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天狼の巫姫  作者: 利月
二章
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其ノ弐

 釣燈籠の下がった廊下を進み、一際大きな両開きの扉の前に来ると、カゼヤは静かに両膝を突いた。

 主の背後に立ち、挙動を見ているだけで倣わない犬神は、なぜかいまだ人形。

 屈まない犬神にカゼヤは澄ました顔で膝裏に軽く手刀を入れ、両膝を突かせた。朱色の髪が板張りに流れる。したたかに膝皿を打ちつけた犬神には目もくれず、カゼヤは扉を叩いた。一拍置いて、くぐもった老爺の声が返ってくる。

「誰ぞ」

「次期巫女姫、カゼヤにございます」

 答えれば、開(かい)、と返される。言葉どおり、扉が開かれた。

 老爺というにはいささか若く見える、すっきりとした顔立ちの男が立っていた。代々、巫女姫という位に即いた者に仕えてきた一族の長――稜翁(ロウセン)。深く頭を下げて、カゼヤと犬神を招き入れた。

「どうぞ、お入りを。カデナ様がお待ちです」

 カゼヤは立ち上がった。今度は犬神も倣う。刹那、ロウセンがちらりと犬神を見た。気づいたカゼヤが、簀子(すのこ)に上がりながら言う。

「断っておくが、ロウセン」

「はい」

「私は念のため使いの者に聞いたぞ」

「存じております」

「母様もか」

「いいえ」

 答えに、カゼヤはロウセンを訝しげに見た。

「なぜ」

「はて」

 ロウセンはただ、笑う。

「行って、聞かれるがよろしかろう」

 格子戸を横に滑らせ、簀子から広廂(ひろびさし)に入り、障子の前で、カゼヤは立ち止まった。

 透けた物影と人影は、微動だにしない。母と娘、互いが動かない影絵を見ているような一間(ひとま)。先に動いたのは、カデナのほうだった。

「カゼヤか」

「はい」

「犬神もか」

「はい」

「そうか」

 単調な肯定だった。が、どんな感情による間か、障子越しに「入れ」と言われるまで数秒あった。「近う寄れ」と促され、カゼヤはしずしずと部屋に入る。犬神もまた、黙ってカゼヤのうしろを歩いた。

 帳(とばり)はすべて上げられ、カデナは寝台の上に座り、飾棚(かざりだな)にもたれかかっていた。細い管はいまだ腕からいくつも延びており、損なわれたものと回復への時間を否応なく見せつける。

 カデナの手には、神宝の大刀が握られていた。くるりとカゼヤたちに向く。病床の母は少し痩せていたが、眼光は鋭かった。薄く、唇を開く。

「何故(なにゆえ)この母を喰い千切った犬神と共にこの部屋へ来た」

 その問いに批難は含まれていなかった。ただ、返答如何によっては対立が完全なものになると暗に告げていた。カデナは続ける。

「部屋に残すことを考えたか。犬神が勝手な振る舞いをすると考えたか。檻に閉じ込めようと考えたか。しかしその檻が破られると考えたか。あるいは閉じ込めるは不憫に思ったか」

 加速した問いを静めるように、カデナは細く息を吸う。

「どれだ? どれを思って犬神を連れて来た」

 カゼヤは目を伏せた。母は試したのだ。犬神を優先するのか、それともこの母を優先するのか。――何に重きを置いているのか。

 カゼヤは目を開けた。当然のように、答える。

「すべてです。すべての可能性を考えて、共にあれと命じました」

「では私が、ここで犬神を殺す術を掛けることも考えたか」

 切り返され、カゼヤは詰まる。ぐっと、左手だけがこぶしをつくった。

「はい。ですが」

 顔を上げて、毅然と言う。

「母様に私の犬神を捕らえることはできません」

 憚りのない断言にも、カデナは眉一つ動かさなかった。

「それは私が敗れたからか」

 静かに問う。

「それもあります。しかしそれ以上に、私が」

 すっと、短く息を吸い込む。最初からの決意を、告げた。

「犬神に害なすこと、あるいは犬神が害なすことを、許しません」

 カデナは抜刀した。

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