10 - 好感度上昇、そして見知らぬ男
時が止まっていたのは一瞬だった。
【翔子】
「お兄ちゃん、水川先輩」
止まった時間を再度動かしたのはもちろん翔子だった。オレと水川の間にぐっと身体を割り込ませて、きゅっと唇を引き締めてオレたちを睨んでいる。
待て待て待て。選択肢に驚愕して全力でツッコんでただけで、何も対策が取れてない。
【水川】
「……君は」
【雅人】
「翔子」
一体何を言いだすつもりなのか――、たらりと汗が額に垂れる。というか、この選択肢ってもしかして。
【翔子】
「喧嘩するほど仲がいいって言いますけれど、こんなところで喧嘩しちゃよくないです! するなら体育館裏で、拳と拳のぶつかり合いです!」
【水川】
「は?」
【雅人】
「……翔子、それなんか違うぞ。そもそもこいつとオレは喧嘩をしていたわけじゃない」
単に一方的に絡まれていただけだ。大体拳と拳のぶつかり合いの方が問題になりそうなんだが。そんなに肉体派に見えるのか、美術部と帰宅部の二人が。
【翔子】
「え、違う? お兄ちゃんと水川先輩、すごく険悪そうに見えたんだけど」
【水川】
「ふふふ……」
【翔子】
「み、水川先輩?」
水川が俯き、くっくっくと肩を揺らして奇妙な声をあげ始めた。あー、これは間違いなくツボに入って笑っている。「お前面白いな」(イコール気になります)の合図ですねわかります。どこまでもテンプレな奴め。
【水川】
「ははは、殴り合いの喧嘩ね。面白いことを言うじゃないですか」
【翔子】
(えっと、面白い……? 冗談のつもりで言ったわけじゃないんだけどな)
【水川】
「仕方がありません。まだ言いたいことはたくさんありますが――、雅人君。次は負けませんよ。では、翔子さん。またお会いしましょう」
水川は翔子ににっこりと笑いかけ、キザったらしく髪の毛をさらりと掻きあげてお辞儀をした。帰り際はオレだけに見下すような視線をくれ、再びモーセの奇跡で人の海を割って退場していった。何もかもカッコよくねーぞ、おい。
「はあ……なんなんだ、あいつは」
色々と言いたいことはあるのだが、最初に口から出たのはそんな単純な感想だった。
「お兄ちゃん。水川先輩と仲良くないって、ああいうことだったのね」
「はは。まあな。言った通り、仲良くないだろ?」
「うん、むしろ仲が悪いって言っていいくらいだと思うよ」
「別にオレは仲悪くしたいわけじゃないんだけどな。見てたんなら分かると思うが、大体あいつからつっかかってくるんだ。何でも一位でないと意味がないって考え方をしてるんだよな」
「何でも一位……?」
乙女ゲー(いや、創作物全般に言えることかもしれない)の登場人物なんだから、性格がひねくれてるのも理由があるに決まってるだろ。
「目立ちたいのか、負けたくないのか。まあ、何か理由があるのかもしれないな――」
なんとなく口走ってしまって自分で口を塞ぐ。いかん。これじゃ水川ルートの伏線張ってるみたいじゃねーか。
オレはあんなテンプレイケメンに妹を渡したいって思ってるわけじゃねーんだが!? 俺様な空気がぷんぷんすっぞ!
「ふーん……?」
水川に対する小さな興味の種を植え付けてしまったのかもしれない。翔子は水川の消えていったほうを自然と視線で追っていた。
あんなことを口走らなければ、と思うけれど、それは無理だっただろう。
間違いなく彼女自身――あるいはプレイヤーが、選択肢【水川先輩を止める】を選んだのだろうから。登場人物のひとりでしかないオレにはどうしようもないのだ。
オレには選択肢を選ぶ権利はないんだ。だって、主人公はオレじゃない。
選択肢から逃れられないオレに、一体何が出来るというんだろうか。今さらながら無力さを思い知って、愕然とするのだった。
第一章終わり 第二章へ続く
◆◇ ◆◇ ◆◇
【第一章 好感度結果】
南敦志
☆☆☆☆☆ 0
桐原悠太
☆☆☆☆☆ 5
中田秀彦
☆☆☆☆☆ 0
水川アシュリー
☆☆☆☆☆ 5
伊藤由美
☆☆☆☆☆ 0
東海林静
☆☆☆☆☆ 0
池上雅人
☆☆☆☆☆ 0
「……え、何これ、オレも、『そう』なわけ?」
◆◇ ◆◇ ◆◇
夢を見た。
それが夢だと分かったのは、身体が空中に浮遊していたからだ。世界は暗闇だった。
オレは胎児のように丸くなり、両腕で膝を抱えて宙に浮かんでいる。目は開いているのか閉じているのか分からない。自分の身体なのにあんまり言うことをきかないみたいだ。
心細いことに、へその緒は切れていた。オレはどこにも繋がっていないし、誰にも縋るものがいない。それは感じているのか、もともと知っているのかは分からない。
オレはその心細さが嫌いだった。
暗闇の世界は渦になってオレを巻きこんだ。身体があちこちボールのように跳ねて弾んでどこかへ跳ぶのが分かる。世界は固い。ぶつかって痛むのは身体じゃなくて心だった。
いつしか小さな隙間を見つけた。そこから暗闇に光が漏れている。いや、暗闇がその光に吸い込まれているといったほうが正しいかもしれない。
なぜかオレもそのなかに吸い込まれてしまったからだ。光に目がくらむ。
「雅人が目覚めないって?」
「そう。きっと囚われてしまったんだわ」
「まさかアイツまで被害者になるなんてな」
「どうしようかしら、こまったわ」
「ま、アイツなら耐えられるだろう」
「どうかしら? 確かに倫理感は薄いほうだと思うけれど、そこまで強いと思うの」
「オレはアイツを信じてるよ」
「……なにそれ、狙ってるの?」
「うるへー。男同士の友情ってのは実際あるんだよ。男女はないかも知れんけど」
「腐ってる人に言われると戸惑う台詞だわ……」
「マイ! いいから仕事しろって!」
「はいはい。コンタクトを取る準備をするわね」
どこかで聞き覚えのある声がする。男と女の声だ。オレの名前が出てきているが、何のことだか分からない。変な会話だ。
彼と彼女たちの姿が分からないまま、意識は跳ぶ。
◆◇ ◆◇ ◆◇
次に意識が戻ったとき、オレの足は地についていた。
「まさと」
「……誰だ?」
「おれのこと、忘れちゃった?」
オレの名前を誰かが呼んだ。単語を区切った、独特の拙い話し方は、まるで幼児が懸命に喋っているようだ。だがとつとつとした声はしっかりと声変わりした大人の男のものだった。まるで心の底から揺さぶるような低音。
「忘れちゃったも何も、オレはお前なんか知らないけどな」
「そう……」
寂しそうに声が言う。いや、寂しそうなんて何で分かったんだろう。だって、相手の心が手に取るみたいに分かるんだ。
違う、オレの、オレ自身の身体が寂しい寂しいと震えている。なんだ? 何が起こってるんだ。
相手の心にオレの心が感応しているのか、それともオレの心を相手が反射しているのか。
「忘れちゃ……いけなかったのか?」
「……それは、おれにはわからない」
「いや、忘れちゃいけない、やつだった、ような気がする」
「おれのこと、忘れたほうが、まさとは楽だったのかもしれないよ」
「は? どういうことだよ」
「おれがいるからまさとは苦しかったのかも」
ぼんやりと、はっきりとしない視界に相手の姿がやっと映った。ピントがまったく合わないから、顔ははっきりと分からない。なぜか、懐かしい。
涙が出てくる。それは久しく感じていないものだった。冷え切った部屋の暖炉に火が灯ったような感覚。あるいは乾ききった砂漠に雨が降ったような感覚。
「そんなこと、言うなよ。そんなわけないだろう」
「まさと、会いたい。会いに行ってもいい?」
「何で会いに来ないんだ。何で会えないんだ?」
手を伸ばすと触れられそうな位置。思わず相手に手を伸ばした。同じように相手の手が伸びてきて、大きな手のひらがオレの手を掴んだ。
「だって――」
確かに掴んだのに、ぶつりと意識は途切れ、あいつの感触が霧散するみたいにするりと手から抜けていってしまった。
「待て、消えるな」
◆◇ ◆◇ ◆◇
次に目が覚めた時、オレは学校の屋上にいた。作り物みたいな真っ青な空が視界いっぱいに広がり、ばさばさと風が吹き付けている。
見知らぬ男が貯水タンクの上に腰をおろしていた。歳は分からないが、十代後半か二十代半ばほどだろうか。腰のあたりまで伸ばした真っ白な髪が風になびいている。
あー、若白髪か? な、わけないよな。
「イレギュラーが起きたんだよねえ」
青白い顔に二対並んだ、ガラスのような目をオレに向けた。『あいつ』に感じたのとはまるで真逆の嫌な感じがじわりと心に滲む。
「イレギュラーって、何のことだ」
「完璧だったんだよ。完璧だったのに、イレギュラーが起こって、完璧じゃなくなったのさ。君もそう」
「オレが?」
「だってそうだろ、君がここにいるんだもん。困っちゃうなー。俺から逃げようとしているってことでしょ」
ニヤニヤとチェシャ猫みたいな笑顔がオレを見つめる。がくがくと身体が震えてくる。
懐かしさや寂しさなんてかわいいもんじゃなくて、全身で感じている恐怖からだった。
これは夢なんだよな、夢なんだから――自分に言い聞かせる。そうでもしないと逃げ出したくなりそうだった。
「ん? どうしたの。すっごい震えてるけど。俺が怖い?」
「……お前――なんなんだ」
「俺? 俺かー、そうだね」
男はうーん、と無邪気な仕草で首をひねり、しばらく考えてから「あ」と嬉しそうな声をあげた。
「俺は神だよ」
ニタア、と男の口が裂けた。ように見えた。
「神、だと……?」
「そう。この世界では、俺が絶対。だから、俺から逃げるものは許さない」
男はぶわりと霧散した。真っ白な、煙のような物体が、風にのってオレの身体にまとわりつく。気体のように見えたのに、身体に触れると驚くほどぬめぬめしていて、触れた先からオレのなかに溶け込むような感じがする。
何か異物がオレのなかに入りこんでいる。吐き気がするほど気持ちが悪かった。
「君のこと、ずっと見てる。余計なこと、しないでよ。俺はなんでも知ってるよ」




