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カナリア  作者: 薊華
2/2

集会

 オレンジ色のシャンデリアが柔らかく会場を照らしている。座り心地の良い椅子に老若男女が座っており、全員が朱色の幕が降りている壇上を見つめている。誰もが期待に満ちた表情である中で、久住健は薄い唇を一文字に結び、睨むような視線を幕に向けていた。おくれ毛の一本もなく固められた髪とフレームの軽さを追求した銀縁眼鏡が、彼の慎重さと疑り深い性格を表している。


 15年の記者人生で、これまでも様々な危険な現場に潜入してスクープをおさめることに成功し、今の地位を得ることができていた彼だが、いや、経験豊富な彼だからこそ本能が帰宅を促していた。だが、彼の出世欲は止まらず、体を椅子に縫い付けている。さらなる昇進には今まで以上のスクープが求められるのだ。


 久住が目を付けたのは、とある新興宗教団体だった。いや、宗教団体と称していいか微妙なところだが、数年前からその名を耳にするようになり、今や国内のみならず、海外にもその拠点を構え、一般人だけではなく芸能人や議員までもが会員だと噂されている。


 芸能人がスピリチュアルなものに傾倒することは珍しくないため、そこまでのスクープにはならない。それでも久住が調査に踏み入った理由は、この団体についての記事が一切なかったからだ。これだけの規模の団体で、情報が一切ないのは不自然だ。

 当然久住の知り合いの記者や、新進気鋭の若手記者が取材を試みていることは知っているが、記事にはなっていない。国家権力が出版社や新聞社などに報道の規制をかけることはあるが、たかができて数年の宗教団体にそれができるとは考えにくい。なにか触れてはいけないタブーを知ったのかと調査した記者を問い詰めたが、「そういうわけではない」と全員が煮え切らない返事をする。では、規制をかけられたのかと問うと、それも違うと答える。悩むなら行ってみると言われ、今日に至る。


 潜入は簡単だった。記者仲間に聞いた場所へ向かうと、荷物検査をされた程度で身分確認も教徒である確認もされなかった。有名コンサートも行われる会場で、足音が響かない絨毯のフロアを進めば、自由に座っていいようで、皆好き好きの場所に腰を下ろしていた。久住も胸ポケットに差したボールペンの背が壇上を捉えられる位置を計算し、席に着いたのが15分前。ボールペンには小型録画カメラを仕込んでおり、久住の相棒だった。


 突然、会場の灯りが消える。そして湧き上がる歓声。ああ、始まるのだ、と久住は察して拳に力を籠めた。


『親愛なる皆さま方、ようこそお越しくださいました。不満、苛立ち、焦り、恐怖、様々な負の感情の波に襲われながらも、よくぞ勇気を出して足を運んでくださいました。本日が皆さまにとっての救いの一日になりますように。さあ、お待たせいたしました。我らが主のご登壇です』


 会場アナウンスが止み、歓声と拍手と同時に幕が上がる。

 主、という言葉に久住の目が開く。幹部の顔を撮ることができれば万々歳だったのに、いきなりボスのご登場とは運がいい。無意識に体を乗り出して、久住は壇上を凝視する。


「皆さんこんにちは。主です」


 「……は?」と、乾いた疑問の声が久住の口から漏れる。上がりきった幕の下、久住の席よりも座り心地の良さそうな椅子の前で行儀よく立ち、マイクを握っていたのは子どもだった。大学生くらいだろうか。スーツに身を包んでいるが、顔の幼さや緊張を隠しきれていない立ち姿があどけない。上等なスーツとのアンバランスさが際立ち、金持ちの親にパーティーに連れられて来たお坊ちゃんという印象だった。


「はは、いつまで経っても緊張しますね。あ、今日はね、そちらにいらっしゃる三名とお話します。皆さんにお願いしたいことはいつもと変わらず三つ。一つ、理解・共感する必要はないが、悩みを否定しないこと。一つ、この三名は、他にも同じような悩みを抱えている人がいるかもしれないって勇気を出してくれた人たちだから、その悩みを口外して晒すようなことはしないこと。一つ、以上二つを守れなさそうなときは必ず相談すること。守ってくれますか?」


 主という子どもは右手の指を三本たて、左手に握るマイクを観客側に向ける。アイドルのコンサートかと久住は胸中で突っ込むが、周囲の人間は大声で「はーい!」と応えていた。これは時間の無駄になりそうだぞ、と目を半月状にしていた久住だったが、せめてなにか収穫を探すか、と姿勢を正した。


 久住の座席は会場の真ん中より後方であるため、主の顔はよく見えない。センター分けにした黒髪は、流行りにのろうとする大学生のそれだ。しっかり向かい合った座席に腰かけ、主は対面の座席に座るように促している。どんな対談でも、観客に顔がみえやすいように座席は斜めを向いているものだが、壇上の座席は久住から見て真横を向いているため、主の横顔しか見えなくなった。着席を促された三名のうち先頭の一人が席へ向かう。薄汚れた緑のパーカーに靴先が汚れたスニーカーを履き、自信なさそうに背中を丸めて座ったその男はすぐには話し出さなかった。くぼんだ目にこけた頬で、自分はいかにも不幸ですと言いたげな雰囲気に、久住は一番嫌いなタイプだ、とため息をついた。


 主と男を挟むように置かれた机にはマイクが設置されており、主が「ゆっくりで大丈夫ですよ」と声をかけると、堰を切ったように男が話し出す。一文が長く、様々な方向に脱線する話に久住はむずむずとした感覚が全身を巡って、今すぐ立ち上がり叫びたい衝動を抑えるのに必死だった。それも男がなんの努力もしないくせに自分が認められないのはおかしいだの、パチンコに行って金がないだの、富裕層はもっと将来が明るい自分に投資すべきだのと傲慢にも程がある悩みであったため、久住は男に殴りかかろうとする右手を抑えるのに必死だった。


 だが、主は相槌をうち、笑みを絶やさず話を聞いていた。するとどうだろうか。男はどんどんと勢いをなくし、「実は寂しい。人との関わり方がわからない。失敗するのが怖い」と話し出した。主が男に手を出すように促し、その手を握れば、不思議なことに男は「俺も頑張ってみます」と背筋を伸ばした。


 途端に湧き上がる賞賛と応援の声、そして拍手。久住はなにが起きたのかわからなかった。10分にも満たない対談に論理はなかった。一方的に男が話していただけなのに、いつの間にか目に輝きを取り戻した。


 疑問符が久住の脳内を占拠しているところだが、次の相談者が席についた。その相談者も、次の相談者も、最初の相談者と同じ流れだった。

 主は一貫して相槌と、話が途切れた時に相談者の話を軽くまとめること、そして手を握ることしかしていない。導きの言葉も肯定も否定もしていない。


 勝手に相談者が解決した、と満足げに判断しているのだ。


 これは八百長対談なのではないか、と久住は開いた口を塞ぐためにそれらしい理由を探る。だが、それだけで海外拠点をもてるまで成長できるだろうか。もう少し探りたい、と壇上を見つめていると、大歓声のなか主が観客をぐるっと見回し、口元に指先をあてた。

 この世から音がなくなったみたいに静かになった会場で、彼の声が響く。


「ありがとうございます。まずは勇気を出してくれたお三方に拍手を。……ありがとうございます。まだ少し時間があるので、飛び入りでお話したい方がいらっしゃればと思うのですが……。どなたかいらっしゃいますか?」


 これはチャンスだ、と久住は脳内でリスクとリターンを計算する。正直、リターンは少ない。不可解なことは多いが、いきなり目立つことはせず、長期戦でいくのがいつもの久住のやり方だ。だが好奇心が手を挙げろと命令してくる。脳の奥底で警鐘が聞こえる気がするが、記者たるもの勝負ができずにどうするという声がそれを掻き消す。


「あ、そちらの眼鏡の方。どうぞ壇上へ」


 久住は挙手していた。挙手をする前に主と目が合った気がするが、思い違いだろう。壇上までの道中で何を質問しようかと考えていく。用意された小さな階段を上り、主と同じ壇上に立ったその時、初めてじっくりと主の顔を見た。見れば見るほど大学生のようだ。185センチの久住は主を見下ろす形で対峙している。部下からは、威圧感があると言われたことがあるが、目の前の子どもは柔和な笑みを崩さない。マイクを通さず、「どうぞおかけください」と座席を案内されて、言われたとおりに座る。

 数秒遅れて主が座る。視線の高さが同じになり、主の双眸をじっくりと見つめる。アーモンド形の目は喜怒哀楽のどれも感じさせない。心の奥底を見透かされているようで目線を下げたい気持ちをぐっと堪え、久住は口を開いた。


「私はしがない記者をしております」


 久住は息が止まる。本当のことを言うつもりなどなかったのに、口から言葉が滑り落ちた。


「えっと……。はい、新卒からずっと今の会社に勤めております。もう15年になります。時には法に触れそうなやり方で真実をお茶の間に届けておりました。それでですね……」

「うん」

「……ええ、真実を平和ボケしたこの国の一般人共に届けてやっていたのです。情弱のくせにいい人でいようとする馬鹿どもに現実を見せてやっていたのです。そう、私は盲目な国民を真実に導いていたのです」

「うん」


 止まれ、口を閉じろと久住の理性は必死に命令するが、主の目を見ていると自分でも隠していた攻撃的な己を曝け出すのが止まらない。むしろ快感さえ覚えていた。主は変わらず包み込むような優しい声色で「うん」と頷く。それが己のすべてを肯定してくれているようで、久住は仕事や同僚、果てはこの世への不満、苛立ちを言い切った。肩で息をし、頬が吊り上がっているのに気づいていない。すべてを言い切った久住の頭は真っ白だった。何かの感情が残っているのだが、言葉にできないのだ。記者人生を続け、言葉は豊富に蓄積しているはずだったが、今の気持ちを表せる言葉が見つからない。


「うん」


 主が両手を差し出す。久住は恐る恐るその手を握れば、苦労などしらないような柔らかな手が久住を包んでくれた。じんわりと伝わる主の熱が、手から腕、肩を通って心臓に届いていくような錯覚に襲われる。固まり切った口元が溶けていくように、また久住は声を発した。


「……取材を続けて、綺麗だと思っていたこの国の裏側をたくさん知って、優しいと思っていた人の冷酷な一面を知って、何も信じられなくなりました。人の好意を受け取れなくなりました。誰も愛せなくなりました」

「うん」

「なにも知らず笑っている人を馬鹿にしてきましたが、その方が幸せなんじゃないかって思うようになりました。幸せってなにか分からなくなりました。私は、俺は、この先一生幸せになれないんじゃないかって怖くなりました」

「うん」


 黒に近いこげ茶色の瞳を見つめていると、胸の奥に閉まっていた焦りや恐怖が顔を出してきた。それらが凪いでいる主の瞳にすべて吸い込まれていくようで、体が軽くなっていく。


「……俺の幸せってなんだっけ。…………ああ、思い出した。未来の子たちが笑っていられるような国を作りたかったんだ。そのために今の歪んだ印象操作を正そうと思ったんだ。主さま、俺は自分の使命を思い出しました。ありがとうございます。精進してまいります」


 久住は憑き物が落ちたような表情で主の手を固く握った。歓声と拍手の中自分の席へ戻り、最後の挨拶をする主に惜しみない拍手を送っていた。

 バーナム効果のような一般論もなければ、怪しい物を売られたり変な呪文や奇術を見せつけられたりすることもなかった。だのに、自分でも気づけなかった悩みが解決し、視界が鮮明になった。これを奇跡の力と言わずとなんと言おう。……いや、これは過言だが、しかし救われたのは間違いない。せめて使命を全うすることで主への礼をしようと、久住は帰路に就く。その頭には、今日の出来事ではなく別のネタの構成が組み立てられつつあった。


 数年後、後輩に「久住さんって例の団体に潜入したことあるんですよね。なぜ記事にしなかったんですか?そんなにやばいんですか」と問い詰められ、「そういうわけではないさ。ああ、悩んでいるのなら行ってみるといい」と、懐かしい記憶を思い返すように目尻に皺を刻みながら、久住はハイボールをあおっていた。




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