叩く。

 続けてゆっくりと次の音を出す。

 あの時をじっくり思い出すかのように、もう一音たっぷり長く響かせる。


 その音で心臓が高鳴る。あの時見た君の姿が、私の心に浮かんでくる。

 その時、ふっと声が聞こえた気がした。


 幻だったかもしれない。自分の思い違いかもしれない。それこそ、声がしたと勝手に思い込んでいるだけかもしれないけど。

 確かに聞こえたんだ。


 君の声が。


(先生の前だからって緊張すんなよ。俺はお前の演奏が好きなんだから)


 言われなくたって分かってるっての!

 全く一言余計なんだから! 応援するなら応援だけしてよ!

 全く博人さんは全くもう! ジャジーダイニングの件でもそうだけど、詰めが甘いんだよ!


 女の子はそんな単純じゃ無いんだから! そんなんじゃモテないぞ! だから、彼女ができないんだ!


「えへへ」


 胸の奥がくすぐったくて仕方無い。心臓が楽しくて飛び出しそうで仕方無い。顔が熱くて火傷しそうだ。

 でも、いつも以上に、指が動く。腕が動く。

 音が繋がり重なって、メロディーへと変わる。


 君はここにいる。確かそんな曲名だった。


 なら、私も答えよう。私は今ここにいるって。

 このメロディで、私は演奏をすっごく楽しんでるって答えるんだ。

 君に届くように精一杯奏でるんだ!


 私の望むまま、曲は止まること無く流れていく。


 その間、先生は何も言わずにただ隣に立っていた。


 止めてくれなかったことに感謝しつつ、多分止めてもやっていただろう自分にもう一度笑う。

 いつしか、曲は一番盛り上がるクライマックスパートに入った。

 私は気付けば何もかもを忘れて、白と黒の鍵盤だけが見える世界で音を奏でていた。


 あれ? ここって?


 そう思った時、私の耳に誰かがピアノを弾く音が聞こえた気がした。


 全く同じピアノの音。でも、ほんのちょっと違う音。私よりちょっとだけ力強い男の子っぽい音。


 その音にフッと顔を上げると、君が映った。

 そこには、曲に合わせて踊るみたいにピアノを弾いている君がいた。

 その笑顔がすっごく楽しそうで、輝いていて、冴えないはずの顔がとても格好良く見えた。


 そんな君が顔をあげて私だけに微笑んで――。


(あぁ、香織は本当に音楽が好きなんだな)


 そう言いながら、君は私の頭を撫でてくれた気がした。


 時と世界が離れているはずなのに、君はピアノを隔てた場所にいるのに、手が触れたような錯覚に私は笑って、呟いた。


 君はここにいるって。


 その瞬間、私の中に照れくささと、当たり前でしょ? という気持ちと、何よりも君に演奏で負けたくないっていう気持ちがわき上がって、私はさらに演奏のギアを上げる。


 君も私に追いつくようにテンポが早くなり、アレンジに合わせて音を変える。


 そうしたら私も君に私の全力をぶつけたくなった。

 私の持てる全ての技術と想いを手に込めて、鍵盤に解き放つ。


 これが私だって見せつける。ううん、私を見てくれって叫んだ。


 私と君の間に不協和音は出てこない。

 私と君はお互いを見つめながら、楽しいメロディを重ねた。


 そうして、今まで生きてきた中で一番楽しい時間が流れる。君が私の音を聞いてくれる時間が。

 でも、曲はもう最後の数音を残すだけになってしまった。


 だから、私は君に負けないように、最後の一音を力いっぱい出し切った。

 おかげで、正直、酷い音が出た。情緒も余韻もない。

 作曲者が望んだ終わりじゃないし、聴いている人が美しいとは思わない音だった。


 でも、その音を出した時、私は今までに感じたことの無いくらい気持ちが良くて、とても楽しい最後になった。

 きっとあの音なら、未来にいる君に届いたと思えるくらい会心の音だったから。


「はぁー……楽しかったぁ……けほっ」


 気付いたら私は演奏中ずっと息を止めていたみたいで、身体がすごい勢いで酸素を求めて息を吸い込んでいる。

 クーラーのよく効いた冷たい空気が私の喉に入って、熱くなっていた身体をゆっくりと冷やしていた。

 けれど、火照った身体はクーラーではなかなか収まらなくて、喉が焼けているように熱かった。


「羽田先生、ごめんなさい。水貰っても良いですか?」


 私の問いかけに羽田先生は時を止めたように固まっていた。


「羽田先生?」

「あ、ごめんなさい。お水ね。すぐ持ってくるから」


 そう言って、我に返った先生から貰った水を一気に飲み干す。

 その冷たさが身体に染み渡って、生きているっていう感じがした。


「良かったわね」


 先生が短くそう言った。


「でしょ? 明るくて元気の出る曲なんです」

「ううん、違うわ」


「え?」

「あぁ、もちろん良い曲よ。ただ、私が一度も聞いたことのない曲でも、あなたが好きな曲なんだなって演奏で分からせてくれた。そんなあなたが良かった」


「私……ですか?」


 先生はゆっくりと微笑みながら頷いた。


「最近ちょっと変わったわね。これなら次のコンクールも大丈夫そうかしら」


 変わった? あー……ここ数日のレッスンって博人さんが私の中に入って受けていたもんなぁ。

 実は私の身体の中に大学生の男の人が入っているんですよー。なんて言える訳もなく、私はそうですか? と笑って先生の言葉を誤魔化した。

 変わったのは博人さんが入っていたせいで、私自身は変わっていないはずだから。


「今日は楽しかった?」

「え? あ、はい」


「なら、良かった。それじゃ、今日はここまでね」


 そう言って先生は私を玄関から送り出してくれる。

 その顔を見て、私は喉まである言葉が出かかるけど、恥ずかしくて諸々と一緒に引っ込んでしまった。


 いや、違うなぁ。多分怖いんだ。

 今日の私の演奏は自己満足の塊みたいな演奏で、友達とかならまだしも先生に聴かせるような曲でもないし、最後のことを考えると良い演奏でもなかった。


 言うなれば、たった一人に、私の声を届けるための自分勝手な叫びだったと思う。

 それなのに、先生は私の曲を聴いて楽しくなれましたか? なんておこがましくて聞けない。


「香織さん、明日からもこの調子でね」

「え? あ、はい。がんばります」


 でも、先生の柔らかい声が私の演奏に対する答えだと思った。

 だから、ちゃんと言おうって思ったんだ。


「先生、コンクールが近いって分かっていますけど、私、学校の文化祭でピアノを弾くんです。もし良かったら来て下さい」

「そうね。楽しみにしているわ」


 私はその言葉を貰うと、ちょっと浮かれた気持ちで、博人さんと弾いたあの曲を口ずさみながら家路についた。

 そして、壁のメモ帳に大きな文字でこう書いておく。


《ジャズ喫茶のせいで大変なことになってるんだから、責任とってよね!》 と。


 私を巻き込むのなら、一緒にやらないと不公平なんだから。


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