表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界から忘れられていく彼女と演劇を。  作者: 全数
第一幕 新歓公演編
6/13

第5話 あなたのための

 翌日、放課後になり私は演劇部の部室へと足を運んだ。


「あ……」


 部室扉の前に、久遠さんが立っていた。手には昨日と同じくシャボン玉の拭き具。ふうっと息を吹きかけると、廊下に小さな光の玉が浮かび上がる。


「く、久遠さん」


 呼びかけると、彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。


「……名前ばれてるんだね。私の生徒手帳、拾ってたりする?」


「うん。踊り場で拾って……」


「そ。ありがと」


 手帳を受け取る久遠さんに、私は勢いのまま、鞄の中から原稿用紙を差し出した。私の想いは、全てこの中に詰め込まれていた。


「……これは?」


「台本。昨日の、あなたとのエチュードから思い付いて、一晩で書き上げたの。私版のロミオとジュリエット」


 久遠さんは黙って、それを見下ろした。


「どうして私に?」


「あなたを、ロミオにしたくて書いたの。私と一緒に演じて欲しい」


 一瞬、彼女の目が大きく見開かれた。でも、すぐにかぶりを振った。


「無理。言ったでしょう、私は演劇はできない」


「どうしても……なの?」


「どうしても。少しは調べたりしてくれたんじゃない? 虚構症候群のこと」


「うん。調べて、ニュース記事も読んだ」


「だったら分かるでしょ。私は発症してから7年経ってるステージⅡの感染者」


「ステージⅡ……って確か、虚構症候群の進行度合いだよね」


「そ」


 久遠さんと私は、部室へと入る。彼女はホワイトボードの前でペンを手に取った。


「発症前から末期までステージが5段階ある。Ⅱ期は進行期に区分される」


 調べた限り、綾瀬凛花は末期のステージⅣだったらしい。そのレベルまで進行すると、周囲の人は1時間前に会ったことすら忘れてしまうようだ。


「私に関する記憶は、古い順からどんどん失われてる状態。小学校の友達も先生も、もう私のことを覚えていない人がほとんど」


「……!」


 小学校という言葉に驚く。もう、そんなところまで進行しているの?


 久遠さんは手元のストローを口に付けて噴いた。窓の外にシャボン玉がぶわっと広がっていく。夕陽の光を反射して虹色に輝くそれは、飛ぶとすぐに消えていった。


「このシャボン玉と同じ。ステージⅣの末期に進行するまで、私には時間が残されてない――私に関する記憶はあと二年程度で皆から完全に消えていく。橘さん、あなたも例外じゃない。演劇なんて、やる意味なんてないでしょ」


「やる意味なんて、ない?」


「そ。私が舞台に立ってたのだって小学生の頃だよ。今更立ちたいなんて思わない」


「……う、嘘だよね、それ」


 ぴくりと、私の指摘に久遠さんの方が僅かに揺れた。


「久遠さん、本当にそう思ってるの? 昨日の演劇にブランクがあるなんて思えなかった。舞台には立たなかったけれど、ずっと一人で、陰で演劇の練習を続けてたんじゃないのかな……?」


「……」


 久遠さんは私から顔を逸らした。


「久遠さんは、演劇やりたくないの?」


「……」


 久遠さんは無言のまま、窓の外を見つめている。


「私ね。昨日の空き教室での久遠さんの演技を見て、すっと世界に引き込まれた」


 あそこは確かにジュリエットの部屋のバルコニーだった。


「私は久遠さんの舞台を見てみたいよ。だから、これを書いたの。これ、読んでみて。気に入らなかったら、もう二度と久遠さんを誘わない」


「……自信たっぷりね」


 別に自信があるわけじゃない。私は、世界一面白い脚本を書きたいと思ってる。でも、出来あがったものはいつも歪で、顔を覆いたくなる。皆での脚本の読み合わせの時だって、何を言われるか戦々恐々だ。


(だからこれは自信とかじゃなくて……私の覚悟)


 彼女を――久遠さんを舞台に上げる。中途半端な物なんて出せるわけがない。一公演十五分の短い出し物だ。彼女は原稿用紙をぺらぺらと捲くっていく。私が緊張している中、くすりと久遠さんが笑った。


「な、なんか面白かったかな……?」


 大きな笑いを誘うようなシーンを入れた記憶はない。


「いや、うん。等身大だなって」


「と、等身大?」


「たぶん、橘さん自身がそのまま台詞に映ってるから」


「……それは、そうかも」


 私は顔が熱くなる。


 私の素直な思いをその原稿用紙の束に籠めている。


 久遠さんは最終ページまで目を落とすと、顔を上げた。


「お世辞は言わない。忖度もしない。そういうの苦手だから」


「……うん」


「面白かった。すごく」


 ぐっと、私は手を握りしめてしまう。


(やった……!)


 でも、久遠さんの顔はまだ曇っている。私は理解する。まだ、久遠さんは演劇をする気がない。脚本が面白いだけじゃだめだ。彼女を動かすには、やはり――。


 と、その時である。部室の背後で、扉が勢いよく開いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ