第三話 之長上洛
「どうか、近江にご同道あらんことを」
高国は憔悴しきって義稙に願い出たが、義稙は
「断る」
冷たく言い放った。
きょう何度目か知れぬ同じ問答であった。次第に感情に傾いていく両者。高国は言った。
「澄元は大樹にとっても怨敵。速やかに鎮定せよとの御諚は何だったのでございましょう」
「我が過失をあげつらうか」
「そうではございませんが……」
「敵云々を申すなら、余が諸国を流浪していた折そなたはどこで何をしておった。政元に近侍してその執政を支えていたのではないのか」
「それはその……」
「政元は余にとっては敵であった。ひいては政元を支えてきたそなたもまた敵だったということになる。しかし余は武家の棟梁である。手柄のあった者を取り立てるのは我が勤め。それゆえに敵であったそなたも手柄に報いて罪科を許し、重く用いて参ったのじゃ。それを、澄元だけはそうは参らぬなど、我田引水のいかにも虫の良い願い出」
「殺されるかもわらないのですぞ」
「これまで何度も殺されかけておる。死などいまさら恐れぬ」
自棄になって言うのではない。澄元との間で密議が完成しているから余裕があるだけの話だ。
その様子に不審を抱いたものか、高国が途端に目を細めて言った。
「……まさか澄元と通じておられるのではないでしょうな」
真実を指摘されて一瞬こわばる義稙の表情。じっさい義稙の豹変は、高国に疑念を生じさせるに十分であった。十年にも及ぶ君臣の交わりを断つにはあまりに急。
まずいとばかりに割って入ったのは畠山順光。義稙に代わり反論をはじめた。
「大樹に対して無礼の申しよう、お黙りなさい」
「無礼も何もあったものか。命を差し出して戦ったのはおれの被官なんだぞ」
「なにを怒っておられるのです、武士なればこそ土地を守るために命懸けで戦うのは当たり前のことじゃないですか。よしんば大樹が澄元と通じていたとして……」
「やはりそういうことか!」
「まあお聞きなさい。通じていたとして、それを事前に知っていたとすれば、高国殿は戦わずして摂津を捨てたとでもいうのですか。そういう選択があなたにはできたのですか」
「……」
「敵が攻め寄せてきたのだから、どのみち戦う以外なかったのではないのですか。違いますか」
順光の言っていることはたしかに正論ではあった。澄元が上陸したのは高国の分国摂津だったのであり、高国は自身の被官人である瓦林政頼を救うために戦ったのである。高国には澄元と戦う以外に道はなかったのであり、義稙が澄元と通じていようがいまいが、勝てばよかったというただそれだけの話であった。
しかしいくら正しいことでも心情的に納得できるかどうかはまた別問題だ。膝の上で固く握られた拳に、高国の不満があらわれている。
もはや説得は不可能と諦めたのか、高国は
「あとで後悔することがなければいいですな」
悔しまぎれの捨て台詞を残し、少数の供廻りと共に近江へと落ち延びていくしかなかったのだった。
旬日を経ずして入京してきたのは、四国勢の先鋒三好筑前守であった。
応仁の乱後の荒廃した京都で徳政一揆を煽動するなど、之長の過去の振る舞いを知る京童どもは戦々恐々であった。
肥え太った巨躯を無理やり具足に詰め込んだような之長の姿には威厳があったが、これでも以前より丸みを帯びて見える。還暦を過ぎて垂れ下がった頬や瞼に、えもいわれぬ愛嬌を漂わせるようになっていた。
少人数の騎馬武者と共に市中を偵察する之長。
人々は息を潜めて長屋に身を隠し、三好一党の姿が近付いてくるや引き窓をぴしゃりと閉じたのであった。
事前の偵察に続き、満を持して澄元の大軍が入京してきたのは、永正十七年(一五二〇)三月十七日のことであった。その数ますます増えて約二万(ただしエキストラとして地元民が多数含まれていたとされる)、これを引率する馬上衆百騎の軍装はことのほか美しく、沿道に参集した町衆とともに軍列を見物した公家の鷲尾隆康はその華々しい様子を「美麗驚目」と書き記している。
三条御所の前にずらり列を成すのは将軍家への進物を携えたこれも澄元勢。美しいしつらえの太刀や具足櫃、一見してそれと分かる芦毛の駿馬、たかだか二尺四方の櫃を大人二人がかりで重そうに抱えているのは、なかに緡銭の束がぎっしり詰め込まれているからか。
京都に住まう人々は、飢えた他国の兵が市中に流入してきたとき、何が起こるかよく知っている。之長が敢えて煌びやかな軍列や進物の数々を人々に見せつけたのは、将軍家や朝廷の歓心を買うのはもちろん、兵を食わせるに十分な財力のあるを示して略奪狼藉の心配を打ち消し、京童を安心させる撫民の意味もあった。
三条御所に参じた之長は、ところどころ綺羅をあしらった朱色の大紋という豪奢の装束で義稙に謁見し、将軍に対してはもちろんのこと、陪席の畠山順光に対しても、こたびお目通りかなったことに対する謝礼を述べた。
義稙は満足そのものであった。
これだけの財力。そして高国を打ち破った武力。義興が山口に去ったいま、頼みとするは澄元をおいて他にない。高国を見棄てた選択、決して間違ってはいなかったのだと。
義稙は下座にひれ伏す之長に言った。
「ところで澄元はいかがした。いつここへ参るか。早う会って君臣の交わりを深めたいものじゃ」