ユスタ・ルゥ・ヴェルセレレイイス
ドラゴンの聴覚というものがどういうものなのかは、わからない。
「――え」
私は、遠くにその音を聞いた。
前いた世界を含めても、初めて聞いた音だ。
「ウソ、だよね?」
映画とかアニメで聞くそれよりは、軽い。乾いたような音だった。
『今のは?』
ハンマーが言うが、私は答えるよりも先に大広間を飛び出していた。
『お前――ユスタ?』
外に、敵がいるかもしれない。
けれどそんなことにさえ、かまっていられない。
全部、頭からはぶっ飛んでいた。
廊下を出て、扉を押し開く。
城の外は雨が降りはじめていた。
私はそこに飛び出していく。地面を蹴りだすと、土が跳ねた。
(もっと、速く)
さらに走るうち、私は自らの速度が加速していることに気づく。
全身を電気が巡っている。
(それでも、もっと、速く!)
駆け抜けた。
しかし身体はうまくついていかない。転んで土まみれになる。
「ぶぶぇ!」
倒れたまま低い視界の向こう、森の入り口付近に、赤い血だまりが見えた。
セレネローザさんが倒れている。
「ッッ!!」
そんな――。
そんなっ!!
こんな事をした『敵』は誰だ?
何がしたい?
私は彼女の隣に駆けよった。
『これ、はっ……!?』
記憶が、混濁する。
こういうとき、どうするのが正解だったか? 救急車……はないんだ。AEDも。
私は無我夢中で彼女に覆い被さって、脈を見た。
死んでいた。
(っっ!!)
私は鎧を脱がそうとした。
やり方がわからず、まごつく。
――留め具の部分を握りつぶす。
(こんなに、力、強かったのか。私――!)
鎧を脱がしていく。
心臓が、止まっている――
――まさにその部分が破壊されていた。
鎧の湾曲した鉄板から、血塗れの銃弾がころんと転がり落ちたのを、見た。
(私は)
凍りつくのは私だった。
いや、私だけじゃない。いずれ世界がそうなる。
夢のようにすべて止まるだろうか。
いつも通りの悪夢だ。
彼女もだんだんと動きを止め、うっすらとした像になり、消えていき――そして私は朝を迎えるんだ。
しかし、そんな、救いの朝は来なかった。
暗い森に私はいる。木々のざわめきは、ちゃんと音としていま、聞こえている。
全身があわだつようにむずがゆい。血の匂いは、存在を雄弁に主張する。うるさいくらいに。耳にまで通り抜けてくる。脳に刺さってくる気さえする。私ってやっぱり人の死に慣れないんだ。知ってた。まあ知ってた。ああ、えっと、その。
嘘だよね?
(私はっ、こんなっ、こんなっ)
傍らにはハンドガンが落ちていた。
「~~~~~っっ!!」
彼女を殺した武器であるに違いなかった。
私は立ち上がると、それを殴りつけた。
「この野郎ッッ!!」
何度も何度も殴りつける。
土が舞い、拳の先で鉄のはじける音がした。
音を立てて、雷光がそこで何度も光った。
けれど、だからなんだというのか。
「恥ずかしくないのかよッ!! そんな力がよおッッ!! 人を殺すだけの道具に生まれて、恥ずかしくないのかよッ!!」
涙が流れなかった。
私は人じゃないから?
まだこの変化を受け入れられていないのかもしれない。
それとも、やっぱりこれ、夢?
「う……う、うううっ!」
私は泣けなかったけれど――
心では、たぶん違う。
たぶん、泣いてる。
彼女には優しさがあった。
この現地の人で、心の通ったひと。
私を認めてくれたけれど、私のほうも彼女を認めていたと思う。
二人の間でなにか、つながっている気がした。
そんなお客様だった。
「うああああああああああああっっ!!」
『おいっ! なんでその武器は――そこにある? よく考えろ!!』
考えていられない。
無理だ。
痛かっただろう。
どんな気持ちだった。誰にやられた?
『きっと、これを残したやつは――お前に罪をなすりつけるつもりだ! それはかつて魔王軍に鹵獲された武器! 嫌な予感がする……! ユスタ、即刻離れろ!』
「冷静になるのは、そっちがやって……! 今は、無理っ!! 無理なの!!」
『……!! ゼテア=ヌンだっ! きっとあいつらが……!!』
「……あ、ああああああああああっ……!!」
どうでもいい。
それが正しいなら、今ここにいる私の立場は悪くなるだろう。
だけど――彼女のためにあふれ出す気持ちは――荒れ狂う嵐の気持ちが――でっかくって、何もできない。
ここで涙を流せない自分が恥ずかしい。
魔物である、ということらしい。
私はいつも、状況を理解するのがヘタクソなのだ。
自分が死んでしまったこともなかなか受け入れられていなかったし。
彼女と出会えて、嬉しかった。
おふとんの気持ちよさって、あなたにとっても、よかった?
パンケーキって、おいしいよね。紅茶も合うんだよ。
お風呂、温かかったね。
お土産は――
「っ!」
私は彼女の荷物を探した。
――渡した箱はそこにあった。
中を開ける。中身の柄も、あるようだ。
モノ目当てじゃない。
――私に罪をなすりつける――
「おいっ!! 見てんだろ外道ッ!!」
私は森中に吠えた。
「ううううっう……うううううっ!! どうして、こんなっ!!」
何かが飛来した。空気を圧縮しながら推進する、なんらかの音が大きくなる。
私の頭を揺さぶる、一瞬の感覚があった。
ロケットランチャーだった。
――こんなものまで――わざわざ作って――。
爆発が起こった。
木々の葉っぱがばさばさばさばさと吹き飛ばされて、あちこちで枝が折れ曲がり吹き飛んだ。
私は傷つかなかった。
痛くない。
死んでもいない。
この身体のおかげか。
私は、飛来してきた方角を見た。
奥で、誰かが動く音を立てた。
私はそれを追おうとして――冷静になる。
(セレネローザさんの身体)
私はそれを翼で覆い、守るようにした。
(これ以上っ!! 傷つけるなっ!!)
こんな時の対応、わからない。知っているわけがない。
一種のパニックがあって、幼稚な対応しかできない。
……そのはずだ……。
(……!!)
次弾は、こない。
(こういう時、敵は、なにを)
私の息が荒くなっている。
整えようとしたが、整わない。
なにも起こらない。
『お前ッ……今の……耐えるのか……』
「……っ……」
『油断せずここを離れろ。聞いているか』
「罪くらい……どうでもいいよ……」
私は耐えきれなくなっている。
セレネローザさんの顔を見た。
どこか、その表情は安らかである。間違いなく殺されたのだろうに。
私にとっては、なんとなく、それが嫌だった。
「……なんでっ、受け入れてるんだよ!!」
二回目の怒りがやってきた。
そもそもの話として――私は、死が、いやだ。
なんで私たちって死ななければいけないの? なぜ、不条理が降りかかる?
私ともども、まわりの人々を――きっと兄をも――さらってしまったあの地震もそう。
そしてセレネローザさんの死。
どっちも、死だ。
でも、なんで、私たちはこうやって奪われないといけないのだろう。
殺人には犯人がいる――けれど、そもそもとして、私には根本的にこの不条理そのものが憎い。
人は死ぬ、というただそれだけのシンプルなきまりが、私の憎しみの対象だ。
殺した奴らも、憎い。
両方憎い。
心が湾曲しそうな怒りがあって、悲しみもあって、自分が冷えていく赤子のように感じられる。
なんでかな。
なんで私たちってこんなことに慣らされているんだろう?
「ふざけるな」
私は無力だ。
異世界建築だろうが、電気を使える竜になろうが、死の前ではささいなことだ。
人を助けることができない時点で、そんなもの、強くはない。
なんのための能力かって?
なんのための強さかって?
そんなもの、人を助けるためだろうが。
他人を助ける力のことを、本当に、最強って言うんだよ。
こんなちっぽけな、ただ人を殺すための道具になった銃みたいな――
砕け散ったロケットランチャー弾みたいな――
他人を傷つけるだけの力を、私は認めない。
死に抗うための力じゃない限り、そんなの、だめだ。
どれほど行儀の悪い言葉を並べたって陳腐になる憎しみが、今、私の中にある。
「製品ってのは……いいものを作ろうっていう、泥臭い頑張りの果実……」
だけど。
「どっかの誰かにとっては、それは、人を殺すための……よりよい手段……」
何がチートだよ。
クソどもが。
この世界に持ちこんだ技術の結果が「ただ人より強くなり、他人を殺す」程度にすぎない、卑小な奴がいる。
その結果が彼女を殺したモノだってのか。
私は、その事実のなかには、ただひとつのものしか見いだすことができない。
利己性という邪悪。
その他には、なにもない。
いったいそこには、どんな崇高な人間の精神があるっていうんだ?
みんなに等しく訪れる死の力を少しだけ早め、自分個人の利益を求めて振るうような弱さしか、あり得ない。
どっかの誰かのそういう弱さを、私はへし折りたい。
その性根ごと手折って、火にかけて灰にして、顧みることさえなく立ち去って、後ろ足で小便でもかけてやりたい。
まさにその死に対して抗うようにみんなが力を使えば、せめて、もっと。
……。
雷雲が、頭上で渦巻いていた。
「助けたかった」
この森の中でも空が見える。
嵐が来ていた。
「不条理をブッ壊すための力ならよかったのに。そういう力がよかったのに!!」
雷が、落ちた。
「私は――みんなを――!」
白い光があたりを包む。
焦げ臭いにおいがあった。
「うううっ……うううう!!」
私はセレネローザさんの身体を守った。
『お前』
「うううううっ……誰も死んで欲しくないっっ……」
『本当に強情だな……』
「うううううっうううう!」
あ。
私、顔から涙、出てる。
びっちゃびちゃになってる。
「もう奪わないで……誰も奪わないで……やだ……もう嫌だ……やだよおおおお……」
『あの。おい』
「兄さんも……現場のみんなも……ううううっううう゛! ううう゛!! ぐすっ!!」
『そいつ――生きてるぞ』
……。
『生きて……る』
……ん……?
え、……?
『いや……まさか』
「えっ……いや……」
――何を言っている?
私は確かに、脈を見たんだぞ。
心臓だって、破壊されていた。
絶対に確認したんだぞ。
えっと……。いや、その。何、と……?
私は彼女を見た。
脳みそが働かない。
どうしたらいいのかを決めるための機能を欠いている。私は呆けている。
でも……えっと。
え?
私は、よくわからなくて、動けない。
『そいつ――生き返った、のか?』
「……い」
――生き、生き、い……? 生き返っ……?
私はセレネローザさんの身体をようやっと離した。
ああ、私は肌で彼女に触れていたのだ。気づかなかった。今になってようやく自分の肌感覚を少しずつ……。えっと……ウロコ……。
『息、してるように見えたのだが……気のせい、か?』
「っ。この期に及んで撤回しないでほしい」
『す、すまない!』
「! ……ご。ごめん。こっちこそ……!」
私はだいぶうろたえたが、彼女の胸に耳を押しつけた。
たしかに。
息をしていた。
「~~~~~っ!?」
「が……がはあっ!」
あっ……彼女が血を吐いた。
ほ、本当に!? ……生きてる……?
『ちょ、横向けろ横っ!』
「あっあっあ!? わかった!?」
彼女を転がして横たえる。
え――っと――確かに死んでいたぞ……これは確かだ。
さっきから、何回も何回も……その確認ばっかり、私、してるよね? いま、ここまで! くどいくらいに!
――万が一の救急マニュアルだって、私の頭には入っているんだ! AEDの使い方だって――救急車の番号だって!
私はそれでも信じきれずに、心臓を見る。
――いや、信じられるなら信じたいさ――生き返っただなんて――。
銃弾による穴が、塞がっている。
脈もあった。
(な、に……?)
奇妙な点はある――彼女の流血もまた、明らかに致死量ぶん、ある。
いま確かに、周囲の土に染みこみはじめている。
なのに。なんで……。
「がはっ……ごぼっ」
「いいい、息。息だって、あの。してッッるよねえ?」
『何を!? 何をしたお前!?』
「ななななな、何も覚えがないっいいいい!」
ここは魔法の世界か? あ。……魔法はあるのかもしれない。そういえば確認していなかっただろうか……。
でも私が魔法を使ったはずはなく、もちろん覚えもない。
スキルの棚卸しをするまでもない……。面接に持っていく履歴書の、資格を書くあの欄の虚無っぷりを、ふと思い出として……いやいや目の前の状況に戻れ、私!
『木々が燃えている。この雨ですぐ鎮火するだろうが』
「……」
『ひとまず、そいつを城へ!』
「わ、わかった!」
私は彼女を抱えあげた。
ここへ来るときの、電気による身体の加速があってからだろうか。……なんだか、動かしやすくなった翼がぴょこぴょこ私の背中で跳ねている。
(この翼で、彼女を守れる……?)
私は彼女を持ち上げようとする。
――急に。
雷光が彼女の身体から発せられた。
「うお! 何回目!?」
『落ち着け! こんなこと、今までにあったか? ないぞ!』
「ひとまず、荷物も!」
私は彼女を抱えあげ、嵐の森を走った。




