幕開け
黒で統一された書斎の中で、唯一の光源である天井照明が机上のドーナツを照らす。木目がくっきりと浮かぶ漆喰の机には似つかわしくないそれは、ストロベリーチョコレート、ポンデリング、オールドファッションとファンシーな見た目で鎮座している。
部屋の主、神楽誘人は、ポンデリングの一塊をちぎって口へ運ぶ。もちもちとした食感に舌鼓をうちつつ、これが賄賂じゃなければ素直に楽しめるのになあ、と柔らかな背もたれに体重を預けた。はらりと頬に影を落とす黒髪は、染め粉を知らぬ艶を魅せ、首筋で綺麗に切り揃えられている。幼い印象を少しでも払拭しようとセンター分けされた前髪だが、身に纏うスーツにはまだ着られていた。
賄賂の送り主である佐原楓は、腕時計をみて「あと五分で食べきってくださいね」と微笑む。スーツの胸ポケットから取り出した手帳に何かを書き込み、元の場所へ収納し、スーツを正すその一連の動作は彼の端麗な顔立ちも相まって映画のワンシーンのようだった。
小学生からの仲で、同い年なはずなのに異なる貫禄に、神楽は人生何度目かのため息がでる。日本人には珍しく通った鼻筋につり上がった糸目。白髪隠しですよとわかりやすい嘘で染めた銀髪はよく似合っている。ぱちりと視線が交差し、「あと一分ですけど、それ、食べ切れます?」とドーナツを指さしてきた。
「ドーナツ三個を五分で食べ切れは無理がある」
「まあそりゃそうですよね。じゃあ捨てとくんでそこ……今どこからラップ取り出しました?」
「ん?引き出しだけど」
「……ラップしたドーナツを今どこにしまいました?」
「引き出しだけど?デイビッドあたりが勝手に食べないように」
佐原は眉間を指で摘み、「イタリアの職人に作らせた一点物の机に……」と声を低くする。だが、神楽は「引き出しってよく使うものを入れておく所だろ」とズレた回答をし、同じく引き出しから取り出したウエットティッシュで指を拭く。くらりとよろける佐原だが、なんとか持ちこたえた。
時間だな、とドーナツをしまい終えた神楽が立ち上がり、佐原の前でくるりと回る。
「楓、変じゃないか」
「はい。素晴らしいです」
「……お前のその返答、絶対おかしいと思うんだけどなあ」
「それについては半年前に議決を採ったでしょう」
「うーん……」
「それよりも、ボスの引き出しの使い方のほうがおかしい」
神楽は襟を正しつつ、佐原の苦言に笑いながらドアノブをひねる。
「漫画しかない書斎だぞ。なにを今更」
国内最大規模の宗教団体、カナリアの集会が始まる。