表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界から忘れられていく彼女と演劇を。  作者: 全数
第一幕 新歓公演編
2/13

第1話 演劇と邂逅

「……うん、読み終わったよ。(たちばな)さんの書いた脚本」


 狭い部室の中、私は読み終えたA4の原稿用紙をとんとんと机の上で揃える。読み終えたのは、新歓公演用の短い演劇の脚本だ。原稿用紙は赤字で細かく修正され、脚本家の頑張りと真剣さが伝わってくる。


「ずっと考えて書いたんだね。ただ――」


 読み終えた率直な感想を言わせてもらうと――。


「全然、だめっ!」


 私は、ぐしゃりと原稿を丸めると、隅のゴミ箱へと勢いよく放り投げた。


「ごめん、正直全然面白くない。ねえ、どんな気持ちで私にこの脚本出してきたわけ? 本当にこれを新入生の前で演じるつもり? 新入生が魅力を感じると思う? というか、こんな多人数の高度な演技ができると思ってる? ぜ~んぶ書き直してください!」


 思いの丈を全て吐き出して、私は机の上に倒れ込む。


「まったく……本当に駄目だよ。こんなつまらない脚本を書くようじゃ~……()!」


 脚本を書いたのは、私――橘音葉(おとは)自身だった。


 行われていたのは自分で自分を叱責する下らない茶番だ。


 だめ、全くだめ!


 悩みに悩んで、昨日の夜にようやく完成させた、新歓公演用の脚本。それを今日になって、改めて読み返したけれど、正直全く面白くない! 昨日の夜は確かに面白いものが書けたと思ったのに! 「現代のシェイクスピア降臨!」とか布団の中で一人ニヤついていたのに!


 ぶわりと、窓の外で大きな風が吹く。


 桜の花がばあっと部室の中へ飛び込んできた。窓から外を見れば、グラウンドからはサッカー部の掛け声、吹奏楽部の練習音が流れてくる。どこの部も新入生の勧誘で気合が入っているようだ。


 私立蒼穂(そうすい)学園高等学校――『自主・創造・協働』を理念に掲げる県内でも指折りの進学校だ。運動部や吹奏楽部は県大会常連、部活動目当てでこの学校へは行ってくる生徒も多い。


「いいな~、他の部は……」


 でも、この演劇部は違う。昨年まで三人いた先輩たちは卒業し、今、部員は二年生の私一人きり。


 なんとかして、新入生を部活に誘い込みたい。二日後には、新入生への文科系部活の紹介活動があり、演劇部は20分の公演時間を用意されている。


 その脚本を用意していたのだけれど、破り捨てたのがついさっき! 公演は二日後に迫ってるのだし、もうその脚本を演じればいいのだろうけど――。


「だって、面白くないんだもん……」


 部員が一人ということは、必然的に私が私が主演を務めることになる。書いた本人すら面白いと思えない脚本を、自分で演じるなんて――無理だ。


 ……というか私、脚本を書くのは好きだけど、そもそも演じることはそんなに得意じゃないし。なのに、書いてしまったのは技巧的で難しい役柄だし! 準備間に合わないし! 


「うぁ~どうしよ、どうしよ、どうしよ~……」


 頭を抱えていると、部室の扉がノックされる。


「あっ、は、はぁい!」


 奇声を聞かれてやしないかと、慌てて取り繕った声を出す。


「おいっす。橘、ちょっとだけいい?」


 顔を出したのは演劇部の顧問、仁科(にしな)先生だ。先生は無精ひげを撫で、丈の合わない白衣をずるずると引きずりながら部室へ入ってきた。


「今年の演劇部、君一人だよね」


「あ、はい……」と私は頷く。


「橘も知ってると思うけどさ。うちの高校って部室が不足してるんだよね」


「あ、はい……」


 この高校では続々と新しい部活が認められている。嫌な予感がしてきた。


「それでさ、今ね、女バド部が部室を広げたいって言っててさ」


 仁科先生は、演劇部と女子バドミントン部の顧問を兼部している。この高校の女子バドミントン部は強豪、特に今年の副部長はシングルスで全国大会にも出場経験があり、先生たちからの注目度も高いらしい。


「……」


「んで、職員会議で、部室の見直しもあって。新入生の勧誘がうまくいかない場合、せめて二人部員が入らなければ、部室の継続使用は難しいかなって言われててさ」


 静かに突きつけられた終わりの気配。先生は悪くない。これが学校にとって合理的な判断ということは分かっている。


「……わかりました。がんばってみます」


「うん。いや、俺としても応援したいけど学校側の判断だからな。君の脚本、俺は好きだよ。昨年の『籠の中の鳥』、かなり良かったし」


「あ、あはは……。ありがとうございます~」


 先生が出て行ったあとで、私は大きな溜息を吐いた。


「……『籠の中の鬼』だよ、先生」


 去年の高校演劇県大会で上演した『籠の中の鬼』。タイトルにも深い意味を込めた、大切な作品だった。それを顧問に間違われるなんて、あまりにも――。


「く、や、し~~~……!」


 大声で叫び地団太を踏んで、机に向き直る。


 文句を言ったって始まらない。


 まず私がしなければいけないのは、すっごい脚本を書き上げること。新入生がばんばん入って、部室もそのまま存続させて、先生にも名前を覚えてもらえるような!


「――でも」


 アイデアは私の頭の中にはっきりとある。でも、それを演じられるイメージはまるでない。だって私、演技そんな上手くないし。脚本家としての理想と、役者としての現実。その落差に、何度も何度も押しつぶされそうになる。


 昨年の舞台だって、全力を尽くした。先輩たちは頑張ってくれた。良い講評も貰った。それでも、私の思い描いた理想の演劇からは遠い。


 私の書いた言葉を、誰かの声で響かせてほしい。


 でも、そんな()()がいない。


 結局、原稿は白紙のまま下校時刻を迎えた。鍵を閉めて、人気のない校舎を歩く。もうこの部室にも来れなくなるのかもしれない。長年ずっと演劇部が使ってきた部室なのに。


(止めたくない。もっと演劇を、私は……)


 そう心の中で呟いた、そのときだった。


 ふわりと、視界に舞い降りたものがある。


 ――シャボン玉。


 夕陽を映して、淡くきらめきながら、目の前で弾けた。


(え?)


 なんでと疑問に思いながら、シャボン玉が出てきた教室を覗き込む。


 部屋の中に何個もシャボン玉が浮かび上がっている。そしてその向こう、一人の女子生徒が、教室ベランダの手すりに身を預けていた。長い黒髪が風に揺られている。


(わ、綺麗な子……)


 横顔しか見えないけれど、そう思った。


 彼女の傍らには、ピンク色のシャボン玉の容器。手には緑の拭き具を持っている。


 突然、彼女は夕陽へ向けて、手を大きく挙げた。まるで何かを求めるように。


「ああ、美しい太陽よ。あの嫉妬深い月を殺してしまえ」


 澄んでいて、それでよく通る、玲瓏な声。


 ――それが、私と彼女との出会いだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ