心臓の音が鳴る
心臓がトクンと跳ねた気がした。
カーテンの隙間から朝日が部屋に零れ、まぶたの裏を明るく照らす。
ほら、朝だよ。起きて。
そう言う誰かの声が耳元で聞こえた気がした。
布団の中は温もりに満ちていて、誰かとピッタリ寄り添っているような安心感がある。
けれど、その安らぎは目覚ましのアラームが鳴ると嘘のようにかき消え、一体どんな夢を見て幸せな気分になっていたのか思い出せなくなる。
「うー……眠い……後五分寝たかった……」
俺は目を瞑ったまま乱暴にスマホを掴むと、慣れた手つきでアラームを解除する。
すると、そのまま眠りそうになったけど、あることを思い出した。
今日は絶対に遅刻出来ない。
そう思って無理矢理目を開けると、スマホの黒い画面に映る自分の顔を見て、何故かこう呟いた。
「おはよう。大学生になった俺」
その挨拶に、心臓が応えるかのようにトクンと音を立てた気がした。
○
寝坊助と誰かに笑われた気がした。
その笑い声に私は目を覚ましかけたけど、眠気に抗えずまどろみの中にいる。
そんな私を誰かが優しく笑って、頭をなでてくれたような気がした。
けれど、その優しさに甘えようとすると、ふっと感覚が消えて、代わりに意識がハッキリし始める。
目を開ければさっき聞こえた声がどんな声だったのかすら思い出せない。
スマホの表示する時計はアラームが鳴る時間より五分早い。
いつもなら、さっきの感覚を求めて、ちょっとした二度寝をしていたかもしれない。
けれど、今日の遅刻は許されない。
「おはよう。大学生になった私」
鏡に映る自分の顔に触れて、私は何故かそう呟いた。
すると、何故か胸の奥がくすぐったくてフフッと笑ってしまった。
○
今日は大学の入学式とガイダンス。
俺は生まれて初めてスーツを着て、新しく買った定期で、今までに通ったことのない路線を走る。
私は初めて一人暮らしをして、新しく買った自転車に、おろしたてのスーツでまたがり、初めての道を走る。
がたごと揺れる電車の中には俺と同じスーツの似合わない初々しさに溢れた人達がいる。
ひらひら舞い散る桜の花びらの向こうには、私と同じ新品のスーツを着ている人達が嬉しそうに歩いている。
電車の中にいる何百人の中に、俺が知っている顔は一人もいない。
学校へ入っていく何千人の学生の中に、私の知っている人は一人もいない。
けれど、俺は電車にいる人の顔を一人一人眺めていた。
それでも、私は学校に入るみんなの顔を見ようとした。
俺は誰に言おうとしているんだろう?
私は誰に言いたいんだろう?
君に恋をしてしまった――
俺は――
私は――
――ここにいるって。
今日は22時まで1時間毎に更新