君は心臓(ここ)にいる
文化祭の出し物がジャズ喫茶に決まった日は、その後にピアノの先生のところでピアノを練習して、家に帰った。
俺は全くピアノの練習をしたことがなかったけど、香織の身体はちゃんと練習を覚えていたらしく、譜面は何となく読めたし、腕も何となくで動いた。
それが何だか楽しくて、俺はノリノリで演奏していた。
不思議だったのは、ピアノの師匠である羽田先生はそれに対して何も言わなかったことだ。
俺が中に入っているから、楽譜通りとか先生の思い描いた通りには多分弾けていない。
それでも、先生は俺をジッと見つめていた。
そして、時折、ここはこうした方が良いとか、どうする方がより楽しく聞こえるとか教えてくれた。
香織の友達が言っていたような厳しさとか、置き手紙にあった怖いから気をつけてという伝言で身構えていたから、逆に拍子抜けだったよ。
不思議な先生だったなぁ。と思いながら眠りにつくと、俺はもとの紬博人に戻って朝を迎えていた。
俺は俺の部屋で、俺の身体で、机の上に置かれた香織からの置き手紙に目を通す。
《私の携帯には通じませんでした。どうやら未来の私は携帯を変えたみたいです。家も引っ越しちゃったみたいで、電話が通じませんでした》
現代でもダメだったかと、俺は呟いた。残念だけど、何となく予想していた。
けれど、良いこともある。今回はハッキリと入れ替わった記憶が残っているんだ。
「へへ、あいつ今頃驚いてたりしてな」
入れ替わりが戻って、学校に行った途端、自分の夢が一つ叶うんだ。
メチャクチャびっくりするだろうな。
いきなり古手川さんと仲良くなったあいつへのお返しだ。
ニヤニヤしながらスマホのメールとLINEのメッセージを確認しようとすると、妙に引っかかる一文があった。
「ナニコレ?」
《今週末、楽しみにしております》
古手川さんのLINEの一文が見えて、俺は思考がぶっ飛んだ。
え? 何? どういうこと?
と思ってログを追いかけると、どういうことか分かった。
どうやらジャズバーでの演奏以来、俺たちはスッカリ音楽仲間となったらしく、今週末にあのジャズバーでセッションすることになったらしい。
いや、それどころじゃなかった。
《梓ちゃん、美味しいケーキの食べられる喫茶店とか知ってる? ジャジーダイニングの前に気合い入れちゃおうよ》
《ふふ、オススメの喫茶店があるんです。是非ご一緒しましょう》
「デートじゃん!? 何約束してんの!?」
いや、中身が香織なら、女の子同士の遊びに行く約束なんだけど、行くのは俺の身体で、あぁ、くそ、ややこしい!
でも、これを言ったのは俺じゃないとは言えないし!
「あぁ、もう女の子おおおおお!?」
なんて訳の分からない奇声をあげて枕に顔を埋める。
そこでふと思い出した。
あぁ、そういえば、香織はちゃんとこうなることを書いてたっけ。
《梓ちゃんと一緒に演奏したい》、《友達と東京で美味しいケーキが食べたい》って。
俺があいつの中で失った時をやり直すみたいに、あいつは俺の中で夢を叶えようとしている。
でも、そうなるとすごく不思議なことがある。
過去やり残したことがあって、後悔することは色々な人が感じることだと思う。
あの時をやり直したいって思うのは、きっと誰しもが思ったことのあるはずだ。
でも、その逆はありえるのか?
未来にやりたいことがあるから、未来のことを思い描き、未来へと一歩先に行きたいなんてこと。小さい子供が大人に早くなりたいというのならともかく、香織は女子高生だぞ?
友達と遊びにいくなんて期間限定じゃないし、年齢制限がかかるような場所で遊ぶような子でもない。そんなに焦って友達とどうこうすることでもないはずだ。
ん? 期間限定? 年齢制限?
その言葉に引っかかると、何故か俺の心臓がやけに弱々しくなった気がした。
俺は咄嗟に心臓を抑えてその場に座る。その時、何故か二年前に自分がどうなったかを思い出す。俺は病院に入院して動けなかったんだ。あの時の報せが来るまで。
その時を思い出して、まさかと思う。
友達に遊びにいけるのが期間限定だとしたら、その期間とは何だろう?
何故俺は今年の香織じゃなくて、二年前の高校二年生の香織と入れ替わったんだろう?
もしも、そこに年齢制限があったとしたら? 例えば、高校二年生のある時期より先がない……とか?
ふと、思いついた答えに俺は首を横に振る。
そんなことはないと自分に言い聞かせるも、嫌な考えが消えない。
「君は本当に心臓にいるのか?」
俺の問いに心臓は少しだけ力強さを取り戻す。
その反応に、俺はカレンダーを見ると、天井に向かって長いため息をついた。
頭を整理して、どう動くかの計算をする。
今日の授業は代返代筆が効く。
それに加え、ジャジーダイニングのおかげで、財布の中身は十分だ。
それがルール違反だということは分かっているけど、俺はルールを破ることに決めた。
そして、自分と自分の心臓に言い聞かせるように呟いた。
「俺は君に会いに行く」
そう言わないと、悪い想像で心が折れそうだったから。
俺はスマホで香織が使っていた駅を検索して、どう行くかを調べた。
そして、新幹線から在来線を乗り継ぎ、山の奥へと進んでいく。
周りは田んぼと畑ばかりに変わり、景色は俺の知っているモノに重なってくる。
彼女の身体で出入りしていた無人駅を降りて、住んでいた家に向かう。
田んぼに囲まれた大きなお屋敷のような家が見えてくる。
元々、地主だったらしく、農家ながらも裕福だったらしい。
俺はその家の表札がまだ柊であることを祈りつつ、扉の前に立つ。
「あ……」
表札はもう変わっていた。
俺は慌てて近くを通りかかったお爺さんに声をかけ、柊家がどうなったのかを尋ねた。
けれど、返ってきた言葉は俺が期待していない方のものだった。
どこに引っ越したかは誰も知らない。東京の方に行ったとしか聞かされなかった。
どうやら一年前のある日、引っ越して行ったらしい。
けれど、その理由は教えてくれた。
「確か、あの事故があってからだのう」
「事故?」
「えーっと、なんじゃったかのう? 娘さんが交通事故に遭ったんじゃよ」
「あ……」
「お、おい大丈夫か!?」
俺はお礼の一言も言えず、その場に崩れ落ちると、天を仰いだまま数秒間固まっていた。
心臓は弱々しく、血の気が引いているせいで、身体が冷たくなっている気がした。まるで、今ここで自分が死んでしまったと錯覚するくらいに。




