00 - 主人公はオレじゃない(前)
突然だが、オレの妹は可愛い。最高に可愛い。
ボブカット。大きな瞳。桜色の頬。小動物みたいな体格。勉強は平均よりやや上。運動はできるほう。人の機微に敏いし気遅れせず知らない人間と仲良くなることができる。心は純粋で初心。初恋もまだかもしれない。
注意力散漫なのか、何もないところでつんのめるし人によくぶつかる。忘れ物もするし道に迷うし人の話を聞いていない。料理は壊滅的にできなくて、服を選ぶポイントを教えてやらないと同じような服ばかり着ようとする。
多少の欠点はあるものの、それも含めて世界一可愛い自慢の妹だ。
そう。『この世界』で一番。
◆◇ ◆◇ ◆◇
「……乙女ゲーム? なんだそれは」
理解不能の新単語を繰り返したオレの鼻先に、その単語がでかでかと載った紙面がつきつけられた。
「簡単に言えば、女向け恋愛シミュレーションゲームだな。歴史は結構古いんだぜ? むしろおまえが知らないってのが俺にとっては不思議でならない。ホントにオタクか?」
「視野狭窄な一点突破型隠れオタクだからな。自由にできる金も少ないし」
「ああそうかい。そんな君でも――いや、君だからこそ楽しめるゲーム。それが乙女ゲームだ。女の子が主人公で、イケメンがいっぱい出てくるゲームなんだけどな。女の子が頑張ってツンデレイケメンを落としたり。トラウマ持ちイケメンをカウンセリングして恋に落ちたり。イケメンが主人公の女の子を取り合うわけよ」
「お前、そんなのやって楽しいのか? オレ的には全然楽しそうに聞こえないわけだが」
オレに乙女ゲームなるものの講釈を垂れている人間は、オレの数少ない(コミュ障ぼっちとか言うな、気にしてるんだ)友人である宍尾寅之助。
もちろん男。
男が男にチヤホヤされるゲームをやって何が楽しいのか。甚だ疑問である。だが――オレがコイツに対して「楽しいのか」と聞いたのは、そうじゃない。「男ばっかのゲームやって楽しいのか」っていうことじゃない。
コイツの場合はちょっとばかり普通の男と「楽しい」ところが違う。
シシオは雑誌のふちを手の甲でぱしんぱしんと叩き、「わかってねーなあ」と大げさに肩をすくめる仕草をした。爽やかに微笑む二次元男子キャラクターの顔を叩かないあたりが、典型的オタク行動である。
「ばっか。この作品にしかこのキャラクターはいないんだよ。わかるか? こういう作品に出てくる男子特有の、なんつーの? 妙にドロドロしてキラキラしてエロエロしてる雰囲気っつーの? そういうのが俺は好きなんだっ! 絶対に主人公に惚れるように出来てるチョロいイケメンとかマジで興奮します」
「えーっと、つまるところノンケの男が好きってことだろう? それヤバくないか。シシオ。お前つくづく思ってたけどホモなんだろ? カミングアウトしろよ。今ならちょっと疎遠になるだけで軽蔑したりしないから」
「疎遠になったら引いてるってことじゃねえか。大丈夫だ問題ない、俺はホモではない。腐っているだけだ。男子二人が仲良いとちょっとBL妄想してしまうだけだ。何も問題はない」
「問題だらけじゃないか。オレとお前が仲良いのがBLになるってことじゃないのか」
「違う。それは断じて違うぞ。俺は単なる観測者でしかないわけであって、俺が恋愛だのいきすぎた友情だのの対象になることはないのだ。俺はむしろ世界にいらない存在なのだ。ハッハッハ」
「壊れるな、戻ってこい」
とまあ、こういう変わったやつなのだ。
男のいっぱい出てくるゲームはどんとこいな奴なのである。「女と男がイチャイチャするゲーム」をむしろ楽しく思えない可能性があるほどの。
シシオはいわゆる『腐男子』である。
『腐男子』とは――ヤツが自ら暴露した通り、イケメンだろうがフツメンだろうがブサメンだろうが、世の中の男子という男子が二人組で仲良くしていると恋愛関係に変換してニヤニヤするという――まあ言ってみれば変態である。といっても全世界の腐男子たちがそうなのではないだろう。オレが知っている腐男子がヤツだけなので、非常に偏った認識であるということを補足しておく。
ややこしいのがヤツの性的対象が女だという事実で、自分がBLの対象になるのはアウトらしい。
シシオ見目はそんなに悪くない――むしろ無造作にハネさせた茶髪と猫目と大きな口はなかなか整っている部類に入る――のだが、にじみ出るオタク臭からか卑屈さからか女の子と付き合った経験はまだない。童貞である。ゆえにヤツがノーマルだと言う主張をオレはずっと疑い続けている。ホモ疑惑を取っ払いたいなら取り合えず彼女を作れ。
とはいえ、童貞なだけでホモ疑惑を掛けられてしまうとなればオレも範疇に入ってしまうわけだが。それはそれ、これはこれだ。
シシオとつるんでいるからといって、オレは腐男子ではないしな。童貞=ホモとか、非モテ男兼魔法使いからクレームが来てしまう部類の危険な方程式だ。シシオにエサをやるようなものだ。
「それで、オレに乙女ゲームとやらをどうしろと?」
「ああ、そういえばそんな話だったな」
「おい、おまえが言い出したことだろう」
「つい好きなものへの愛で熱が入っちまったわ」
シシオがパラパラと雑誌をめくってオレに差し出した。ゲームシステム紹介という記事だ。
「あくまでもシミュレーションゲームだからな。ゲーム性は高くないんだ。いわゆるノベルゲームにミニゲームが付随している感じだ。オレもゲーマーじゃないし、『難易度高すぎツンダー』とかいう鬼畜ゲーはやりたくねーしオススメできねーわな。おまえにやってほしいゲームは、パラメータと好感度が数値化されて従来より分かりやすくなってっから初心者向けだと思うな。目立ったバグもないし、さらーっとプレイできてちょっぴり萌え補充できるって感じだ。特に男子が仲良くてキャッキャしてるのがとてもよいと思う。制作陣マジありがとうございます」
「お前の好きな要素を並べたてられてもオレはやる気になれない」
「はっはー。言うね。じゃあお前の好きな要素もある、って言ったら?」
はっ!? まさか。
記事から顔をあげたオレに、ニヤリとシシオが意味深に笑った。
「百合……か……!」
「そうだ。お前の好きな百合が――百合ルートがここにはある。ガチとソフトの二種類だ。オレは震えたぞ。『おいおい乙女ゲームでそこまでやってもいいのか』と。答えは『イエス』だ。販売数が二万五千を超えた。市場の狭い乙女ゲーム界隈でこれは快挙だ。初週で売れたわけじゃない、ジワ売れだというのが、このゲームの特異性を表している。……男もプレイをし、そして仲間に広めているということだ。まさにオレからお前にこうして勧めているように」
感動に打ち震える。
女性向けゲームシナリオに描かれた百合、とはなんと甘美な響きだろう。
「なんということだ」
「どうだ。雅人。やりたくなっただろう」
百円札に火を灯した成金の風刺画みたいな言い回しで、ゆっくりとシシオがオレに淡いピンク色のパッケージを差し出した――。
ゲーム。ゲームか。エロゲのコンシューマ移植版をプレイしたとき以来だな……!