00 - 主人公はオレじゃない(後)
そうしてオレはその『乙女ゲーム』とやらをプレイした。
一周目は攻略チャートなど見ずに、ガチ百合を目指して失敗。
二周目は攻略サイトを見て百合ルートを攻略。
三周目以降はCG――乙女ゲームで言うところの『スチル』を回収する作業ゲーになった。百合要員である女性キャラがスチルの隅に小さく載っていることに気づいてはじめたことだが、「主人公が紆余曲折経てイケメンと結ばれる」という分かり切ったシナリオも「恋に悩む主人公の相談に乗ってやったりする百合キャラの切なく淡い恋」と深読みしてみればなかなかに楽しめた。
オタクはこれだからと言われそうだが、好きなキャラまたは好きな関係性が存在していれば、大抵のことは許せてしまうのである。
全スチルコンプ・シナリオコンプを果たしたのは、シシオからゲームソフトを借り受けた日から一週間後のことだった。
「攻略サイトを運営している有志の方々にお礼を言わなくてはな」
攻略サイトが無ければ積んでいた。
シシオのやつ、簡単だとか言っていたがゲーム初心者のオレにはじゅうぶん難しかったのだった。なにせ選択肢ですら国語の問題的に解いてみたらBAD直行だったからな。あの謎選択肢は何だったんだ。未だにわからん。文脈と違うだろ。
スチルコンプに好感度調整が必要なものとかはもう、次元が違う。組みあわせの数で総当たりしたらいつか辿りついていたかもしれないが、心が折れていただろうな……。
「それにしても……乙女ゲームの主人公とやらはずいぶん、オレの妹に似ているよな。恋を知らない、純真無垢でちょっとドジなところが特に。相手の男に少し嫉妬したぞ」
集まったスチルをひとつひとつめくっていきしながらぼんやりと呟く。主人公が男に抱きしめられているあたりはテキトーに、百合シーンは差分まで交互に出してみつつじっくりと観察する。
ギャラリーには、そのスチルが登場したシナリオ再生や、全シーン再生を出来る機能があるのだ。コンプリート記念におまけシナリオとスチルが出てきたときには感動した。既に閲覧済のマークがついているが。
「……なんだ、これは」
ふと――すべて閲覧したはずのギャラリーの中に、未読のマークを発見して目を疑った。二度、三度と手の甲で擦って、再度確認したが未読のマークはたしかにぴかぴかと点滅してオレに主張してきている。
いや、マークだけだったら、新たなおまけ要素かと思って心躍っただろう。
だが画面にはこう記されていた――
拝啓 池上雅人様 ☆new!!
ぞっとした。
もちろん『乙女ゲーム』は女性主人公なのだから、主人公名を入力するとなれば女の名前だ。プレイするコンシューマゲーム機にも『池上雅人』なんて実名登録はしていない。
そもそも女性主人公もデフォルト名で進めていた――つまりゲームでオレが入力した情報など何もなかった。
それなのに、何故ゲームの名前にオレの実名が表示されるのか? 普通ならば考えられない。
シシオがゲームデータの中に細工をしてイタズラ文章を付け加えたのか、とオレは思った。
オレがゲームをプレイするように勧めたのはシシオだ。もともとオレが購入したわけではないし、オレの名前を知っている人物で、オレの手に渡る前にデータをイジれる者はシシオしかいないのだ。
「バカだな。こんなイタズラするなんて……シシオらしくない」
だが時としてオタクというのはアホなことに時間と労力を掛けたりするからな。主にオレのことだが。黒歴史ノートは墓に行く前に燃やさないといかん。
これもシシオの黒歴史入り決定だな――、と、苦笑しながら星マークのついたオレ宛のメッセージにカーソルを合わせる。
手が震えたが、勢いに任せてボタンを押下した。
異変はすぐに起きた。
「な――、なんだ、これ……。『3/15』、『ステータス』、『好感度』、『セーブ』、『ロード』、『テキストログ』、『オプション』」
オレの視界に突如、ピンクの画面が浮かび上がったのだ。
網膜に焼きついたのか、それとも目と視覚認識物との間に浮かんでいるのか、さっぱり分からないがそれが現実にあるものでないことはわかった。
左上に日付表示されたピンク色の平たい円。下部に横長のピンクの長方形がびっしりと文字を埋め尽くす。長方形の上部には日付以外、声に出して読んだそのままの文字が表示されている。
見覚えのある画面構成だ。
「『雅人』と、これ……、今オレが喋るスピードで文字が出現している、のか」
ピンクの長方形に表示される文字は、オレの発言したそのままなのだった。長方形の最初に発言者であるオレの名前が表示されている。
まるで、誰かがオレが発言しているのを直接文章化させているような奇妙な感覚。いやむしろ、オレが誰かの書いた文章を声に出すことを強要されているかのような気持ちの悪い感覚。
「いやいやいやいや。待て待て待て待て。待て待て待て! 嘘だろう。まさか。目がおかしくなったのか!? 頭か? この像を映しだして認識してる脳か。脳がおかしいんだろうか。夢、夢? ああ、やりすぎて夢になって見たのか。あはは……そうだ。そんなことあるわけがない。――オレが――この世界が」
混乱するオレと共に文章も混乱していく。止まった言葉の続きは新たな形で表示された。
(この世界が、ゲームの世界だなんて)
ああ、とため息をつく。
それはあくまでも仮定だった。
プレイした乙女ゲームそのままの画面表示と、自分の発言がテキスト化することからの仮定の設定。
(……絶望。これが絶望というのか。思ったことが思った隙から文字になるなんて。そりゃあできたら嬉しいなと思うことはあった。百合妄想が全部思った通り文字になったらオレいつまで経っても楽しめるじゃないかと思ったことがあった。だが。本当になってみたらいやなものだ。誰かに覗かれているような気分だ。オレの思ったことがオレだけのものじゃないなんて。もしエロいことを考えているときに誰かに読まれたらどうする? もし不敬なことを書いて、どっかの過激派に狙撃されたらどうする? 思ってるだけでタイーホなんて、『治安維持法』! まさか、誰に検閲されてるともわからないが文字にしているだけでこんなに不安になやめろやめろやめろ、考えるな考えるな考えるな、夢にきまっているそうだ夢にきまっているだろう。そんな訳ないやめろやめろ! やめろ!)
だが世界はオレに優しくない。
今の今までプレイしていたゲーム画面を見下ろすと――そこには『誰か』からのメッセージが表示されていた。
池上雅人 様
これが表示されているということは、君は自分の世界が何であるかのおおよその見当がついていることと思う。そうでなかったらこのデータは失敗だったということで、また干渉方法を変えて君に別アプローチを試みることにする。
成功しても、失敗しても、この文章を読んだという記憶が残ることはおそらくないはずだ。君は今円環の外にいるから。
だが願わくばこのデータが君のなかに侵入することでなにかが変わればいいと思っている。私はそれを願っている者だから――哀れな君を救いだそうと思っているんだよ。
君に教えてあげよう。
この世界は君の自由にならない。
この世界は君のための世界じゃない。
この世界の主人公は君じゃない。
(この世界は、オレの自由に、ならない)
ぼんやりと声に出さずに読む。テキストウィンドウに表示されたオレの思考がなんとも間抜けだ。
「つまりオレは――自分で未来を選ぶことができないのか」
そんなオレに、この世界で生きる価値なんてあるんだろうか。
親にレールが敷かれるどころの話じゃない。
ガラガラと今まで築いてきたものが崩れていく感覚を覚える。いや。もしかしたら築いてきたなにがしかすら虚構でしかないのかもしれない。誰かに作られた過去なのかもしれない。どこの誰とも知らん制作者というやつがすべてなんだろう。オレは一キャラクターでしかない。人間ですらない。そう考えると笑えてくる。
オレがペラペラの、うすっぺらなキャラクターでしかないのなら。
今こうしてものを考えているオレは何なんだ?
オレって、何? オレはどうしたらいいんだ?
どうしようもない質問の答えは、やさしい誰かからのメッセージにあった。
君は君の望む未来を手に入れるべきだろう? そうは思わないか?
出来れば君には――努力をしてほしい。
この世界ふうに――『乙女ゲーム』風に言うのならば――『トゥルーエンド』を目指してほしいんだ。