14.悪くない馬
その牝馬が来た日、正直なところ印象は薄かった。
育成牧場には、毎年それなりの数の若馬が集まる。
騒ぐやつ、噛みつくやつ、柵を蹴り壊すやつ。
どれも「よくある話」だ。
だから静かに馬丁の横を歩いてきたその牝馬を見たときも
最初に浮かんだのは、
「……おとなしいな」
それだけだった。
「暴れなかったですよ」
手綱を持っていた見習いが言う。
「道中もずっとこんな感じで」
首を高く上げ、耳だけで周囲を探っている。
怯えてはいない。
かといって興奮もしていない。
若馬にありがちな、
“ここがどこか分からない不安”が妙に見えなかった。
「まあ、悪くはない」
そう言っておいた。
褒めるほどじゃない。
だが、問題もない。
歩かせてみると余計にそう思う。
脚取りは素直で、癖がない。
蹄の運びも安定している。
「綺麗に歩きますね」
「ああ。変な癖も出てない」
それだけだ。
速いかと言われれば分からない。
遅いとも言えないが目を引くほどでもない。
放牧地に出しても同じだった。
他の若馬が走り出すと一拍遅れて様子を見る。
無闇に加わらない。
だが、離れすぎもしない。
「慎重だな」
「臆病なんですかね?」
「いや……臆病ならもっと距離を取る」
この牝馬は、
危なそうな場所に行かないだけだった。
数日経っても怪我はない。
擦り傷一つ、見当たらない。
馴致も楽だった。
引けばついてくる。
止まれば止まる。
暴れないし、逆らわない。
「手がかからないですね」
「そうだな」
手がかからない馬は、評価が難しい。
問題がないというのは、
つまり――話題にならないということだ。
調教を進めても評価は変わらない。
「悪くない」
「素直だ」
「壊れにくそうだな」
どれも褒め言葉ではある。
だが、期待の言葉ではない。
「……血は、いいんだよな?」
誰かが思い出したように言った。
「ああ」
「あのステラドルチェの娘だ」
その名前で場の空気が少しだけ変わる。
「じゃあ、まあ……」
「残す理由はあるか」
それだけだった。
派手な動きはない。
息も荒れない。
脚取りも崩れない。
だが同時に
“限界”というものも見えてこない。
ある日の夕方、
見回りの途中でふとその牝馬を見る。
藁の上で静かに立っていた。
こちらに気づくと目だけを向ける。
落ち着いている。
だが、ぼんやりしてはいない。
まるで――
自分がどこにいて
何を求められる場所かを
もう分かっているみたいに。
「……悪くない馬だ」
そう呟いた。
それ以上の言葉は、
この時点では必要なかった。
◇
さてどうするのが正解なんだろ?
※完結まで毎日投稿です。




