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天狼の巫姫  作者: 利月
二章
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其ノ肆

 格子戸を閉めるなり、カゼヤは犬神に向きなおった。

「おまえは部屋に戻ってよいぞ」

 言うが、犬神はカゼヤを見上げたままだ。そうして静かに腰を下ろす。――人形に成る気はないらしかった。

「ついてきたところで不快な思いをするだけだぞ? 祀る際に、邪気あるものを退ける封を施すからな」

 重ねて言うが、犬神はカゼヤを見たままだ。ついてゆくとも戻るとも、まして根拠を言うこともない。カゼヤも犬神を見据えたままだ。やがて目を伏せ、頷いた。

「分かった。だが、気分が悪くなっても知らんぞ」

 真剣に忠告したとき、格子戸が開いた。ロウセンが梓箱に収められたトツカノツルギを捧げ持ってくる。一礼して、箱を恭しく差し出した。

 カゼヤは蓋を持ち上げ、中を検める。鮮やかな深緋(こきひ)の絹を下敷きにして、神宝の大刀は埋もれていた。

 漆黒の鞘に散りばめられた、螺鈿の細工。黒地の柄(つか)には金の紋様が彫り込まれ、先端には玉(ぎょく)が飾紐で繋がれている。

 刀を鞘から少しだけ抜き、確かに神宝の大刀であることを認めて、元あったように戻した。

「ご苦労。――では、奉刀(ほうとう)に参る」

 言ってカゼヤは梓箱を捧げ持ち、犬神を引き連れて廊下へ出た。

 背後で静かに、扉が閉まる。重く、厳かに錠の下りる音が上がった。

 まっすぐに、カゼヤは廊下を進んでいく。犬神に体を返したときと同じように、体で扉を開け、階段を下り、地下祭宮殿に辿り着く。迷いなく祀宮廟へと足を踏み入れた。ボッと、篝火が照らす。

 薄繻子の御簾に囲われて、祭壇が浮かび上がっていた。パチ、と御簾の奥で火の粉が舞う。カゼヤは片手で犬神を押しとどめて、その場に伏すよう合図を送った。おとなしく、不満げな様子もなく、犬神は座る。ついでに尻尾も体に沿わせて丸めておいた。

 カゼヤは両膝を突き、両手で刀を捧げ上げて、一礼した。そのまま膝で進み、梓箱で御簾を押し出すように掻き分け、今度は深めに一礼する。神樹の眷属の樹でつくられたという祭壇に載せ、ただちに御簾から身を引いた。

 踊るように、封を施す。

 まず右腕を胸の前に持っていき、勢いよく横へ払った。切ったかすかな風が、衣を通して傷口に叩きつけられる。びくり、と痛んだ。おくびにも出さず、左腕も同様に切り払い、両てのひらを返して軽く指を握り込む。たたむように両肘を折り曲げ、コツンとこぶしを合わせた。

 御簾――その奥の祭壇――神宝の大刀を見据える。

 やがて目を閉じ、鼻から息を吸って、口から音を立てぬようゆっくりと吐いた。しばし梓箱の中のトツカノツルギを瞑想してから、合わせたこぶしに力を入れ、ぐっと摺り合わせる。そうして散らすように、指の間を広げて両手で半円をえがき、その勢いのまま指をそろえて床に突いた。

 地に額づく。三秒拝し、左足から立ち上がった。くるりとうしろを振り返る。

 犬神は、平然とした表情で微動だにしていなかった。だがよく見れば、何かに耐えるように奥歯を強く噛み締めている。

 それを見やって、カゼヤは歩き出した。祀宮廟を出、地下祭宮殿を後にし、階段を上る。ようやっと部屋に辿り着いて、呆れたように再びうしろを振り返った。

「――これで」

 声は、犬神のもの。しかし振り返った先に犬神の姿はなく、カゼヤはバッと前に向きなおった。

 帳の上がった寝台に、朱(あか)の髪が広がっていた。寝そべる姿は人形の犬神。頬杖をついて、こちらを見ている。その顔には、優勢の笑みが浮かんでいた。

「いつでも破棄できるな」

 口が裂けた犬のように歪(ゆが)んだ笑顔を張りつけ、カゼヤを見る。その顔のままで、クッと噴いて続けた。

「笑いが止まらんぜ」

 言って、弾みをつけて寝台から身を起こす。

「刀を持ってないアンタなんて――」

 言い終わらぬうちに、小さな影が矢のように飛び込んできた。瞬間、犬神の視界が、赤く弾けた。



 カデナは銀の器に入った水を一気に飲み干すと、傍らに控えた代々の側近を見た。

 側近は窓辺に立ち、白く煙(けぶ)った下界を憂えた顔で見下ろしている。今にも溜め息をつきそうなロウセンに、カデナは先に息を吐いた。

「思い悩んでいるな? ロウセン」

 問えば、消沈した声で「はい」と返される。カデナはくすりと笑い、窓を見やった。視点が違うため、ロウセンと同じ世界を見ることはできない。しかしカデナは、下界に広がっているであろう街並みを見た。

「案ずるな」

 その力強い声に、ロウセンはカデナのほうへ向きなおった。現巫女姫は、口元にうっすらと幸福そうな笑みを浮かべている。しかしロウセンはうつむいた。

「ですが……」

 弱々しく、憂いを口にする。

「恐ろしく、危ないことでございます」

 視線を伏せたままだったが、ロウセンは断言した。

「あのような、互いが互いを支え合うような関係では、早晩崩れましょう。巫姫(みこひめ)と犬神は、対等であってはならないのです」

 熱のこもった憂いに、カデナはあっさりと「そうだろうな」と頷いた。そのあまりの呆気ない同調に、ロウセンは批難の眼差しを向ける。

「ならばなぜ……!」

 詰問され、カデナは街並みを眺めたまま答えた。

「荒涼たる道を進むと決めたは、私の娘だ。そしてあれが供に選んだのは、神だ」

 言って、自信ありげにロウセンと視線を合わせる。口の端を上げた。

「何の不足もあるまい?」

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