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天狼の巫姫  作者: 利月
四章
18/32

其ノ参

 迎賓館から宮城へ延びる回廊を突っ切り、城に入ったところで、カゼヤは突然壁際にもたれた。荒く呼吸を繰り返す。やがて崩折れるように壁に背を預けたままズルズルとへたりこんだ。主の豹変に、犬神は思わず立ち止まる。が、駆け寄ることも膝をついて覗き込むこともしなかった。ただ、見下ろす。カゼヤもまた、助けを求めようとはしなかった。

 はっ、はっ、という浅い息づかいを抑えるように、心臓の上をつかむ。苦悶にゆがんだ表情のままで、立ち上がろうとした。

 震えた膝で己の体重を支え、壁に爪を立てて伝い歩く。しかしすぐに手は壁に届く前に空(くう)を掻き、支えを失った体はいとも簡単に前へと傾いだ。転(まろ)ぶ、――その刹那。

 トンッと、カゼヤを受け止める体があった。

「どーした、主?」

 己の胸にすっぽりと収まったカゼヤを見下ろして、犬神は悠々と尋ねた。

 カゼヤは答えない。口を開く余裕もないようだった。犬神は反応のないカゼヤをからかうように、てのひらで後頭部を支え、その長い髪に指を通した。スーッと、髪先に向けて持ち上げるように梳く。瑠璃より深い青の流れが、指先からサラサラと零れていった。

「……何をしている」

「お?」

 腕の中で上がった詰問口調にも犬神は省みず、いたずらっぽく口角を上げた。

「意識はあるようじゃな」

「離せ」

 弱々しい声だったが、語気だけは強かった。カゼヤは犬神の胸をこぶしで押す。その手首を、難なく犬神は取った。

「じゃが、熱がある。それも、かなり高い」

 言って、カゼヤの細い手首を親指でまさぐる。

「加えて脈も速い」

 さらにコツンと額を合わせ、カゼヤと目を合わせた。愉(たの)しげに、笑う。

「相当つらかろ?」

 カゼヤは問いには答えなかった。薄く唇を開き、呼吸音を殺して酸素を求める。フッともハッともつかぬ笑い声を漏らして、翠の瞳を覗き返した。

「要らぬ心配だ」

 言い終わるや否や、カゼヤは合わされた額に思いきり力を入れた。ゴッ、という衝撃音が響くほどの強烈な頭突きを食らった犬神は、思わず後方へたたらを踏んでしまう。構わず、カゼヤは続けた。

「忠義に厚くて結構だが、これは病でも毒でもない。単なる――成長過程だ」

「セイチョウカテイ?」

 聞き慣れぬ音(おん)に、犬神は反芻する。カゼヤは苦しげに目を閉じて頷いた。瞼の上を、汗が伝う。

「子を成せる身体になろうとしているのだ」

 自然現象でも説明するかのような無機質な答えに、犬神はしばし目を見開き、幾度かまばたきを繰り返した。カゼヤは目を開ける。

「本来、成人の儀式はもっと早くに行われるはずだった。ところが、犬神降ろしで私も母様も負傷し、延期になった。それで成人の儀式と成り変わりが重なったのだ」

 犬神を軽く押して、カゼヤは歩き出す。その足元は、いまだおぼつかない。

「成り変わりは、この世に生を享けて十三年と六月(むつき)を過ぎたころに起こる、激しい体力の消耗を伴う成長過程の一つだ。早ければ、最短半日で完了する」

 ふらつきながら、歩を進めていく。それでもカゼヤは、背中に向かって言い切った。

「おまえが気づかうようなことではない」

「長ければ?」

 犬神の素早い問いに、カゼヤはピクリと立ち止まる。三歩ほどの距離を詰めることなく、犬神は重ねて問うた。

「成り変わりとやらに食う時間が、長ければ?」

 カゼヤもまた、振り返って犬神を見ることはなく、やはり淡々と数字を答えた。

「記録の上では最長七日。平均して、三日前後だ」

 言って、再び歩き出す。片手で壁をつかむようにして己の体を誘導していくが、太腿全体がピリピリと痙攣を起こしてうまく指令が伝わらなかった。もはやよろめくどころか足を動かすことさえ苦行になりつつある。それでも、カゼヤは部屋に向かって歩き続けた。

 犬神はスッと、一歩踏み出した。三歩以上、五歩未満の距離を、無言かつ敏速に詰めていく。

 そして犬神は、いつかのように、カゼヤの膝を掬い上げた。

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