入れ替わる理由
しばらく泣いた後、ようやく涙がとまった俺と先生はお菓子と一緒に温かい紅茶を飲んでいた。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
「いえ、全然そんなことないですよ。それを言うなら俺だって泣きまくってたし」
先生は俺のフォローに小さく微笑むと、長い長いため息をついてぽつりと呟いた。
「それにしても、不思議なことがあるものですね」
「そうですね。科学的に立証はされていませんけど、似たような話があります」
「と、言いますと?」
「臓器移植を受けた後、味覚などの感覚や性格が元の人とは変わってしまうっていう話しがあるんです」
「へぇー。確かにあなたの演奏には香織を感じました」
「不思議ですよね。記憶は脳でするって科学的には言われていますけど、香織さんの心臓と血液を受け継いだ俺は、彼女の記憶を追体験して、彼女は現世で失った未来を生きているんですから」
「失礼ですが、もしよろしければ、博人さんは何故そのような手術を?」
「俺はもともと心臓が奇形だったのと、若年性の白血病にかかっちゃいまして。骨髄の移植を待っていたんです。でも、香織さんの骨髄と心臓はどうやら俺に移植するのはピッタリだったみたいで、二つを受け継いだんです」
おかげで高二の一年間はほとんど病院生活だった。
「そうでしたか……。それはおつらい経験を思い出させてすみません」
「謝らないで下さい。もう過ぎた事ですし、香織さんのおかげで俺はこうして元気に生きています」
だから、あの子に身体を借りられても、当然というか、喜んで貸すぐらいだ。
「それと、骨髄移植を受けると血液型が変わるんです。俺、もともとO型なんですけど、香織さんはB型だったみたいで、今、俺の血液はB型になっているんです。俺の身体に流れている血は全部香織ので、その血を送り出している心臓も香織のだって思うと、俺達の心が入れ替わっても不思議じゃないなって、今なら思います」
「この世界は本当に不思議なことが起きますね」
羽田先生は遠い目をして優しげに微笑んでいる。
「あの子は活発で負けん気が強そうに見えて、結構内気な子でした」
「あー……」
俺にも思い当たる節があった。
農家を継ぎたくないとか、プロの演奏家になりたいかどうかとか、何がしたいあれがしたいって直接本人に言わないんだよな。
あのノートもきっと言い出せなくて貯め込んでいたことを、吐き出したものなんだろう。
きっとまだまだ先生にも友達にもご両親にも伝えたいことがいっぱいあったんだと思う。
あのノートの最後の行には、羽田先生とご両親と友達と一緒に楽しめる演奏者になりたいってあったから。
「気遣いのつもりなのかもしれませんけどね」
「ふふ、そうですね。あの子は優しい子でしたから。きっとご両親も私も傷つけないよう気を遣ってくれたんだと思います。でも、音楽をやる時だけは、いつでも前に出て輝いていました」
「ははは、ですね」
香織の昔話に花をさかせた後、俺は羽田先生からピアノの指導を受け、気がつけば結構良い時間になってしまっていた。
日帰りで家に帰るにはそろそろ出ないと間に合わない。
「また遊びに来てくれますか?」
「そうですね。香織は心臓にいますから、きっと遊びに来ないとワガママ言って心臓が跳ね回ると思います」
「ふふふ、そうなる前に来て下さいね」
「はい。その時はまたピアノを教えて下さい」
「喜んで」
そういった先生は本当に嬉しそうに微笑んだ。
その微笑みを見て、心臓がまたトクンと音を立てる。
意外と寂しがり屋なんだなと笑いつつ、俺は自分の胸を撫でるとちょっとした固い紙の感触があった。
中に入っているのは《ジャジーダイニング》の名刺。
それでハッと、とあることに気がついた。
「そうだ。羽田先生ももし良かったらここに来て下さい。ジャズ喫茶兼ジャズバーで俺、というか香織が演奏するんですよ」
「へぇ、それは是非行ってみようかしら」
「それと……もし、分かればで良いんですけど……」
「分かっています。私が代わりに連絡いたします」
「二人がどこにいるか分かるんですか!?」
「分かりません。けど、見つけて、いつか三人で遊びにいきますから」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
そう言って、俺は香織の謎解きを終えた。
俺は手に入らなかった時間を求めて、死んだ彼女の思い出の中で生きる。彼女は俺の中でやり残した夢を叶えるために現れる。
そんな変な入れ替わりに俺は一抹の寂しさを覚えながら帰路についた。
その日の夜、俺は紙にそのことを書かず、何勝手にデートを申し込んでるんだよ!? デートに着ていく服がないぞ!? と怒る振りだけをしておいた。




