朝
バスローブで、扉の外へと出ていった。
着心地がいい。
剣も鎧も持っていないが、まあ、私には魔法がある。転移もある。
寝たあとだから、昨日のようにはなるまい。
(……剣と鎧を置いてきたのはまずかったか……?)
扉を出る。
すぐ前の壁に、ぐにゃぐにゃの矢印が書いてある紙が、貼り付けられていた。
城の、石の壁にどうやって貼ったのかはわからない。
(この方向に行けと?)
私はその方向へ向かった。
(なんで素直に従っている)
聞いたことのない鳴き声が廊下のあちこちから聞こえる。
ぶいいいいいいん、という音。
知らない魔物だろう。
きっと、会わないに越したことはない。
私は歩き続けた。
(あちこちで、ネコ耳たちが歩き回っている……見た目には踊りみたいではあるな)
矢印をたどり、何度目かの扉を開く。
庭に出た。
朝の空気が肌に涼しい。
美しい場所だった。
しとしとと雨が降っているが、頭上に色とりどりの傘がたくさんあって、曇り空を透かしている。
(傘をこう使うのか。……染みこまないのかな)
その下を石の道が続いていて、左右対称に配された庭木がある。奥に、石でできた杯のような形をした噴水がある。水は止まっているが、それはかえって静謐さとなっていた。
歩いていくと、ひときわ大きな傘の下に、椅子とテーブルが用意されていた。
あのネコ耳の執事(執事と言っていいのだろうか)が控えている。
彼は、椅子を引いてくれた。
(座っていいのか……)
私はおずおずとそこに座った。
「朝食をご用意いたします」
「あ、あの。すまないが。私は、ろくな金を持っていないぞ」
前もって言っておくべきだろう。
「何の目的かは知らないが……なぜ私にここまでする」
「私どもの主人が欲っするものは」
「?」
「――この建物に付け加える『歴史』です」
「れ、歴史?」
雨の音があたりを包んでいる。
執事がグラスと水の入ったピッチャーを運んできて、グラスに注いだ。
(……。貴族の食事みたいだ)
ピッチャーからは水に混じって、なにか透明な、平たいものが入っている。
なんだろう?
グラスの表面が、結露し、曇りはじめている。
(……氷……か!? 冬はまだ来ていないぞ)
手に取ってみる。
「うお、本当に冷たい!」
このあたりは涼しいが、湖面が凍るような寒さではない。
氷は贅沢品である。
氷の魔法が使える者はいるにはいるが、たいてい、生鮮食料の輸送を手伝うか、貴族のお抱え倉庫番になる。
私は冷水を飲んだ。
「……っぷはあ」
お、おいしい。
通常の水とは違う。
なぜ冷えていると、爽やかで、喉にも気分にも心地よくなるのだろう。
(母さん……踊りを教えたあと、こうした水でもてなされたと言っていた)
執事がサラダを運んでくる。
茹で野菜ではなく生の野菜だ。
「……い。イタダキマス」
転生者式の礼儀が通用するとみた。とりあえず言ってみる。
手を合わせるんだっけか? そうしてみる。
私はサラダをフォークでいただく。
(むっ……)
しゃきしゃきと口の中ではじける。
(味付けからして、濃すぎない。むしろ薄めだ。これも冷えている)
おいしい。
野菜に、苦さはまったくない。
それが、薄い味付けでもいい理由だろう。
みずみずしく、噛むことの単純な楽しさがある。
そう、楽しい。
(……久しく忘れていた)
私は執事を見た。
話の、続きを聞きたい。
彼はすぐ察して、頷いた。
「建物に、歴史はこもります」
彼の表情は動かない。
「人よりも獣よりも、建物は長く生きるもの。建物においての歴史とは、環境と生命との関わりの蓄積でございます」
「なんとなく、わかる」
「特に。いのちある者が建物に屈服したとき――建物は歴史、つまりは『経験値』をためこみ『レベルアップ』なるものがなされる、と」
「れ。れべる」
「主人はこの城を調べ、なにかを発見したのち、そうした説明をなされました」
私はいまいち理解できないが、転生者はたまにその言葉を言う。
レベルアップ。
いや、確か、国が調べていたな。私の担当ではないが。
……やはりあのドラゴンだろうか?
「兵が城によってその命を守られたとき、城は崇敬を受ける。しかし、同時に兵が城で散ったとしても悲劇の歴史が増える――歴史が積み重なるという意味では同じ。歴史こそが建物に仕上げを加える」
「どちらも同じなら、なぜ、私を殺さない」
「それは、望まないのだそうです」
……。
今の、ちょっと誘導されたな。
私は甘くはない。
が、しかし、ちょっと心が動いたのも確かだ。
――いい主人なのだ、と私に思わせることがもくろみなら、成功しているよ。
ある程度だがね。
ふん。
「主人は『他人を最強にする』ことを理想として掲げました」
「……そういう事を言う奴が、一番に最強なんだ……」
「どうやら、よい人との関わりがあったようですね」
「父だよ」
私はしとしとと雨の降る曇り空を見た。
「回復魔法を開発したんだ」
「さようでございますか」
「私は、彼にはなれそうもない」
執事が離れると、白磁の皿をいくつか盆にのせて、食事を運んできた。
きっと、まあ、うまいのだろう。
食べる前だが、分かるよ。
「パンケーキのモーニングセットです」
「おお……」
パンケーキが3枚重なり、その上にバターがのっかった、皿。
そのそばには、注ぎ口のある小さな鉄の入れ物に、なにか茶色い液体が入っている。
そして、スクランブルエッグとベーコンの皿。
傍らには紅茶のティーポット。白地に青いツタ模様の陶器製。湯気を立てていた。
ティーカップはデザインが統一されている。
鉄の入れ物の中身はなんだろう……。
(……はちみつだろうか?)
私がそれらを見ている間に、彼が紅茶の入ったティーポットを高いところからカップに注いでくれた。
「パンケーキには、メイプルシロップをかけてお召し上がりください」
「なるほど。パンケーキにかけるのか」
言って、紅茶を飲む。
温かい。
味は、少し濃いめである。
私はナイフとフォークを手に取った。
(メイプルシロップとやらの名前を示していたのは、それとないサービスだろう。でも……)
パンケーキは切り分けなかった。
これはつまり「決まりがないのが決まり」であろう。
たぶん、私が好きに切り分けて、好きに食べることが大事なのだ。
(では)
バターののっかった中心に、ナイフを刺すように入れて引き切る。
上から下まで切ってしまうのも楽でいいが、パンケーキが熱を保つのは中央だろう。切り分けてしまったら冷めるのが早そうだ。
皿を回して四分の一円として切り分けると、シロップを回すようにかけた。
鉄の入れ物を通して、シロップの熱が伝わってくる。
(シロップは……だいぶ多く入っている。全てを使うわけでは、ないな)
フォークでひときれを拾い――
――口に運んだ。
(!? 華やかな甘さ)
口の中でやわやわの生地が崩れていく。
ふわり。
ほろほろ。
……生地にも、なにか工夫がある……!?
知っているパンケーキではない。
(甘みは……しつこくなくて、香りが強い。……食べやすい)
気がつくと……。
次々と、食べていた。
なんだ。
これは……。
(食べるなかで、変化も……ある)
後半になるほど、シロップは生地にしみこんでいるようである。
口に入れるたび、じゅっ、と甘みが染みだしてくる。
一口が軽いので、止まらない。
紅茶をいただく。
と。
(! 普通に飲んだ時よりも……)
口の中から水が奪われていたようで、それが、一気に潤う。
(……合うっ!)
パンケーキだけでなく、カップの紅茶も一気に飲んでしまった。
ベーコンとスクランブルエッグをいただく。
その間に、彼は再び紅茶を注いでくれる。
「ありがとう。……久しぶりのいい食事だ」
彼はにこりと笑った。
最近は、肉と野菜の汁、またたまに魚の汁といった食事が多かった。
今回、素材だけで言えば、被っている部分はある。
しかし、調理は間違いなく珍しい――それに食材が例外なく新鮮であるからか?
どこか真新しい経験をしたみずみずしさが、心を満たしている。
紅茶をさらに飲んだ。
ベーコンの脂もきれいさっぱりになった。
(なんというか……)
完成度の高いメニューだった。
素朴なのに華があり、複雑さを持っている。
一朝一夕にできたメニューでは絶対にない。
歴史、か……。
「負けたよ。おいしかった」
「光栄でございます」
ふん。
私程度の気持ちでいいなら、まあ、くれてやる。
ちょっとだけだがな。
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書いててパンケーキくいたくなった場面




