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選択の時間です。  作者: TOGENEZUMI
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あなたの人生かえてみませんか

閉め切ったはずの雨戸から弱々しい光が入り込み、ガタガタと震える体を押さえ込むように使い古した布団をかぶる青年の姿を照らしている。青年の吐く息も白く、建て付けの悪さからか冷え切った空気が流れ込んでいる。日が出ているのにも拘らず暗い部屋に閉じこもっている青年は、時間が早く過ぎることをただただ待っている様だった。何も変わらない1日、外からは楽しそうにはしゃいでいる数人の小学生らしい声や弾む様な足音が聞こえる。自分はなぜこうしているのだろうか、青年の表情からは怒りとも後悔ともとれる感情が伺えた。


ハァ・・・。

かぶった布団を剥ぎ、冷え切った床から体を起こすとため息から1日が始まった。

「今日も始まってしまったか」

俯いた顔は血色も悪く、呆然とあぐらをかいた足元を眺めている。しばらくの間があきゆっくりと立ち上がると、虚ろな目で玄関の手前にある狭い台所を眺めた。引きずる様な足取りで台所へ向かい蛇口を捻るが、錆びついた金属特有の不快な擦れた音がするのみで、そこから一滴の水分も確認することができなかった。何度か蛇口を捻る動作を繰り返すと、先ほどの精気の薄れた雰囲気から豹変し、怒り狂ったかのように流し台に両腕を振り降ろし始めた。音のないその部屋に鈍い音だけが何度も何度も響き渡る。打ち付け続けた拳が真っ赤に腫れ上がり傷口から血が流れ始めたころ、普段は誰も訪ねてこない玄関に微かにノックの音が響いた。驚いたかのように体が硬直し、両腕を振り上げたまま視線だけを扉に送る。トントン、先ほどよりも大きなノックの音がしている。次第にノックの間隔も短くなり、音も大きくなっていく。硬直している体を無理やり動かし恐る恐るドアスコープを覗くとそこには誰もいない。イタズラかと思い扉を開け辺りを見回すがやはり誰もいない、勢いよく扉を閉め振り返ると、そこにはシルクハットに燕尾服と珍妙な格好をしたピエロが立っていた。それを認識し驚くよりも早く、ピエロが先程までの部屋の空気に似つかわしくない戯けた口調で口を開いた。

「おっじゃましまーす!あなたは西木戸肇さんですね、突然ごめんなさいでーす」

驚きとあまりのギャップに腰が引け先程まで叩いていた流し台にもたれかかる。すかさずピエロが軽快なステップで歩み寄りボソボソと耳打ちをした。

「人生かえてみませんか?」


ピエロから耳打ちをされているとき、恐怖から目を閉じていた。

「人生かえてみませんか?」

その言葉が耳に入り、意味を理解するまでに数秒の時間を必要とした。人生を変えたい、これは常々考えていたことだ。言葉の意味は理解できても状況が理解できない、恐る恐る目を開きピエロのいるであろう方向を見てみるが、そこには何もいなかった。

安堵から腰が抜け、その場に崩れるように腰を落とすと一枚の手紙が残されていた。


西木戸肇様へ

この度あなたは被験者として選ばれました。

これは大変運のいいことです。

腐りきった希望の無い人生におさらばしませんか?

考えるまでもないですよね、興味があれば連絡ください。

神の使いのピエロさんより


丁寧風な雑な文章で書かれた手紙はいかにも怪しげな内容のものだった。

「なんだよこれ、バカにしてるのか?連絡先も書いてない」

ありえないことが起こり動転している中、微かに残された冷静さで苦言を呈してみるが、やはり落ちつかない。体を引きずり部屋の中心へ引き返すと、突然停止しているはずの携帯電話が鳴り始めた。表示には神の使いのピエロさんと出ている、ここまでおかしなことが起こると不思議なもので、反射的に通話ボタンを押してしまった。

「もっしもーし!ごめんなさいね、僕ってば忙しいんですよ。それでどうですか?やりますか?やりますか?」

やりますかとは被験者とやらのことだろう。普通なら携帯を投げ捨て一目散に逃げ出す状況だが、肇は違った。人生に絶望しきった彼にこれ以上悪い状況になることはないのであろう。

肇は覇気のない声で一言だけ呟いた。

「お願いします」


「どうしよーねー?どうしよーねー?」

相変わらずの態度で部屋の中心に座る肇の周りを跳ね回るピエロは、なにやら考えている様だ。

「そだそだ、何か聞きたいことなーい?」

跳ね回るのに飽きたのか、肇の前でぴたりと止まり甘えた口調で首を傾げている。

「ないのないのー?」

首を左右に振りながら近づいてくる彼は、見ているだけならとても愛くるしい見た目をしている。神の使いという肩書き、突然現れ消えたこと、携帯への電話、そして今日もいつの間にか部屋にいることを考えると見た目に反して恐怖を感じる。

「あなたは誰なんですか?被験者って何をするんですか?」

俯きながらボソボソと質問をすると、ピエロはニカッと笑った。開いた唇を手で閉じると、どこから取り出したかわからないカバンをガサガサと漁りだし、そのカバンからは絶対に出てこない大きさのホワイトボードを部屋に設置し始めた。

「説明しましょう!はいっ、こちらに注目」

いつの間にかしているメガネを左手でずり上げ、こちらもいつの間にか持っている右手の指示棒でホワイトボードを叩きはじめた。

ピエロの説明によると、生きる希望のない人間が増えすぎて地上の空気が淀んでいる。神は基本的に地上には関与しないが見るに見かねて救済措置を与えることにした。そこで神の使いであるピエロを派遣したとのことである。なんともざっくりした説明だが、救済措置が実験的なものであり、被験者に西木戸肇が選ばれたということである。

「なんとなくはわかりました。具体的にはなにをするのでしょうか?」

肇は腑に落ちないといった雰囲気でピエロにさらなる説明を求めた。腑に落ちていない肇のことが腑に落ちないピエロは両手の人差し指を頭にあて考え込んでいる。考え込んだ末に口を開くと

「なにしたい?なにしたい?」

甘えた口調で笑顔で尋ね返した。

「なにしたいって・・・それはこっちが聞きたいことです」

「なにしたい?なにしたい?」

肇の全くの正論にも変わらず返すピエロ。

「・・・なにをすればこんな人生変えられるんだよ」

「なにしたい?なにしたい?」

「なにをしたってなにも変わらない」

「なにしたい?なにしたい?」

「俺にはなにをしたらいいのかわからない」

「なにしたい?なにしたい?」

「方法があるなら教えろよ」

壊れたレコードのように同じ問いを投げかけるピエロに肇はつい怒鳴りつけ、古びた床に拳を叩きつけた。

突然の肇の変化にピエロは一瞬ピクッと止まるが、気にしない様子で続ける。

「なにしたい?」

今度の「なにしたい?」は今までのピエロの戯けた口調ではなく、落ち着いたものだった。

ピエロの変化に肇も一瞬戸惑うが、一度息を大きく吸い込み冷静に答えた。

「俺にはわからない、なにかをしてこの状況から抜け出せるならなんだってする。でもなにをしたらいいかわからないんだ」

そんな答えにピエロはニカッと大きく口を開けドヤ顔で肇の顔に指を指した。

「西木戸肇さん、あなたにはなにがありますか?」

戯けた口調ながら高圧的な態度で迫るピエロに肇は少したじろぎながら力を込めて言葉を発した。

「今の俺には仕事もない金もない、友達も家族も親戚もみんな離れていった。貯金も底をつきはじめ今日を生きていけるかもわからない。やりたいこともやれることもない、今の俺は生きていないのと一緒なんだよ」

途切れることなく言葉を繋ぎ終え肩で息をする肇の目の前に、ピエロがスッと近寄り顔を近づける。ピエロはニカッと笑うと一言告げた。

「なにもないなら、他人の人生を生きましょう」


「他人の人生を生きましょう」

ハテナだらけのその言葉に肇は眉を顰めた。

他人の人生を生きるってなんだ?そんな疑問が頭を駆け巡っているのであろう。しばし考え込んだ末、素直に疑問をぶつけた。

「他人の人生を生きるってどういうことだ」

ドヤ顔のピエロは答えたくてうずうずした様子にもかかわらず、溜めに溜めて口を開いた。

「文字通りですよ、他人の人生を代わりに生きるんです。何度も言いましたよね人生代えてみませんか?」

代えるを変えると思っていた肇に衝撃が走った。

「代えるってそう言うことか」

「そう言うことです。理解していただけたら準備しましょう、善は急げです」

なにが善なのかは置いておいて、ピエロが仕事モードに入り幾分真面目な様子になった。

「これからあなたは他人が送るはずの人生を送ります。注意事項等はありません、ただただ順応してください。それでは良い人生を」

そう言い終えたピエロは肇の顔に手を当てた。

「なにを、ダメだ・・・眠気が・・・」

肇が最後に覚えているのは口を大きく開けニカッと笑う戯けたピエロの顔だった。


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