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気の毒な人

 一九八五年公開の映画『コーラスライン』のエンディングに、「気の毒な人」が映っていることに気づいている人はどれくらいいるのだろうか。

 有名な映画なのでご存知の方も多いと思うが、『コーラスライン』はブロードウェイでのオーディションを題材にしたミュージカル。オーディションそのものがミュージカルになっているという、高次(メタ)ミューカルを映画化したものである。

 特に印象深いのは、エンディング。日本ではビールのCMでもおなじみの名曲「One」に合わせて、華やかな黄金の衣装を身にまとった演者たちが歌い、踊りはじめる。

 おお! オーディションに合格した八人は、こんなに華やかな舞台に立ったんだな、と思って見ていると、あれあれ? オーディションで不合格になった人たちも同じ黄金の衣装を身にまとって次々に現れ、歌い、踊りはじめるではないか。

 ここまで見ると、このエンディングが、合格した八人だけが歌い、踊る実際の舞台ではなく、不合格になった人たちも夢見た幻の舞台、つまりオーディションの合否にかかわらず、舞台に人生を賭けたすべての人たちの夢が(むく)われる、文字通り夢の舞台であることが分かってくる。オーディションのときとは打って変わって、みんな晴れやかな表情で、歌い、踊ることを心から楽しんでいるように見える。映画を見た人なら、まずここで熱い涙がこみ上げてくるだろう。

 何ごとにせよ、()(せつ)を味わうことができるのは、挑戦した人間だけである。『コーラスライン』のようなミュージカル映画を作ったのも、数々の挑戦と挫折を味わった人たちに違いない。挑戦すること、そして挫折することへの大いなる励ましが感じられる名場面だと思う。

 そのようにオーディションに受かった人、落ちた人がともに繰り広げる十七人による歌と踊りは、やがてそれぞれのそっくりさん(!)も加わって三十四人のコーラスラインに! 歌声と踊りに厚みが増し、あえて矛盾した言い方をすれば、舞台は整然としたカオスと化してゆくのだが、これも、私たちが舞台で見ているのは氷山の一角で、その背後には実に多くの挑戦者たちの挫折があるのだ、ということを可視化してくれる、圧巻のエンディングである。

 「気の毒な人」が現れるのは、演者たちがさらに倍増して六十八名?(頭がくらくらするので、もはや数えていない)になったときである。一糸乱れず歌い、踊る人々の中で、前から二番目、向かって右から二番目の人だけが、シルクハットを上げるタイミングがずれ、さらに右に歩かねばならないところを左に歩いてしまい、コーラスラインを(みだ)しているではないか!

 このことに気づくことができたのは、このエンディングにいたく胸を打たれた僕が、わんわん泣きながら何度も見返したからだった。ん? 何かがおかしい。あ! この人だけ踊りを間違ってる!

 僕が彼を「気の毒な人」と呼ぶのは、彼だって映画史に残る名場面に、こんな凡ミスをしている情けない姿を残したくなかったに違いないと思うからである。『コーラスライン』は映画化される前から、とても有名なミュージカルだった。映画においても、マイケル・ダグラスはじめ、すべての演者が完璧な演技をしている。はじめからおわりまでまったく(すき)がない、完璧な映画である。ただひとつ「気の毒な人」が最後の最後に踊りを間違えていることを(のぞ)いては……。

 できることなら、彼もエンディングの場面を撮りなおしてほしかっただろう。しかし、撮りなおされることなく、彼の凡ミスはしっかり映画史に刻まれることになってしまった。

 僕はときどき、「気の毒な人」と対話するさまを想像してしまう。


「自分が踊りを間違っていることには、すぐ気づいたんですか?」

「そりゃあ、もう。シルクハットを上げるタイミングがまわりとずれた時点でね。あ、やばい!って焦って、右に歩いたら隣の人とぶつかりそうになっちゃったし。僕とまわりの何人かは、その場で気づかないわけがないよね」

「でも、アッテンボロー監督は、気づかなかった?」

「さあ、それはどうかな……。撮影中も、ラッシュを見ても、監督は何も言わなかった。本当は気づいてたのかもしれないけど、とにかく大人数が舞台で同じ歌を歌い、同じ踊りを踊る、大がかりな場面だったからね。撮影スケジュールもだいぶ押してたみたいだし、撮りなおしたくても、できなかったのかもしれない。本当に悪いことをしたと心底落ち込んだよ。もうダンサーをやめようかとも思った」

「やはり、だいぶ落ち込んだんですね」

「もちろん。穴があったら、なんてもんじゃなかったね。何せコーラスラインがテーマの映画だろう? 最後の最後に僕がそのラインを(みだ)しちゃったんだからね。本当に死にたくなったよ」

「どうやって立ちなおったんですか。ずいぶん時間がかかった?」

「むずかしい質問だね。表面的には意外とすぐに立ちなおれたんだよ。監督に限らず、僕のことを責める人はだれもいなかったんだ。僕は次の日から別の舞台で踊ることができたし、周りの人たちに冗談を飛ばすこともできた。でも、ときどきふっと絶望的な恥ずかしさに襲われるときがある。今でも。もうあれから何十年も経ってるのにね。気がつけば、おれって本当にバカだなって、ひとりごとを言っている」

「それだけあのときのミスは、深い傷を残したんですね」

「そうだね。でも、だんだん、あれはあれでよかったというか、しかたがなかったんだと思うようにもなったよ。僕は僕なりにしっかり練習して撮影に(のぞ)んだわけだし。ただガチガチに緊張しちゃったってだけでね。あれは自分なりに最善(ベスト)を尽くした結果だったんだ。それに……」

「それに?」

「まあ、今にして思えば、CG (コンピューターグラフィック)やAIじゃ作れない味のある()になったと言えなくもない。あの「そっくりさん」たちが増える場面だって、あのときは本当のそっくりさんが演じたわけだけど、今ならCGで作れちゃうでしょう。でもCGじゃ、あの(ねつ)みたいなものは伝わらなかったんじゃないかな。僕はCGじゃない。だから、踊りを間違えてしまったけれど、人間味のあるエンディングにもなった。案外、監督だってそう思ってくれていたかもしれない。もう亡くなってしまったから、確かめようがないけれど」

「前向きなんですね」

「考えたって分からないことは、前向きに考えた方が得なのさ。僕があの失敗から学んだことのひとつだね」


 この対話はただの想像なので、本当のところ「気の毒な人」があのときの失敗についてどのように考えているのか、もちろん僕は何も知らない。だから僕も想像の中の「気の毒な人」に(なら)って、前向きに考えることにしよう。

 オーディションに落ちた人も含めて、すべての舞台人の情熱が報われる夢の舞台と、そこに刻まれた痛恨のミス――。そんな失敗も含めて、僕は映画『コーラスライン』のエンディングが、たまらなく好きだ。何度見ても見飽きることがない。

 すでに映画を見たという人も、まだ見ていないという人も、圧巻のエンディングをぜひご確認いただきたい。もし、今、前向きになりたいのなら、なおのこと。


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