2.産まれた子馬は転生者
ドサリと、私が産み落とされたのは、厚く積まれた藁の上だった。
衝撃は思ったよりも鈍く、代わりに身体の奥まで響く重さだけがあった。
まだよく発達していないのか、視界はひどくぼんやりとしている。
輪郭は溶け、色も曖昧で、ただ大きな影が動いているのがわかるだけだ。
身体を何かに舐め取られる感覚があって、少しだけくすぐったい。
ボソボソと聞こえる、意味のわからない音。
言語のようで、そうではない。
それに混じって、濡れた身体を拭く生き物の影が二つ、忙しなく動いていた。
意識がはっきりとしてきたのは、本能に導かれるまま、震える脚で立ち上がり、
温かいものを口に含んだ後だった。
甘くて、濃くて、生きろと言われているような味。
――私は、誰?
それが、私の最初の思考だった。
馬だ。
自分の三倍、いやそれ以上はあるだろうか。
大きな馬が、私の頭を舐めていた。
真っ黒で澄んだ瞳。
夜を切り取ったような毛並み。
その視線には、不思議なほどの焦りと、押し殺しきれない安堵が混じっている。
彼女は、この上なく愛おしそうに私をのぞき込んでいた。
落ち着いて、少しだけ見えるようになってきた目で周囲を確かめる。
視線を下に落とせば、そこには小さな蹄が二つあった。
……蹄?
理解する前に、後ろを見ようとして、見事にバランスを崩す。
コロン。
ドフ。
藁がやわらかく受け止めてくれた。
どうやら私は、立つのが下手らしい。
そのまま、何が何だかわからないまま、再び眠りに落ちてしまった。
次に目を開けた時は、
パチリ、と音がしそうなほど、清々しい目覚めだった。
鳥の鳴き声がする。
外からは、ガタガタ、ドンドンと忙しない音。
――ブルルル――
――ヴィヒヒヒン――
低く、腹に響く鳴き声が近くで返ってくる。
明るくなってから改めて見回してみれば、
私のいる場所は、小さな部屋だとわかった。
下半分は木の板、上半分は鉄格子のようなもので囲まれている。
床一面には藁が敷き詰められていて、夜に見た大きな馬が、その中を落ち着きなく歩き回っていた。
ガラガラ、と音がして、部屋の扉が開く。
現れたのは、人だ。
私の方を見て、ニコッと満面の笑みを浮かべる、おじいさん。
手には草の束と、水の入った桶を持っている。
知らない生き物。
けれど、不思議と怖くはなかった。
母親らしき馬が警戒することなく近づいたのを見て、
私はゆっくりと立ち上がり、よろよろと歩み寄ってみる。
おじいさんは、母馬に不思議な発音の言葉で話しかけながら、
その首筋を軽く叩いた。
それから、しゃがみ込んで、私に向き直る。
ワシワシ、と遠慮のない手つきで頭を撫でられた。
……知らない人だ。
けれど、嫌ではない。
小さな蹄が四つ。
人間にはない、長い首。
自分の意志でピコピコと動く耳と尻尾。
そして、母馬譲りの、夜を切り取ったような真っ黒い毛皮。
私は、馬として生まれたらしい。
それでも、ひとつだけ確かな感覚があった。
私は、かつて人間だった。
日本という国。
平凡な女子高生。
そうだったはずなのに、名前も、家族の顔も思い出せない。
残っているのは、「人間だった」という感覚だけだ。
――フルル――
草を食べていた母馬が、じっとしている私を心配したのか、
首筋をぺろりと舐めてくれた。
答えるように、小さく嘶く。
そのまま本能に従って、再び乳をねだった。
……生きていこう。
人間の記憶こそあれど、私は馬には違いない。
どんな一生になるかはわからないけれど。
死んでしまうよりは、ずっといいはずだ。
……でも、ちょっと待った。
え、待って。
馬ってさ、普段なにして生きてんの?
※ストックがある間は予約投稿で更新していきます。
週に1話から2話の更新頻度の予定です。
書き終わり次第、完結まで毎日更新に移行します。




