2.様変わり
杉下は東京二区の担当に任命されるくらいだから、基礎能力は高いはずだ。小山田からの引き継ぎも、報告書を読む限り順調に進んでいる。
故に、今この時点でエリア統括が出張る必要はないと思うが、杉下は『引き継ぎのチェックを兼ねて、統括として一緒に表敬訪問してください』、と同行を要請してきた。
口実だ、と思った。
本当は、何かあったときに重石として利かせようという魂胆なのだろう。
それでいい。
使えるものは何でも使う。
この業界で、そしてこの会社で生きていくにはそのくらいの周到さが必要だ。わたしだってこの地位に辿りつくには、きれいごとだけでは済まなかった。
騙したり罠にかけたりしたのは、なにも競合相手だけじゃない。社内のライバルだって容赦しなかった。
もし、死んで裁きを受けるというなら罰でも何でも受けてやる。第一そんなことをいちいち気にしていたら、この年齢で今の地位はない。競争社会を生き抜くのに必要なのは、清濁併せ呑むの精神だ。それが処世というものではないか。
いつの間にか、頭のなかは言い訳でいっぱいになっていた。
わたしは頭を振って雑念を追い払い、今日一日の仕事を振り返った。
昼間、杉下と懐かしい得意先を回っていると、何度か「望月さん、なに、そちら娘さん?」などとからかわれた。
そうすると、実際の年齢より若く見られた杉下の表情は、嬉しいのかくやしいのか目まぐるしく変わり、溌剌と輝いた。必要とあらば、むっとした表情で睨み返すことさえあった。
なるほど、これが期待の星たる所以か、と納得した。
杉下には、癖のある得意先を前に素を出す図太さがあるのだ。
正直、一緒に回るまでは、こんな若い女に二区の担当が務まるのだろうかと心配していた。しかし昼間の如才ない営業ぶりを見ていたら、胸を覆っていた漠とした不安は、霧が晴れるようになくなっていた。
今夜は馴染みの天ぷら屋で稚鮎でも奢ってやろう。そこで、担当先の社長の趣味のことなり営業の心得なりをレクチャーできれば一石二鳥、とついさっきまでは余裕の計画を考えていたのだが……。
現実は、ずっと、ホテルの案内図と通りを見比べている。
情けないし、落ち込んでいる場合ではない。
しかし一方には、仕方ない、という思いもある。
なにせ十四年振りなのだから。
それにしても……。
なんという様変わりだろう。
かつて古い旅館があり、小料理屋と立ち飲み屋、スナックが軒を連ねていた、通称、問屋通りの両側は、今では雑居ビルが立ち並び、店といえば弁当屋くらいしかない。
だが情緒がなくなった、などと憂いている状況ではない。
このままだと、晩飯は、稚鮎の天ぷらどころか、のり弁になりかねない。
杉下が焦れ始めたわたしの心を見通したのか、恐る恐るといった感じで
「次長、住所ってわかります?」
と聞いてきた。
「当たり前だろ」
わたしは古川顧問から渡されたビジネスホテルの案内図を渡した。手書きだが、ところ番地も入っている。
古川顧問は、定年後の再雇用もまもなく終了する大先輩で、現在、週に二回出勤して、方々の部署で、相談に乗ったり助言をしたりしている。その、古川顧問から紹介されたビジネスホテルが、紅葉館だった。
かなり安いらしく、わたしたちがターミナルインを定宿にしていることを知ると、
「サラリーマンの卒業みやげにお前らに引き次いでやる」
と言って案内図を渡してくれた。
「そんなに安いんならみんなに教えてあげればいいじゃないですか」と言うと、古川顧問は、
「そんなことして経理に宿泊手当下げられたらイヤだろ? だからずっと、ひとりで使ってきたのよ」
そう勿体をつけた。
東京出張の宿泊手当は、平も管理職も八千円と決まっている。それより安ければ差額は小遣いにしていいが、出た足は自腹、という決まりだった。
紅葉館がある神栖町は、営業エリアのほぼ真ん中であり、JRや地下鉄の要衝でもある。もし本当に、ここに八千円で泊れるとしたら、こんないい話はない。
だが古川顧問によると、経理に目を付けられるような金額だという。だとすると八千円を下回る、ということだろうか。
まだたいした給料を取っていない杉下の懐を考えれば、今回、予約しない選択肢はなかった。
杉下はと見れば、今もスマホと格闘中だった。
「マップナビ、役にたたないだろ。俺もさっきやったんだけど、利かないんだよな」
天空を見上げれば首都高の藤岡ジャンクションが空を覆い、曲がりくねった高架から一般道に降りてくる車列からは濛々と熱気が立ち昇っていた。そして半分以上の車が、ヘッドライトを点け始めている。
林立するビルと、狭い空間に密集する首都高。GPSの電波は、きっと、これで遮られるのだ。
「たぶん、この状況知ってて古川さん、案内図書いてくれたんだろうな」
「東京のどまんなかで信じらんないっすね」
杉下はあきらめてスマホの画面を消し、首を傾げてもういちど案内図を覗き込んだ。
改めて辺りを見回してみると、すっかり変わった町並みにも、ところどころに昔の名残があった。
通りの名前を示す石の道標。
まひるの公園のブランコの脇にある柳。
掘り割りの境界にある木々と、雑草が絡みついた低いフェンス。ここには昔ベンチがあって、よく休憩に使った。問屋の若旦那衆が煙草を吸いにくるのもここで、顔見知りと一緒になると、よく缶コーヒーを奢り合ったものだ。
十四年前は、この辺りの掘り割りは、まだ水量が多くて、一日中、小さな作業船が行き交っていた。その甲板で、年老いた作業員がくわえ煙草で休憩をとっているようすが今でも目に浮かぶ。岸には屋形船が係留されていて、そんな船の周りには魚が集まるのか、釣り糸を垂らす人の姿もあった。
それが今はどうだ。
堀の水は減り、すっかり澱み、切れかかった室外灯の瞬きを映す黒い水面は、まるでタールのようだ。風もなく、空気は、まるで妖気に覆われているように重い。
これでは、ここで憩うなど、発想すら浮かばない。
思い出を汚されたような感覚に気持ちが暗くなった。同時に、足下から蒸し暑さがせり上がり、じっとりと背中に張り付いたシャツの感触が疲れを増幅させた。