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天狼の巫姫  作者: 利月
四章
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其ノ壱

 優美な楽の音(ね)が響いている。雅なる旋律が流れ、粛々とした空気に洗われていく。銅鑼が鳴り、歓声が湧き立った。

 宮城から出てきたのは、一人の女性――現巫女姫。続いて現れたのは、少女といっても過言ではないくらいの、幼さを残した次期巫女姫。途端、見上げていた人々の歓声がさらに大きくなり、拍手まで湧き起こった。うねりを上げて、祝福の波が少女を押し包む。

 現巫女姫が座したその手前で、少女は跪いた。頭上から腕まで藤のように垂れ下がった玉釵(かんざし)が、澄んだ音を立てて揺れる。額づいた少女を見下ろして、現巫女姫が指先をそろえた右手を軽く上げた。瞬間、水を打ったように静まり返る。神託が、下った。

「第十三代神凪(かみなぎ)、伽薙那が一女、加世邪を、成人したものと認め、第十四代神凪の継承者とする。その証として、ここに、黄金の冠(きんのかむろ)と第二(ふたつめ)の名を授ける」

 けして大きくはない声だったが、その神託は染みるように渡った。巫女姫に代々付き従ってきた側近が、深紅の天鵞絨(びろうど)が張られた台を捧げ持ってくる。台の上には、燃え盛る炎を象った黄金(きん)の冠が輝いていた。現巫女姫の白い手が、冠に伸びる。

 額づいたままの少女の頭頂部に、冠が載せられた。――戴冠。そして現巫女姫は、娘に新たな名を告げた。

「汝、加世邪――第二名(ふたつな)を、天狼の巫姫(てんろうのひめ)と号する」

 少女が立ち上がった。頭上には金烏(きんう)の冠、枝垂れた玉釵からは鈴の音を響かせる。幾重にも重ねられた衣と胸の下で締められた帯は瑞兆の色合い、心の臓の上には八稜鏡(はちりょうきょう)が掲げられていた。

 ――神を薙ぎ、神と和ぎ、凪の世を神と共に歩む者。

 目を、開ける。映るのは喝采、歓喜の轟き。しかし成女となったカゼヤがまっすぐにとらえたのは、主の晴れ舞台を興味なさげにもしかし見てはいる、朱色の髪の犬神、ただ一人だった。



 天を統べる狼の、さらにその上に立つ者。

 そう新たな称号を受けた主は、大勢の人間に囲まれていた。

 白くまぶしい花籠灯(はなかごとう)、浮き立った華やかな雰囲気、繰り返される言祝ぎの言葉。それらを壁際から眺めて、犬神はぼんやりと立っていた。

 時折、カゼヤの胸元に下がった八稜鏡が反射して、犬神の目を射抜く。それはまぶしいばかりでなく、犬神にとっては破邪退魔、祓われる感覚をも放った。――恐怖はないが、目障りだ。

 そっと、犬神は壁から背を離した。鏡が視界に入らない位置――カゼヤの背後へと回る。

 主は談笑している人間たちの中心で、口角だけを上げて笑っている。取り囲む人間たちの横を何食わぬ顔で通り過ぎ、さりげなく主の後ろ姿が見える壁際に陣取った。鏡は死角に入ったが、代わりに喧騒が近くなる。雑音に目を閉じた。

 ――お聞きしましたぞ。あの犬神を素手で従えられたとか。

 ――わたくしも聞きましたわ。そのときに大怪我をなさったとか。

 えぇ。たまたまこぶしが命中したのですよ。あんなにうまく入るとは思いませんでしたが。大怪我というほどのものではありませんよ。お気遣いありがとうございます。

 ――まぁ、なんて勇ましい。

 ――恐ろしくはなかったのですか?

 ――稀代の呪いの神だったのでしょう?

 えぇ。何とかしなければ、と必死でしたので。

 ――巫女姫はご快癒を?

 ほぼ。もうしばらくは様子見のため安静にしたほうがよかったらしいのですが、これ以上成人の儀式を延ばしたくない、と……。

 ――いずれにせよ、すばらしい決断力と実行力をお持ちでいらっしゃる。これほど勇猛果敢ですと、将来が大変ですな。

 それはまた、聞き過ごせないお言葉ですね。大臣(おとど)には如何様な憂いが?

 ――いや、失礼。なに、婚儀の相手が定まらぬやもと思いまして。

 それはそれは。私の身の振り方は私が決めますゆえ、どうぞお心を砕かれることなく。

 ――これはこれは。もったいないお言葉にございます。

 ――で、そのげに恐ろしき犬神は、今どちらにいますの?

 うっすらと、犬神は片目だけを細く開けた。――他人の興味の晒し物になることは、別段、苦ではなかった。だから主が何と答えるか、見てみたかった。

 カゼヤは笑っていた。口の端を上げて、目を細めて、笑っていた。――まるで表情の無い笑顔。

 その顔のままで、カゼヤは淡々と言った。

「大変申し訳ないのですが」

 何の負い目も感じていない口調の前置きだった。誠意一つ見せず、艶(あで)やかに笑んだままで続ける。

「私は犬神を見世物にする気はありません」

 一刀両断。それ以上の儀礼的な追求を拒む、徹底的な拒否。

 花籠灯がきらきらと光る。あちこちから上流の笑い声とさざめきが聞こえる。まぶしい時間。きらびやかな一間(ひとま)。祝辞も追従も羽のように軽い、虚構と虚飾の世界。

 そこにあって、カゼヤは、はね除けた。――暇潰しの期待にすぎない要求には、応える必要はないと。

 そういうところが。

(バカじゃと言(ゆ)うんに……)

 犬神はカゼヤから視線を逸らし、再び目を閉じた。

 カゼヤを中心とした人の輪は、静まり返っている。話題という繋がりを見失って、人間は脆くなったようだった。――しかし。

 つと、白い手が犬神に向いた。

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