02 - 三者三様
【翔子】
「由美ちゃん! おはよう」
【由美】
「翔子。遅かったのね。来ないのかと思ってたところよ」
由美は壁打ちの手を止め、ポニーテールをしっぽみたいに揺らして振り返った。
【翔子】
「えへへ……。寝坊しちゃった。誘ってもらったのにごめんね」
【由美】
「寝坊ぉー? もう、そんなことだと思った。しょうがないんだから。始めましょ」
由美が腕を回しながら、ラケット片手にコートに入っていく。気合いが入った様子に、翔子は思わず笑ってしまう。
【翔子】
「はーい、由美先生。……? ねえ、あっちって男子用コートだよね。みんなは何してるの?」
女子テニス部の部員たちが男子部員用のコートに集まっている。翔子が指差した方向を見て、由美は顔を歪めた。
【由美】
「ああ。あれ? あれは……、『桐原悠太』よ」
【翔子】
「え、悠太?」
と、そのとき女子部員たちがわあっと歓声をあげた。
【女子テニス部員1】
「きゃー! 桐原くーん! かっこいい!」
【女子テニス部員2】
「見た? 鋭い球! 逆ついたの」
プロの試合でもなかなか聞かない、アイドルに向けるような黄色い歓声だ。耳をつんざくような高音に、面食らってしまう。
【翔子】
「え、えっと、あれ。男子部員だけ試合か何かやってるの?」
【由美】
「違うわよ。私たちと同じ、自主練習よ。新入部員が自由にコートで練習できる時間なんて、朝のこの時間くらいしかないもの。でも、あの子たちは練習しにやってきてるんじゃないの。みんなああやって、桐原悠太の練習を見てキャーキャー言うために来てるの。やんなっちゃうわ。練習にならないんだもん」
【翔子】
「悠太の練習を見てるだけなのに、あの歓声なんだ……」
【由美】
「信じらんないわよね。ふざけてるわ! 私、真面目に練習できない人は嫌いよ」
由美がはっきりと『嫌い』と言うのを聞くのは二回目だった。テニス部の練習が真面目に出来ないことに対する苛立ちもあって強い口調になっているのだろう。
【由美】
「翔子には練習に付き合って欲しくて呼んだの。ホントの理由言わずに誘っちゃってごめんね」
【翔子】
「ううん、大丈夫だよ」
翔子はもう一度だけ、悲鳴の絶えないコートに目をやった。
長めの茶髪をひとつに結った悠太がサーブを打つ姿が小さく見える。ボールをラケットで打つ度に女子部員の間で歓声があがる。たくさんの目に晒されてプレーをしている悠太は、まるで知らない人になってしまったみたいに見えた。
◆◇ ◆◇ ◆◇
【敦志】
「悠太。お前、あいつらいい加減なんとかしろよ。うるさくて敵わない」
【悠太】
「言われなくても分かってるよ。おれだってお願いしてはいるんだよ? でも女の子たちの勢いに押されちゃってさ……。結局いつも通りになっちゃうんだ」
翔子は男子テニス部の部室をノックしようとした手を止めた。中から幼なじみ二人の声が聞こえてきた。喧嘩というほどではないが、言い合いをしているようだ。
【敦志】
「はあ……。なにが『お願い』だ。邪魔だ、迷惑だ、ってきっぱり言ってやったらいいだろ」
【悠太】
「無理だよ。強く言うと泣かれちゃって余計大変なんだから。敦志も体験してみたらいいよ、女の子に泣かれるんだよ? すっごく怖いし」
【敦志】
「だからどうした。泣きたい奴は泣かせとけよ。まともに練習できねーほうが問題だろ。テニスしに来てねー奴は追っ払え」
【悠太】
「それは確かに、そうなんだけど。でも、まともな練習ができないとしても、おれには女の子を泣かせるなんてできないよ」
【敦志】
「ああそうかよ。じゃあ勝手にぎゃーぎゃー言われてろ。おれは知らねえ」
会話は途中で途切れ、急に扉が開いた。翔子が身を隠す暇もなかった。
【翔子】
「あ」
【敦志】
「お前、なんでここに」
【悠太】
「あれ、きみ」
敦志ごしに、項垂れていた悠太と翔子の目が合った。悠太は目を凝らし、首をひねった。
【悠太】
「あ、あのときの……。敦志、彼女と知り合い?」
【敦志】
「は? 何言って――ああ、そうか。翔子、おまえまだ悠太と話してなかったわけ?」
敦志に呆れたように見下ろされ、翔子は縮こまって頷いた。
【翔子】
「う、うん……。なんか悠太いつも女の子とお話してるし、放課後は早く帰っちゃうみたいで出会えなかったし」
【悠太】
「え、ちょ、ちょっとまって。『しょうこ』って、しーちゃん? あっくん、この子、あのしーちゃんなの?」
【敦志】
「あー。あの翔子だ。あっくんはやめろ、気持ちが悪い」
【悠太】
「わー! マジで! しーちゃん久しぶり。会えると思わなかった!」
敦志が渋々頷くと、ぱっと悠太が笑顔になった。興奮したように顔を赤らめ、翔子の手を取ってぶんぶんと振る。今までの大人しそうな印象からは想像つかない、子どもっぽいはしゃぎっぷりだ。
【悠太】
「もー、あっくんが何も言ってくれないから、知らなかったよ。おれと話しようとしてくれたの? ごめんね。おれ話しかけづらかったよね。ね、ね、覚えてる? 入学式の日にぶつかったよね。あの時もごめん! なんかまとわりつかれてさ、女の子たちが掲示板に夢中になってる間に逃げようとしてたらしーちゃんにぶつかっちゃったんだよ。ほんとごめんね。あれからなんともないよね?」
【翔子】
「うん、うん。だ、大丈夫だよ?」
どこで息継ぎをしているのか疑わしい、機関銃のような喋り口調に、圧倒されてしまう。
【悠太】
「よかった! しーちゃん、すごく綺麗になったね。大人っぽくなったし。おれ、全然分からなかったよ」
【翔子】
「えっ? そうかな? 自分じゃ全然分からないんだけど」
【悠太】
「いっつも可愛かったけど、もっともっと可愛くなった」
【翔子】
「あ、ありがとう。あの、悠太もかっこよくなったと思うよ。わたしも、最初は全然気づかなかったから」
翔子がそう褒め返すと、悠太の顔がわずかに曇った。
【悠太】
「うん。そうだよね。おれは、自分でも、すげー変わったなって思うよ。変わらざるを得なかったし――」
悠太の声のトーンが段々と低くなり、最後は独り言のようになった。すぐ傍にいた翔子にしか聴こえなかっただろう。
【敦志】
「おい。可愛いだのかっこいいだの、表面で褒め合うのはそのへんにしとけよ。一時限目の予鈴鳴ってる」
敦志の拳が悠太と翔子の頭を順番に小突いた。耳をすましてみれば、たしかに終わりかけの鐘の音が聞こえる。
【悠太】
「まずいっ! おれ、移動教室だった。先行くよ。またね。しーちゃん」
【翔子】
「あ、う、うん。またね」
バッグを担ぎ、バタバタと走っていく背中をぼうっと見送った。聞きたいことも言いたいこともたくさんあったはずなのに、言えなかった。
【敦志】
「どうした? 教室だからって余裕ないぞ。行こう」
【翔子】
「うん」
敦志に促されて、教室へ歩いて行きながら、翔子は悠太の言葉を思い返していた。
【翔子】
(変わらなきゃいけなかった……って、どういうこと?)




