保健室と喫茶店
放課後、恒章がカードゲーム仲間と一緒にカードショップへ向かおうとしていた。隠れて持ってきていたデッキの準備を確認しようと机の中を見ると……、もぬけの殻になっていた。
「おい、俺の完璧なデッキが! 」
思わず膝をつく恒章だった。そのとき、恒章が机の中に付箋が貼ってあることに気がついた。そのメモにはこう綴られていた。
『お前の仲間と宝物は預かった。第一学習室に来い。 Dr.Ac←』
恒章は思わず目を見開く。そして、彼は慌てて机の中をもう一度確認したり、ロッカーなどを満遍なく見渡す。しかし、そのデッキは出てこなかった。落胆する恒章に、メッセージが届く。足立からだった。
『誘拐された。助けて』
「まじかよ」
仲間の危機を感じた恒章は、とりあえずリュックを背負って、急ぎ足で第一学習室へ向かった。入り口に着くと、そのドアを三回ほどノックして入室していった。その刹那、恒章は羽交い締めにされ、身動きが取れなくなってしまった。すなわち、彼の耳元で誰かが囁く。
「おい、東山。覚悟しやがれ」
終わった。高校生活に別れを告げた恒章は、そのまま気絶してしまった。
「っておい、東山? 東山!」
*
「ん……」
見覚えのない部屋で恒章が目を覚ました。カーテンで仕切られたベッドの上で横になっていることに気づく。どうやら保健室のようだった。
「東山くん、大丈夫?」
声の主は、保健室の齋藤先生だった。齋藤先生は、美人すぎる養護教諭として有名であり、全校生徒の注目の的程度ではとどまらず、全国ネットのニュースで学校紹介の放送回のときにネット民が大騒ぎするほどだ。そんな絶世の美女が、何一つ特徴のないモブ的存在と話している。そんな事実に恒章は思わず上気した。
「あなた、急に叫び出して失神したって聞いたわよ?」
「あっ、はい……。すみません」
恒章は齋藤先生に熱を測るように促された。記入簿にクラスと氏名、そして現在の体温を記入していく。
「あら、六組の弟さんの方なのね。そういえば、あなたは部活に入っているの? 」
「入っていないです。部活も見学したりしたんですけど……。なんか性に合わないというか……今はクラスメイトと放課後にゲームで遊んでいます」
「そう」
恒章は齋藤先生に記入簿を渡す。齋藤先生は、その記入簿を見ながら、恒章の顔色を確認していた。少しホッとしたように見えた。
「今日は、お友達にも帰ってもらったわ。一応、先生として注意をしたけどね」
はい。と恒章は答えた。
「あなたも夜遅くまでゲームしちゃだめよ。昨日の就寝時刻が午前三時って遅すぎるわよ。いきなり倒れたのもその影響が考えられるわ」
齋藤先生のその言葉に恒章は何も言えず項垂れた。その後、恒章は念のため一時間ほど保健室で寝てから家に帰るようにと告げられ、ベッドの上で横になった。少しすると退屈になってしまった恒章は、スマホの動画サイトでゲーム実況を見続けていた。
しばらくすると、齋藤先生が声をかけてきた。恒章は促されて、もう一度熱を測ると異常がなかったことから、帰されることとなった。
「先生、ありがとうございました」
「気をつけてお帰りなさい」
恒章は保健室を後にしようとする。すると齋藤先生が呼び止めた。
「これ、忘れちゃダメよ」
そう言って、齋藤先生は恒章のデッキボックスを手渡した。恒章は、先生にお礼を述べると急いで出ていったのだった。
「あれ、東山くん?」
声のした方を振り向くと、そこには中山美空がいた。保健室から出てきた恒章に心配そうな顔をしている。恒章は大丈夫だと伝えると、美空は少し安堵した表情を見せた。
「あれ、南野は一緒じゃないの? 」
「今日は、友達とパフェ食べるんだって」
「やっぱあいつはギャルだな」
そう言って二人は、保健室から離れていく。
「こないだの紙芝居もありがとうね」
恒章は首を横に振った。
「中山さんがすごいと思ったから。あいつとは切り離して考えてくれたから協力しただけだよ」
「東山くんってすごいね」
恒章は少し顔を背ける。美空はそんな彼に対してふふっと笑う。そんなこんなで校門から出ると、美空は駅とは反対方向へ向かった。
「あれ、帰らないの?」
「うん、ちょっと公民館に相談しに。部活立ち上げのことで」
「そっか。そんじゃ、気をつけて」
そう言って二人は、それぞれの道へと分かれていった。
*
恒章は電車で縦砂駅まで行き、とある場所へと向かう。それは友人との思い出の場所とも言って過言ではないあの喫茶店だった。
「いらっしゃいませ、東山さま」
マスターの森井さんが出迎えてくれた。
「アイスコーヒーお願いします」
恒章は、森井さんに注文を告げてカウンターへと座った。ここに来るのは二回目になるが、ゲームの世界に入り浸っていた彼にとっては、落ち着いた雰囲気には少々似合わないように感じた。ふと横目にすると見覚えがある顔があった。和信のクラスメイトの土呂の姿だった。土呂もどうやら恒章に気づいたようで、コーヒーカップを持って隣に移ってきた。
「隣ええか? 」
「あっ……、どうぞ」
そして、森井さんが同時にアイスコーヒーを持ってきた。恒章がカウンター越しにアイスコーヒーを受け取ると、ミルクレープも続けて出してきた。頼んでないむねを伝えると、森井さんが答える。
「勝辰さまからでございます。お二人にはお世話になっているからと」
そう言って、恒章と土呂に差し出したのだった。
しばらくの間、恒章はゆっくりアイスコーヒーを飲みながらミルクレープを頬張ることを繰り返した。突然、土呂が恒章に話しかけた。
「君、フックの同じクラスで、ひーやんの弟やろ?」
「そうですが、何か……。あっ、フクちゃんの幼馴染の……」
「土呂やで」
土呂の自己紹介に思わず軽く一礼した。
「ひーやんって、家だとどんな感じなん?」
突然のことで驚く恒章だったが、顔色一つ変えないようにして、こう返した。
「いつも何かスマした感じ。それがムカついてあまり好きじゃない」
土呂は、そっかと言いながらもため息をついた。恒章はそんな彼を横目にしながら、尋ねた。
「あいつと喧嘩でもしたんですか?」
「同じ学年だから、敬語はええねん。まあ、そんな感じや」
土呂は続けて、和信と部活設立をきっかけに仲違いした経緯を教えてくれたのだった。正直、恒章にとってはどうでもよかった内容ではあったが、和信が中山さんを泣かせたという事実に少し腹立たしくなってしまった。
「頑固でしょ、あいつ」
「確かにそうやな」
そして土呂は続けてこう言った。
「あいつ、時々何考えているかわからんのよな。周りが見えなくなるとは違う気もするんやけど……」
「家でも同じ感じだよ。でも、土呂くんは気にしなくてもいいよ。いつも通りに接してくれれば」
土呂は、恒章の言葉に少し考えこむも、すぐに言葉を返した。
「なんかそんな単純なことじゃない気がするけど……。まあ少しスッキリしたわ。おおきに」
そう言って、土呂はマスターに代金を支払い、駅の方へ出て行ったのだった。恒章は呆然としたまま、置いて行かれてしまった。
*
恒章は家に帰ると、和信と玄関の前で鉢合わせた。
「遅かったな」
「お前が早いんだよ」
そう言って、恒章は家の鍵を開けた。