背中を流しましょうか
和信と恒章が帰ると、ずぶ濡れになった彼らを母が出迎えたのだった。
「あんたたち、こんなに濡れちゃって……。とりあえずこれで体拭いちゃいなさい」
母はそう言って二人分のタオルを用意してくれた。二人は礼を言ってそれぞれの部屋に向かった。恒章は濡れた身体をタオルで拭いて、制服から普段着に着替える。少しだぼついたスウェットとズボンだったが、恒章には少し温かく感じた。着替え終わると、廊下の方からコンコン、コンコンと音がする。
「はーい……ってお前か」
「母さんが、銭湯入ってこいってさ」
和信はそう言って恒章に着替えを入れるカバンを戸の取手にかけると、そのまま階下へ降りていった。恒章は頭を掻きながらもそれを黙って受け取り、下着などの着替えを詰めると、同じく階下へと降りていった。
「別に家の風呂でいいのに、かえって風邪ひくぞ」
「二人とも濡れたから心配したんじゃない?」
そして二人は黙って近くの銭湯へ向かう。特にこれと言って話したいことはなくなってしまった。なので二人は無言を貫くしかなかったのだった。
十分もしないうちに銭湯に着いた二人は、番頭に料金を支払って脱衣室へと向かう。恒章はふと隣を見ると、和信の背中が少し大きく見えたように感じた。そんな彼の視線に気づいた和信。
「前より太ったんじゃない?」
「お前が言うな」
着替え終わった二人は、お風呂セットとタオルを持って大浴場へと入った。中は少し混み合っていたので、二人は自然と奥の方の流し場を使い始める。髪を洗い、顔を洗い、身体を洗っていく。そんな中、和信がふと恒章に話しかける。
「そういえば昔さ、たまにここに来て、父さんの背中流したりしたよね」
「そうだな……」
父親と三人で銭湯に来ると、背中を流しあったり、風呂に浸かったりして、最後に牛乳を飲んで終わる。終わった後のポカポカした感じがなんだか心地よかったことを思い出した。恒章は和信に声をかける。
「ちょいと後ろ向いて」
「……?」
首を傾げる和信に、恒章はジェスチャーする。それを見て和信は、何をしたいかを理解したようで、ゆっくりと背中を恒章に向けた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
和信は垢すりにボディーソープをつけて恒章に渡す。恒章はそれを泡立てて、兄の背中を擦った。銭湯でこんなことをするのは十年振りで、恒章は感覚がつかめない。
「大きくなったな」
思わず口に出してしまった。
「誰目線だよ」
笑いながらも和信はすかさず突っ込んだのだった。恒章は和信の背中を一通り懸命に擦った後、垢すりを返した。
「恒章、後ろ向いて」
「ん」
恒章は同じように和信に背中を預けて、ボディーソープをつけた垢すりを手渡す。和信の力加減は、少し豪快なもののとても心地よかった。背中を流した後、いつもよりも少しすっきりしたように感じた。
その後、二人は露天風呂へ入ってゆっくりと浸かる。二人とも温められていくうちに、だんだんと身体の力が程よく抜けていく。そのせいか二人とも同じような惚けた顔をしていた。
「さっきの話。自分で『負け組』って言ってたけど、僕はそう思ってないからね」
「嘘つけ」
恒章は和信にゆっくりと背中を向ける。
「本当だよ。僕に追いつけとは思う部分はあるけど」
「一言余計だな。そういうとこだぞ」
恒章は、和信にバシャバシャとお湯をかけまくった。和信は不意なことに逃げることができず、そのまま被ってしまう。和信は何もせずにそのまま話を続けた。
「高校に入ってから、恒章が羨ましいって思うことはいっぱいあったよ」
「……お前がそう思うなんてな」
恒章は和信の方へ向き直したが、彼の表情が少し硬くなっているように思えた。目線が合うと、和信は悟られまいと少し視線を逸らす。
「ありのままの自分を受け入れてもらえているのが羨ましかった。『凄い人』ってイメージがついちゃって、その期待に応えられなかったらと思うと、とても苦しくて」
「そんなこと言われたら、昔の俺が浮かばれないだろ」
恒章の言葉に、和信は少し気まずそうな顔をして完全に顔を背ける。
「……まあ実際、何事にも向き合わず、和信を言い訳にしてたのは俺だったから、何も言う資格はないけど……」
和信の背に向かって、恒章は言った。
「誰かのために頑張るところ、陰で努力してるところ。それは弟の俺ですら持っていない、東山和信のありのままの姿だと思うぞ。肩書き関係なく好かれているのは、俺も知っているし、みんな認めているから」
和信は横目で恒章のほうを見た。
「そんなんで俺の兄貴が務まるのかい」
「僕の弟もね」
二人は思わず顔を合わせる。お互い挑発したせいか、少し険しい顔をしながらも、その顔がちょっとおかしくなってしまい、笑ってしまった。
「もう少し温まっていこう」
「そうだね」
こうして二人は露天風呂でゆったりした後、身体を拭いて脱衣所へと戻っていった。和信が着替え終わって、入口の休憩所へ行くと、恒章が牛乳瓶を二本持って待っていた。そのうちの一本を和信に渡す。
「これ、こないだのバス代ということで」
「それじゃ、いただきます」
二人は腰に手を当てながら、牛乳を口に運んでいく。そして一気に飲み干すと、回収箱の中に空瓶を突っ込んだ。そして傘を持って銭湯の外へ出ていく。雨はすっかり上がっていた。
二人はしばらくゆっくり歩いていたが、和信はゆっくりと見上げた。
「ちょっと見てみなよ」
そう言って和信が上の方を指差す。恒章も兄につられて見上げてみる。そこには、少しばかりであるが、星が少し瞬いていた。
「空気が綺麗な田舎とかに行けば、もっと綺麗に見られるかな」
「合宿とかやって、みんなで見てみたいね」
恒章は少し苦笑するも、
「俺らだけじゃもったいないかもな」
と言って、先に歩き出してしまった。和信も慌てて恒章の後を追った。
家に帰ると夕飯の用意がされてあり、二人はすぐに平らげてしまう。そうして部屋に戻ると、パジャマに着替えて早く寝てしまったのであった。




