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天狼の巫姫  作者: 利月
五章
24/32

其ノ伍

 掻き消された音は、身体が裂かれた音だった。

 白王の尻尾は、カゼヤの左脇腹に食い込んでいる。

 しゅる、と尻尾を抜きながら、白王は言った。

「それでも」

 抜き出した雪白の尾の先端は、鮮紅。朱墨を吸った筆に似たそれから、幾滴も血が滴り落ちた。

「アレはオレに、自分の命を捧げたぜ?」

 ふさ、と血に濡れた尻尾を片手で巻き上げる。白王の細い指も、血に染まった。

「使い切ってくれと」

 その血を、赤い舌先が攫う。粘着質な音を立てて、唇を舐め上げた。

「神の思し召すままにと」

 ニィ、と口角を上げて、白王は笑みを浮かべた。

「オレとアイツは同じさ」

 首を絞められ、脇腹を穿たれ、冷や汗を垂らして苦しげにもがくカゼヤを、白王はただ、見下ろす。

「人でもない。獣でもない。人のために存在しているわけですらない」

 ビッと尻尾を勢いよく振って血糊を落とし、侮蔑に満ちた眼差しで見下す。

「なのにどうしてアンタが偉そうな顔をするわけ?」

 痛みのあまり飛びそうになる意識を、唇を噛むことで繋ぎ止めながら、カゼヤはゆっくりと口を開いた。

「私は……」

 脳裏に浮かぶのは、犬神。確かに犬神は、主、と呼んだ。そして。

「あいつを、愛すると決めた……」

 殺せと言え、とも言った。

 ――それでも。

「絶対に」

 カゼヤは痙攣しながら頭を持ち上げて、白王をまっすぐに睨み上げた。

 決めてしまったのだ。

「見棄てぬと決めた!」

「じゃあ聞くけど」

 覆いかぶさるように、白王はたたみかけた。

「アイツにとって、殺すことのほうが愛されることなんかよりもよっぽど幸福だったら?」

 蔑視そのものの瞳で、カゼヤを見返す。嘲笑が零れた。

「いい加減気づけよ。――分不相応だってことに」

「だから何だと言う」

 今度はカゼヤが覆いかぶさるように、白王を遮った。きっぱりと、不敵な笑みさえ浮かべて、続ける。

「それが何だと言う。分不相応だと? ――私はあいつを選び、あいつも私を選んだ」

 ぐっと、力を込めて立ち上がろうとする。鎖が鳴り響き、毛並の渦が鼻から口からなだれ込んだ。膝皿を浸す血海で、体が真横に滑る。それでも、カゼヤは叫んだ。――己の正しさを確信して。

「侮るなら、あいつが私から離れてからにしてもらおうか!」

 ドッ、という貫通の音が、突き抜けた。あたかも、その確信を捻り潰すような、凶暴な衝撃だった。

「そうやって」

 根元まで食い込んだ尻尾が、カゼヤの体から引き抜かれる。ぞぶり、と鮮血を含んだ尾が枝垂れた。白王は薄く笑う。

「自分に言い聞かせて? 哀れなことだな?」

「……かっ……」

「愛したから選んだわけでもないくせに」

 見下し、吐き捨てる。侮りと嘲りが、口と鼻から同時に笑い声となって漏れ出た。

「アンタに犬神は、過ぎた代物だよ」

 激痛に目を見開き、逆流してくる血をただ唾液とともに吐き出していたカゼヤは、くっと唇を引き結んだ。

「……それでも」

 罪人のようにうなだれたまま、紅(あか)が伝う蒼い唇をうっすらと開いていく。

「それでも、決めたんだ」

 確かに。

 愛ゆえに選んだわけではなかったけれど。

 憐憫と贖罪から始まった関係だったけれど。

 ――それでも。

「……私が」

 愛すると。

「私が天狼の巫姫だ!」

 頭(こうべ)を上げて、意地のような矜持を叩きつける。

 ――誰がかの犬の命を預かっているのかを、知らしめるために。

「あの犬の前に立つのは、この私だけだ!」

 瞬間噴き出した音は、草でも刈るような音だった。



 灰色の夜は音もなく降りてくる。

 月明かりはいまだなく、お互いを薄闇の中に見ているようだった。

 やがてシナノは、一歩下がった。

 道を譲るかのようなその仕種に真意を計りかねて、犬神も一歩下がる。シナノは目を伏せた。

「あなたたちは、結びつきが強いのね。でも、早く行ってあげないと、糸が切れてしまうかもしれないわ」

 遠い場所から己と主を見てきたようなその物言いに、犬神はさらに眉根を寄せ、距離を取る。

 シナノは背を向けた。そうしてゆっくりと、目を開ける。囁くように、忠告した。

「離れていくときは、離れるから。――獣も、人も」

 犬神はシナノの背を見つめる。が、シナノは口を閉ざしたまま、それ以上何かを言うことも、振り返ることもしなかった。

 警戒しつつも、犬神は辻をそっと横切った。立ち止まり、山吹色の後ろ姿に問いかける。

「願いを叶えてくれたから、気に入られたかったんか?」

 少し歪(いびつ)な、しかし当然な因果関係の推測は、シナノが首を左右に振ったことで否定された。嘆息の吐息混じりに、シナノは答える。

「たぶん……違うと思うわ」

 なぜか、確信を持った口調だった。振り返らない少女の背中を見ていた犬神は、ついにふいと視線を逸らす。

「よく、分からんな。人間は」

 言って、犬神も背を向けた。もはや警戒する価値もないというように、再び轟きの風音を巻き上げて飛び立つ。

 追い風が、シナノの波打つ髪を揺らし、頬を隠す。やがてそれは収まり、シナノはゆっくりと振り仰いだ。

 上空を駆けるは、天の狼。

 その迷いのなさは、先の宴で見た、彼の主のまっすぐさに、よく似ていた。

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