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天狼の巫姫  作者: 利月
序章
1/32

其ノ壱

 そこは、しんとした地下だった。

 篝火がなければ真の暗闇、冷たい土の気配しかしない、孤独を具現化した場所。

 中央に座するは大樹。とぐろを巻いたような太い幹には、穢れを祓うための紙縒(こより)が締められていた。樹高はそれほど高くはなく、神樹と呼ぶにはいささか繁栄さを欠いていたが、幹より伸びた無数の枝が、子を誘なうように地面と水平に手招きしていた。

 パチ、と篝火の中の炎が爆ぜる。

 樹の手前、土の下には、狼に似た一匹の犬が首だけを出して埋められていた。

 この犬は神樹のための供物にして、神を降ろすための依代(よりしろ)でもあった。

 ――この犬は、餓死寸前であった。

 飢えきった喉、土の下に隠れた骨と皮ばかりの体、もはやまとわりつくだけとなった生気のない毛並(けなみ)、極限にまで放置された命は、ただ、眼光だけが鋭い。

 飼われていたわけではない。いつだったか、野良として生きていたとき、宮城(きゅうじょう)の人間によって半ば攫われるようにして埋められた。

 ――そうして、今。

 唐突に始まった虐げによって、犬は命を終えようとしている。

 飢えという虐げ、飢えていると知っていながら見つめ続けるという虐げ、人語を解(かい)せるならば、問うたことだろう。なぜさほどに憎むか、と。

 不意に、犬を見つめ続けていた女が立ち上がった。女は巫女の装束を着ており、女のうしろには、十三(おとな)を迎えたばかりの娘が控えていた。

 娘もまた、巫女の装束に身を包んでおり、これから終わる犬の命が、ただの葬送ではないことを物語っていた。

 ――それは、狩りの仕方を教える雌獅子のようで。

 これもまた、神降ろしの儀式を「見せる」ものだった。

 立ち上がった女が、ゆっくりと犬に歩み寄る。その手には、蓮(はちす)の葉に盛られた肉片が載っていた。

 今しも土に倒れそうだった犬の頭が、かすかに上がる。飢えてなお働く嗅覚が、犬の鼻を本能的にひくつかせた。

 ――欲しい、と思う。

 その一つの欲求は、他の欲求をも喚(よ)び起こした。体とともに埋められていた生への執着が、一片の肉によって次々と起こされ、興されていく。

 水が欲しい。

 その肉が欲しい。

 ここは窮屈だ。

 動けない。

 動きたい。

 前脚を掻く。

 剥き出しになった眼球が肉を追う。

 ――寄越せ。

 寄越せ。

 欲しい。

 肉を持つ、女を追う。

 欲しい。

 白い手。

 ホシイ。

 やわらかそうな指。

 なぜ。

 その手がこの体を埋めた。

 吠える声を無視して。

 土をかけ、見下ろした。

 バチッ、と篝火が爆ぜた。

 ピクッ、と少女が動いた。

 犬は、食いついた。

 ――否、食いつこうとした。

 肉に。女の、指ごと。噛み切ろうと。

 しかし、それは。

 スラッ、という音と同時に、断ち切られた。

 女は神宝である大刀(たち)を抜くなり、その白刃を犬の首に叩きつけた。

 痩せ細った首、しかし確かな肉と骨の感触。振り切るように、粘つく“生”を切断していく。

 犬の血が飛ぶ。

 女の頬を濡らし、衣を染め、指に絡みつく。

 ――呪いのように。

 刹那。

 犬の首が、飛んだ。

 飛び。そして。

 少女が立ち上がった。

「母様っ!!」

 犬の、首が。女の、腹を。

 喰い千切った。

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